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第39回「太閤、くたばる」10月15日

秀吉が、ついにくたばりましたね😄 

ドラマでは茶々さん、「秀頼はあなたの子だと、お思い?」と、ここでゆっくりと首を左右に振り、「秀頼は、この私の子。天下は渡さん」と死にかけている秀吉に突きつけていましたね。
これをどう読むか?
わたしは間違いなく、秀頼の父親は秀吉ではないと思いました。
秀吉は茶々以外の妻とは子供ができなかったことや、秀頼が高齢時の子であったことから、父親には諸説があり、歴史ミステリーとされてきました。
古沢良太脚本では、こう来たか! と、また見事な手法で歴史の空白を埋めてきましたね。
ちなみにドラマではなく史実のほうですが、秀頼が秀吉の子である確率は、医学的には限りなくゼロに近いと言われています。

「秀頼はあなたの子ではなく、私の子である」

織田家から天下を奪った秀吉に対して、秀吉の血が入っていない(いないかもしれない)秀頼によって、織田家が再び天下を取り戻す。
これが、実父(浅井長政)と養父(柴田勝家)を秀吉に殺された茶々が、生涯をかけて仕掛けた復讐だったのかもしれません。
恐ろしくも悲しい復讐劇ですね。
最後の茶々の涙が、せめてもの救いのような気がしました。
ちなみに「くたばる」ですが、1241年に書かれた『観智院本類聚名義抄』では、「憔悴する」とか「ひどく疲れる」というような意味で、すでに使われている言葉です。
日本では古くから使われている表現ですね。
また、現代人が使っている死ぬことを罵っていう表現としての「くたばる」は、1667年の『評判記』や1683年の『雑兵物語』に記述が見られるので、江戸時代初期あるいは安土桃山時代後期(戦国時代)には、一般的に使われていたようです。
なお、昭和になると1981年に『ウエディング・ベル』(シュガー)が大ヒットして、「くたばっちまえ。アーメン」の歌詞が流行ったものです。
女心の可愛らしさと恐ろしさが、素敵に表現された「くたばっちまえ」でしたね。
今回の茶々も様々な思いが詰まった「くばっちまえ、アーメン」でした😄

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