掌編小説「父と子の」
眠れない。障子をあけて、縁側に出る。
「奥方様、どうかなされましたか」小姓が聞く。「眠れぬので風にあたっているだけじゃ」
小姓は黙ってかしこまる。見張らなくてもよいものを。私は目を閉じる。
ふと、目の前にいるのは懐かしい顔。いや、これは数日前の記憶だ。かの者は、この馬鹿馬鹿しいほどに大きな城に私を訪ねてきた。お館様ではなく。
なんの話をしたのだったか。そうだ、柱だ。
真新しい城の私の部屋に立つ、古ぼけた、すすけて腐った柱。それを見るかの者に由来を説明した。
「この柱、そこに傷があるであろう?その一番下の傷は、あの子が八つの時にの、」思い出すと今でも顔が綻ぶ。「背丈をはかるのじゃ、と、お館様が申して。前に立たせて頭の上にしるしを入れたのです。その上の傷は、毎年私が測ってつけたもの。お館様は二度とそんなお戯れはせなんだ」
―では、この柱は。
「そうじゃ、前の居場所から、命じて切り取って持ってきたのです。この大きな城に」
柱の傷は、私の背丈よりも低いところで止まっている。子はとっくに私の背を越え、元服も終えた。
「もう戦が続いて、あの子とも滅多に会わぬが、この柱をたまに眺めると、なんだか落ち着くのです」
―おさみしいですね。
「かまわぬ。わが子には、とにかく父を敬え、と、そればかりを言ってきた。私の父と兄のように、骨肉の殺し合いになるのはごめんじゃ。そちもよう知っておろう。幸い、お館様も、あんな気性じゃが、子どもには優しいところもある。いや、これからあの二人が反目しあわないとは、言い切れないがの」
―いや、それはないでしょう。
「そうかの。しかし、ずいぶん大きな城に来てしまったものよ。広い世界を掌握しすぎて、もう二人とも、遠くて、わらわには見えぬ」
柱を見つめる。
相手は私を見ていた。つい言葉を重ねた。
「もっと小さい世界でよかった、そんな気もするのです。そちにだから申すが。美濃が懐かしいのう」
かの者がそこで頷いたのは覚えている。そしていつ去ったのだったか。そういえば、かの者は何をしにきたのだったか。思い出せない。
私はふと、小姓に尋ねた。
「お館様は今日はどちらへ?」
「は、本能寺に向かわれました」
「信忠も一緒か」
「左様で」
「そうであったな」なぜだろう、眠れない。
・・・・・・・・・・・
掌編小説講座の2作目。「背比べをした傷が残った柱」をモチーフに入れてください、というお題で、生徒みなさんが苦労したお題。私は柱を無理矢理持ってくる荒技に出ました。この作品は、私の意図に反して小姓が重要人物のように語られ、もう一人の重要人物になかなか気付かれず、という残念な結果に。みんなが大河ドラマを見ていると思ってはいけませんね。勉強になりました。その指摘を受け、ここへの掲載分は、少し書き直しました。
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