エッセイ 告〇 その2

「というとと、いうと?」という、ほぼ白旗な言葉に、
若者と老婆が
ここにいるのに凄い馬鹿な人なのか? 
見るに堪えない卑怯を平然と行う奴なのか? など、
自分にとって、胸糞悪い未来が過ったせいか、
ほんの一瞬、真顔に戻った。  頭が良くて助かった。

その一瞬の後に、
「お肉券いいじゃないですか? 
 一回、このご時世のことをなしで考えて下さい。 
 例えば、全然あわない親戚の人に、お肉券もらった嬉しいですよね?
 駅前にオープンした焼き肉屋が
 記念の無料食べ放題お肉券を配ってら貰いますよね?   
 どうですか? 貰いますよね?」と一気にまくし立てた。

このご時世だから、呼ばれたのに、なしにして考えてくださいは勝負手だ
そこを逮捕されたら、私の負けだ。 廃人行き決定。
お肉券にプラスされ、なしで考えてください発言の罪を重なる。
なので、すぐ例えを出し、話をすり替える。 
今、私が問いているのは、無料食べ放題お肉券を貰うかどうかだ。

若者も老婆も、貰わないと言いたそうだったが
ただ、貰わないは筋が悪すぎる。 
それで戦って勝ち目がないことくらいは誰でもわかる。
まぁここを認めたところで、優位だし、ここは普通に認めるかってな具合で
「まぁそれは貰うね」と答えた。

以前不利な状況には変わらないが、瞬殺は避けれた。
ここからは論点をズラしにズラして、何の話をしているかわからない状況に持って行って、難解な言葉を使い、けむに巻けるかどうかだ。 
勝ちのない戦いをつづけるのは、ツラいが耐えなければ廃人だ。 
やるしない。

どうズラすかを決める前に話し出そうとすると、今まで一切話さなかった
一目見ただけでは男なのか?女なのか?わからない
ただ、一目見ただけで、芸術家なんだとわかる人間が口を開いた。

芸術家は敵か味方か? 緊張しつつ、耳を傾ける
芸術家「・・・お肉はサラダがなければお肉とは言えない」

そう言い、目を閉じた。
芸術家は敵でも味方でもない。 芸術家は芸術家なのだ。 

「サラダは勿論つきますよ。 健康になって明るくなってと願ってるのに
 バランス悪かったら意味わかんないですからね 
 ただ、サラダ付きお肉券というと、インパクトに欠けるというか
 サラダは標記されてなくても参加するのが常識だと思うんで
 あえて、言わなかっただけで 
 それが生産者さんに失礼にあたるんであれば、
 標記したらいいなじゃいですか 僕はどっちでもいいですけど
 皆さんはどう思います?」
真面目な会議をしている空気感で、柔らかく言い切れた。

とりあえずこれで、
サラダを標記するかどうかを話し合わなければならなくなった
心底どうでもいい話題だが、これの結論を出さないと、私を追い込めない。
この話題を飛び越えて、私を追い込もうとしたら
私はこの話題が終わってからにしましょうよと難癖をつければ
いいだけだし、すぐこの話題の結論を出そうとしたら
サラダについて真剣に悩んだフリをすればいい。
「国産の野菜は標記して、海外の野菜は標記しないとか?」ってな具合に
また2択を増やせばいいだけだ。 

勝てはしないが、随分負けずらくなった。
芸術はいつだって私を助けてくれる。 

若者は、追い込むまでの距離を感じて、必死に最短の距離を探している。
なんとも諦めが悪い。 そんなじゃ失恋したら立ち直れないよ
切り替えて次の恋を探すほうが、いいよ
立ち直れないのは、運命の人を待たせているのと一緒だよ。
そんな罪深い事しないほうがいいよと思うけど言えない。
恋愛論を話すには年が離れすぎているし、今ではない。 
そして私は年上の優位性はなく、対等にもなれず
ただの狩りの対象なのだ。 
狩られるものに出来ることは狩られないようにすることだけ。

諦めの悪い狩人ほど怖い物はない。
要警戒だ。

老婆は、ブツブツ独り言を言っている。 

人間は嘘がバレた時と独り言を聞かれた時に、大きく信用を損なう。
老婆はやってしまっている。信用の無い狩人は、ただのサイコパスだ。

けむに巻ければ、最高だったのに、老婆のおかげで完全勝利が見えてきた。
私は老婆にお肉券にサラダを標記するのか?
ホルモンをお肉に入れるか? 
お肉券じゃなくてカルビ券にするのはどうか?
お肉のイメージだと焼き肉とステーキどちらか?
などなど、お肉に関する質問をし続けた。
老婆はすぐには答えないが、構わずに質問を続けた。

老婆は案の定イライラし始めて、ついに
「私はお肉券よりお寿司券のほうがいい」とボロを出した。

若者は余計なことをと言う顔をしてたが、時すでに遅し。

私は「お寿司券を配るのは、お肉券の後でしょう 
   そんなのちょっと考えたらわかるでしょう!!!!」と怒鳴った。

怒鳴り足りないけど、我慢している風を装い、机をバンバン叩き
椅子を投げようとした。 自分のスマホの画面を殴った。
危害を加えないという理性がはたらいているところを見せたかったのだ。

お肉券なんてものに反対の案を出したらダメなのだ。
同じ土俵に乗ったら駄目なのだ。
ただただ、 観客として反応していれば良いのだ。 

「お肉券のあと、落ち着いたらお寿司券の発表でしょう。 
 フェスだって一気に発表しないし、発表の順番を大切にしてますよ。
 お肉でワイワイ お寿司でしっぽりは、両方得してるけど
 お寿司でしっぽり お肉でワイワイは お寿司の存在が薄れますよ
 好きだというお寿司を傷つけてるのはアナタですよ」 

なんとなく通っているけど、反論のスキだらけの意見。
ただ、反論しようとすると抽象的過ぎて糸口が見つからない。
得体のしれない意見を堂々と言う。 これが現役の大人の手口だ。

老婆を仕留め、あとは若者をけむに巻けば終わりだ。
そんな時、また、芸術家が話し出した
「お肉にサラダ だったら、ヒジキも欲しいですよね 
 料理って地球を表現しているのかもしれないですね」

何とも芸術家らいし事をいっているが、ひどく鼻についた。
こう言う事をいう奴は、雰囲気でモテるのだ。
モテなかった過去の私がヤレと言ってくる。

私は過去の私の言葉に静かに頷く。

つづく

#エッセイ #日記
 


 






サポートしていただけると、励みになります