2046 ❸
3 出発
「ヴァディトの居場所知ってのんか…?」
アナトが恐る恐る八代の顔を見る。
「ま、あ、ね。私を誰だと思ってんの? 情報通の八代よ?」
おお! アナトとニコが顔を合わせ歓声をあげる。
「お前の親分さすがだな」ニコがカゴに入ったカメレオンに向かって話しかける。
「親分って…」八代がニコを見ながら笑った。
「私が知ってる人は、初代ヴァディトの孫」
「ほぉ…、うん…」
ニコとアナトが真剣な顔つきになる。
「さっき1979年に…って言ったでしょ? そこにいたヴァディトの娘の娘ってことね。歳は…多分、私よりちょっと上くらいだから、35とかそんくらい。ただ覚えておいて欲しいのは、その女性がヴァディトかどうかの確信はない。まあ血は繋がってるし絶対何か知ってるはずだわ」
八代が日本の地図を折りたたみながら言う。
「そのヴァディトって奴らはやっぱ超能力的なの使えんのかな?」
ニコが目を輝かせながら言う。
「それはないんじゃない? 透視とか浮遊とかってことでしょ?」
「そうそう」
「ないわよ。アニメの見過ぎ」八代が笑いながら言い、身支度を始める。
「続きは目的地に向かいながら話すわ。あんたら歩き?」
「あ、うん」
ニコとアナトもつられて立ち上がり、ボロボロのカバンを背負う。
「あ、そう。ま、なんとかなるか。あとさ…、気になってたんだけど」
八代が二人が背負ってる鞄を指さす。
「そんなか日記以外に何入ってんの?」
「いや…、それは…」
二人は少し口籠もりながら鞄を床に置き、中身を彼女に見せる。
「何これ。酒と草しか入ってないじゃない」
八代が二人のカバンの中身を確認して笑う。
「まあある意味楽しい旅になりそうだけど…。私の部屋にあるもので必要なものあったら持ってきな。男用の服とかもどっかにあるはず。長旅になるんだから。そんな持ち物だったら即死よ」
八代はポンポンと古びた鞄を叩き、身支度に戻った。
「あ、うん。ありがと」
アナトが首元を触りながらお礼を言う。
「さあ、行きますか」
身支度を済ませた三人がドアの前に集まる。
ニコとアナトのカバンも八代のお陰でパンパンに物が詰まっている。
「日記ちゃんと持った?」
八代がアナトに聞く。
「ああ」アナトが頷く。
「あれがなきゃ話になんないからね」
八代はそう言いながらリュックのベルトを閉めた。
「はい、あとこれ」
八代が二人に中位の巾着袋を差し出す。
「何これ?」ニコが驚きながら巾着袋を受け取る。
「あ…」アナトが袋を触り中身に気づく。
「そう。ハンドガン。オートマじゃないけど弾は入ってるから今すぐにでも使えるわ」
二人が袋から慎重に鉄の塊を出す。
「今から行く場所は、日本で一番危険と言われてるアジンの中の、一番危険な場所だからね。鼻歌なんか歌って歩いてたら撃たれるわ。安全のためにも持っときなさい」
二人は手元からゆっくりと視線をあげ八代の方を見る。
「ありがとう」
お礼を言い、そっとカバンの中にしまった。
「どいたまどいたま」
「何、どいたまって…」
二人が笑う。
「さ、レッツゴー!」
八代が勢いよくドアを開け階段を駆け下りる。それに二人も続いた。
相変わらず外は陰鬱な空気で包まれている。
三人が住んでいるD棟の表には、イオンにつながる道路がある。路上には廃車やゴミ溜め、錆びた自転車などが転がっている。団地は外側からに見るととても面白い。建物というより生き物に近いのだ。外壁に張り巡らされた無数のパイプに、どっかの誰かが持ってきたであろう店の看板、居酒屋の暖簾やアパレル店の電光掲示板など、以前の都会で使われていた物が残骸としてアジンに集結しているのだ。
アジンを覆う外壁が完成し、政府の手が届かなくなった頃から、移住許可を得ていない外国人も増えた。いわゆる違法移民である。彼らはアジン内部で自分たちの居場所を作りコミュニティを形成している。アジンは様々な文化が犇く、日本列島の中で最も多様的で国際的な空間なのだ。
「イオンの中抜けるけど、特に欲しい物ない?」
道端に落ちている缶を蹴りながら八代が言う。
「特にないな。大丈夫」
アナトが答える。ニコもこくりと頷いた。
イオンに近づくにつれて人が増える。
ブルーシートの屋根に覆われたイオンは天井が低く圧迫感が強い。売りたい物がある人間が場所を取り、物を並べ、客を引き寄せる。到底21世紀とは思えない光景である。それでもその光景に慣れた三人にとって、そこは立派なデパートなのだ。
「ほらほら、今日は5本で2000だよ! こんな安いの他にゃないだろ!」
上半身裸の皺がれたおじちゃんが、注射器片手に話しかけてくる。
「へー、いいなー、僕もそろそろヘロイン挑戦しちゃおっかな」
「うっせえ、お前はタバコで十分だドアホ」
おじちゃんの話に興味を示すニコをアナトが叩く。
「いいじゃん別に! そろそろ二十歳だよ? デビューしどきだよ」
「お前そんなんに手出したらここら辺の連中と一緒になるぞ」
アナトが歩きながら周りを見渡す。ニコもポケットに手を入れ喋るのをやめた。
「確認なんだけど、あんたらのお母さんって死んだのよね?」
行き交う人を器用に避けながら八代が言う。
「そう、見たことすらない」
「へー、まあ親の顔見たことある子供なんてそうそういないだろうけど」
八代が笑う。
