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赤いD(鍵付き)

私が小学校1年生の頃、母親が仕事で東京に出掛けた。

2020年1月以前(コロナウィルス感染者がまだ国内にいない頃)は平気で毎月東京に遊びに行っているような私だが
小学生の頃の東京といったら大都会だ。花の東京だし、芸能人がいるところだし、なんだったら異国のようなものだ。

そんな場所に母親が仕事で行くのだから、「お母さんすごいなぁ。」と私はひたすらに感心し、感動した。東京で仕事。キャリアウーマンみたいでかっこいい。

 
そんなかっこいい母親は私にお土産を買ってきた。
それが、巨大なキティちゃんの貯金箱と赤い日記帳だった。
私は大いに感動した。東京の品を私が手にしている。部屋に東京のものがある。関東の片田舎に住む私の脳内でレベルアップの音が聞こえてきそうだった。

かわいらしいキティちゃんの貯金箱は高さ30cm以上で、6歳の私が両手で抱えても大きい。
今にして思うと巨大な割れ物を東京から持ち帰ってくるのはさぞ大変だと思うし
東京らしさは感じない品物だったが
いまだにあの貯金箱を他で売っているのを見たことがない。レアものには違いがないのだろう。
私はその巨大な貯金箱をきっかけに小銭貯金を始めたし、小銭貯金が趣味にもなった。

なお、その貯金箱は地震の時に割れてしまい、今は別の貯金箱がレギュラーで使われている。

 
後に姉が男の子を産み、母はやはり小学生になったばかりの孫に巨大なドラえもんの貯金箱をプレゼントしていた。
東京土産ではなかったが、別の県でやはり買っていた。
子にも孫にもとにかく大きな貯金箱を買ってあげたいようだ。大は小をかねるからだろうか。

 

 
さて、貯金箱の他に私がもらったものは赤い日記帳も東京らしさは皆無だったが
子供心をときめかせるものがつまっていた。
真っ赤な日記帳は白の水玉模様で、しかも鍵付きだった。
記憶に自信がないが、おそらくこちらもキティちゃんのコラボ日記帳だったと思う。
鍵がついている。予備の鍵さえついていた。
日記帳には金色の鍵穴が横にあり、鍵をかければ中が読めない仕組みになっていた。

学校と家がメインの小さな世界で生きていた私はビックリした。
宝箱の他に鍵穴があり、鍵があるものがあるとは。
しかも宝箱は絵本の世界で、現実には見たことがない代物で
右手におさまるほどの金色の小さな鍵で日記帳を開けたり閉めたりするのがワクワクした。
そう、日記帳の見た目のポップな可愛さと鍵のインパクトがあまりに強すぎて、キティちゃんコラボかどうかの印象がないのだ。
やはりこちらも、売っているのを見たことはいまだにない。ある意味、東京土産…レア物だったのかもしれない。

 
私は日記帳にのめり込んだ。
覚えたての平仮名やカタカナや漢字でその日の出来事を書いたり、チラシで気に入った写真をハサミで切って貼り付けたり、隙間にお姫様のイラストを描いたりした。
日記帳兼自由帳のような扱いだ。 

私の日記帳の中身は別段特別なものはなく、わざわざ家族が盗み見するほどのものではないだろうに、やたらと鍵を開け閉めした。
むしろ日記はおまけで、鍵の開け閉めがメインになっていたかもしれないほど、私は図に乗っていた。
日記を読まれるのが恥ずかしいから鍵をかけるのではなく、鍵を開け閉めできる自分はすごいという、中二病ではならぬ、小一病だ。

やがて日記は書き終わる前に鍵は壊れた。鍵がかからなくなったのだ。
カシャンとした音もせずに、ただ鍵穴に鍵を入れる行為は空しさが増した。
多分割と高かったであろう日記帳は三ヶ月程度で書き終わり、日記帳としての役目も終わった。

 
 
それから数年後、小学生の頃に買った月刊誌リボンに付録で日記帳がついていた。
あぁそうだ、私、昔日記帳書いていたなぁと思いながら何気に書き出した日記をつける行為が楽しくて
私はそれから毎日日記を書く習慣がついた。
最初は赤い日記帳で始まり、2冊目はリボン付録、3冊目以降は文房具屋で買ったいかにもな日記帳だったが、高校生からは普通のノートに変わった。
書く量が日に日に増え、日記帳だと割高になったからだ。

そして大学の頃からブログを始めることになり、日記もアナログからデジタルへと移行した。
それまでに書きためた日記帳は段ボール一箱分にもなった。

今から10年前、家を引っ越すことになった。
段ボール一箱分の日記帳をとっておくか迷い、私は捨てることにした。
「勿体ない。」と周りからは言われたが、日記は読み返すことはなかった。引っ越すにあたって軽く読み返したが、あまりの恥ずかしさに日記帳をぶん投げた。
日記は日常を綴り、感情を吐き出すものだ。
まして思春期特濃日記はとてもじゃないが人様に見せられない。
何かしらで私が日記帳を誰かに処分してもらう身になった時、これを読まれるのは耐えられない。

捨ててから10年経つが、悔いはない。
自らの手で捨てたからだ。
だが、ネットで公開していたブログサイトが閉鎖した時はショックだった。
日記帳と異なり、ブログは人様に見せるようにアレンジしたもので小まめに自分でも見返していた。
コメントや足跡機能、読者登録機能も嬉しかった。

当時はHPが乱立していたが、やがてブログが流行し、FacebookやTwitter、インスタ、Tik Tokと10年経たないスパンで次から次へと流行りだしていく。
noteを使い出した人も周りは多い。
今後noteを使う人はより増えていくだろう。

 
こうしてすっかりノートに日記を書くことはなくなったが、私の原点はあくまで赤い日記帳だ。
アンネ・フランクが誕生日プレゼントにもらったものも赤い日記帳だし
ハロプロも昔、「赤い日記帳」という曲を出した。
きっと赤い日記帳は乙女心をくすぐる大きな魅力があるのだろう。

私ももし誰かに日記帳をプレゼントするなら、赤い日記帳を渡したい。
その誰かが、いつか産まれる我が娘なら一番いい。

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