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主体的に観る

今日は昨日とおなじく、下北沢へすこし顔を出したのち、JJFのゲストステージを観に行った。

それぞれが長い経歴をもち、独自のジャグリングを歩んでいる3組によるステージ。内容はいうまでもなく、洗練されている。ただ、だからこそだと思うのだけど、ふと「ジャグリングって見るものではないな」という感覚にもなった。見るものではないというよりは、自分に活かすためのものだ、という感じだろうか。自分がジャグリングをする・つくるのがメインで、たまに刺激を受けるために人のジャグリングを見る、くらいのスタンスでいることが僕にはちょうどよいかもしれない。

思えば、すっかり忘れていたけれど、コロナ前、僕はジャグリングのステージを見ることに、すこし飽きていた。その気持ちが何なのか、そのときはいまいちわからなかったけれど、このコロナ禍のひとりジャグリングの期間を過ごして、自分のジャグリングをつくることにフォーカスしてきて、そして今日、なるほど、これは人がつくったものを見ているからなのかもしれない、と思った。人がマラソンでゴールをするところを見ても仕方ないし、人がつくったプラモデルの完成形を見てもしょうがない。自分で組み立てるから面白いのだ。逆にその主体的な態度でいてこそ、ステージ上のジャグラーを、より自分の目で見ることができるんだと思う。僕の場合は、ライブならではの道具の質感を感じるのが好きだ。そしてその質感を生むのは、ステージ上の、ジャグラーである。そんなことを考えたあと、だからこそ、この貴重な、リアルな、ライブの瞬間を逃すまいと、より集中もしていた。刻一刻と変わるジャグラーと道具との関係性は、気づきの連続だ。情報量でライブに勝るものはない。そうやって僕なりに観る。ひさびさに体験するJJFゲストステージは、これまでとは違う気づきと感覚があった。

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