「じゃあ、廃墟での願い事は『ママに会いたい…!』とか?」
八代が二人を揶揄うように赤ん坊の声真似をする。
「そんなんじゃねえよ、てかまだ願い事なんか決めてないし…」
アナトは顔を赤らめながら答えた。
「でも会ってみたいよね。お母さんに」
立ち並ぶ店の商品に目を配りながらニコが言う。
「まあ、会えたらな」アナトが小さく呟く。
「私は何にしようかな〜 バイクが欲しいしそれお願いしちゃおっかな」
「廃墟ってそういうのもOKなの?」
ニコが八代に聞く。
「さあ、知らん」
八代が笑いながら答える。
そうこうしていると人の量が減り、イオンの出口が見えてきた。
「ここ抜けたらM棟に出るわね」
八代がポケットから折り畳み式の電子版を取り出す。
「え、何それ…」彼女の手のなかにある未知の物体に驚くニコ。
「あ、これ? プランセットよ。だいぶ前のモデルだけど」
彼女はそう言いながら電子版を広げ、アジン内の地図を表示した。
「プランセット…、すげえな…」二人とも目を丸くする。
「あんたらほんと何も知らないのね。動物と一緒にいるみたい」
「そこまで言わなくても…」
「まあいいわ、じゃあ説明するわね」
団地の出口のすぐ手前まで来た三人は、廃車の影に腰をおろす。
「えーっと」軽く咳払いをして話し始める。
「今私たちがいる場所がここ。赤く光ってるとこね。見てわかる通り、団地の面積はアジンの五分の一にも満たない。つまり団地の外にもアジンは広がっていて、そこにもたくさんの人間が住んでいるってこと」
八代がゆっくりと二人の目を見ながら説明する。
「そんくらいわかってるよ。もう20年くらいここにいるんだから」
「でもあんた達団地の外にはほとんど出たことないでしょ?」
八代の食い気味な言葉に二人は思わず頷く。
「団地の外には主に移民が住んでる。あとは団地にすら入れないような大貧民。多分そいつらは言葉すら話せないわ。で、私たちが行こうとする場所はここ」
八代の刺した地点が赤く光る。
「アジンの一番端っこじゃないか」
アナトがため息をつきながら言う。
「そう。距離で言ったら8キロくらいかな。だから歩いて2時間くらい」
「はあ、結構あるな…。アジンってそんな広かったのか」
「そうね、結構あるわ。そして何より重要なのが、ここから先は色んな人間が自分たちのテリトリーを守ってる。つまり韓国人もいれば中国人も、ロシア人もいるしヨーロッパの人間だっているかもしれない。そいつらは常に他人に自分の縄張りを荒らされないようにピリついてんのよ。だから下手なことしたら秒で殺される」
八代がニヤッと笑いながら二人を交互に見る。
「…ふう」
ニコが自分を落ち着かせるように深呼吸をする。
「アジンはどんな場所?」
八代が二人に尋ねる。
「無法…?」
二人が声を揃えていう。
「つまり?」
「自由…?」
「そう。だから私たちもなんかされたら殺せばいい。そいつらが良い武器持ってたら奪えばいい」
八代はベルトについている銃をポンポンと叩きウインクした。
「お前なんかかっこいいな…」
アナトが感動の声を出す。
「そりゃあんたらより一回り上ですから」八代はそう言って笑い、説明を再開した。
「で、そのヴァディトの孫の血筋は旧ソビエトなの。まあざっくり言うと今のロシアね。だから今赤く光ってるところ一帯はロシア系の奴らがウヨウヨいる」
「お前言葉わかんのか?」
アナトが聞く。
「大丈夫よ。私は英語喋れるし、それにこいつらもアジンにきてかなりの月日が経ってるはずだから多分私たちの話す言葉を理解してくれるはず。少なくともその孫はしゃべれるわ」
「ほぉ、なんか案外サクサク進みそうだね」
ニコが嬉しそうに言いながらタバコに火をつける。
「まあそうね。途中で変な輩に絡まれなければ、ね。あと夜にここら辺を歩くのは命取りだわ。今16:00だから…、早く行かなきゃ」
八代はそう言いながらプランセットをポケットにしまった。
その時だった。
パーッン。
遠くから銃声のような、いや銃声が聞こえたのだ。
驚きのあまりニコが手に持っていたタバコを落とす。
「うわ…、まじかよ」
「おいニコ! いいから隠れろ!」
アナトがニコのズボンを引っ張る。
「早速お出迎えね」
八代が笑みを浮かべながら銃を握る。
「多分韓国の輩よ。こっから300メートくらい離れたところにでっかいデンがある」
「デンって?」アナトが声量を下げて聞く。
「あぁ、さっき言い忘れてたわね。それぞれのコミュニティのことよ。村的な」
「ああ、なるほど…、そのデンが近くにあるのか…。で、どうす…」
アナトが言葉を言い終わる前に八代は走り始めた。
「おい! ちょ…」
「楽しくなってきたねアナト」焦るアナトを無視してニコが新しいタバコに火をつける。
「ああ…最高に最悪だよ」
「ここってどんな場所だっけ?」ニコが煙を頭上に吹かしながら言う。
「無法だ」アナトの額が汗で光る。
「ってことは?」ニコも緊張で汗ばんでいるのがわかる。
「自由だ」
二人は声を揃えて言い、八代が走った方向に走り出した。
三人は危険な荒地を抜けることができるのだろうか。
八代、アナト、ニコの背後に、不気味なほど巨大な建造物がひしめいている。
現代社会の産物、アジンが。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?