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物思いNo.26:コンテンツにおけるコア層とライト層の関係性を考える

さて、今回はこんなお話。
コンテンツにおけるコア層とライト層の関係性について。

どんなコンテンツでも共通していますが、コンテンツの経過を辿る道筋として言われる、コア層がライト層へ強いあたりをして、新規の間口が減り、結果として後継者が育たず、その後衰退に至る、というような内容。
私自身が好きな日本酒というコンテンツで、時折そのような気配は感じます。

そのことについて考えてみました。
散々言われていることでしょうが、一度は自分の言葉にしてみたいものですからね。

コア層とライト層の前提

コア層、とはそのコンテンツの関係者であったり、関係者でなくともそこにつながりがあったりするような人でしょう。
心酔し、生きがいとなっているような人も多いでしょう。
どれくらいそのコンテンツに触れればコア層になるのか、というのは、モノによりけりでしょうけども。
ただ、コア層がコア層と言われるに至るまでには、それ相応に時間や経験、努力があると言えます。
結果としてそれがプライドであり、自信、そして自慢につながるものになります。

そして、ライト層。
ライト層は、そのコンテンツに興味を持ち始めたような状況の人でしょう。
ただ、同じライト層といっても、程度の差があります。
何かをきっかけに知り、自分で調べたりする人もいれば、どう触れていけばわからず手段を模索している状況の人、一方で何も行わなかったり、受動的な人もいるでしょう。
そう、つまり、同じ「ライト層」という言葉でも、一言でくくれないのです。
当たり前すぎるけども、意外とこのことを忘れてはいないでしょうか?

ピラミッドのような相関図を考えれば、頂点から少数の割合がコア層、その下がライト層でしょう。
ライト層の方が多いのは当たり前です。かつ、個人的には大切にすべきはライト層と考えます。
ゼロをイチにすることと、イチからジュウ、ヒャクに進むパワーは明らかに異なります。
ゼロからイチにすることの方が圧倒的にパワーが必要で、かつ難しいのですから。
ゼロからイチになってしまえば、そこから先は自分で(いわば勝手に)進みます。それも二次関数的にとんとん拍子に進むのです。
いわゆる、「沼にハマる」という状況でしょう。

コア層とライト層のスタンスの違い

コア層の楽しみ方と、ライト層での楽しみ方は、別物であるはずです。
ライト層は興味関心の向上、未知との出会いなどがウエイトが大きいでしょう。
一方で、コア層では共通するものはあれど、自身の楽しみ方にあわせさらなる自己実現、自己追究の側面があるはず。
それを意識しないとすれ違いが起こることは必至です。
ただ、これが“〇〇の楽しみ方”と、同じ単語で表現されてしまうから誤解が生まれやすいのではないですか?
ライト層側から見た際に、無条件にコア層の時間や経験のエッセンスを、効率よく享受できると思ってしまっていることもあるのではないでしょうか。
いわゆる「教えてクレクレさん」「いいじゃないですか、減るモノじゃないし」のような態度。
ただ、コア層からすれば、そんな義理は正直ありません。
前提として、赤の他人同士であることがほとんどなのですから。
また、少しは自分で努力する様子がみえないと、いよいよ辟易としてしまって、「自分で調べろ」とか言ってしまうことにつながるのではないでしょうか。
コア層同士、わかる人と話したい時もあります。
「話のわかる人と話したい」という感覚。
そういう楽しみ方が好きな人も、少なからずいるのですよね。

なぜ、コア層がライト層を排撃してしまうのか

なぜ、コア層がライト層を排撃してしまうのでしょう?
それは、自身の立ち位置の勘違いにあるのではないでしょうか。
いつぞやはライト層だったのが、気づけばコア層にいる人が一定数いるはずです。
立ち振る舞いはコア層なのに、自意識がライト層。
そのような、自覚がない人や、自覚していて自虐する人が、最もライト層を傷付けるシチュエーションを作ってしまうのではないか、と危惧しています。
自分がライト層からコア層に移りゆくことを自覚することはなかなか難しいでしょう。明確な基準やスイッチがあるわけでもありませんからね。
ただ、謙遜するのはいいけど、相手が望んでもいないのにひけらかすのは事故のもと。
高気圧と低気圧の間に雲ができて雨が降るように、不用意な衝突が悲劇を生むのではないでしょうか。
例えば、プロスポーツ選手同士でのやりとりと、一般観客同士のやりとり。
自宅や居酒屋でTV観戦しながら好き勝手言うシチュエーションと、その本人を目の前に据えた時。
たとえその“スポーツ”という同じコンテンツとはいえども、プロスポーツ選手と一緒観客が接点を持てば、お互いに普段とは異なる対応になりませんか?

コア層とライト層の境目で立ち振る舞うということ

どんなコンテンツでも、優れた「先導者」はいるでしょう。
その方をきっかけに興味をもった、という広告塔のような人がいるはずです。
それはつまり、コア層とライト層の境目で立ち振る舞うということ。
コア層とライト層の境目に自ら赴き、かつ、その時々のライト層にあわせて知識や経験をアレンジメントして丁寧に教えられる人ということ。
なんと類い稀なスキルと人格の持ち主なのでしょうか。あまりに希少な存在でしょう。きっと仕事ができる人だと思います。

あなたは、自分の好きなコンテンツを、よく知らなかった頃を思い出しながら、説明できますでしょうか?

私の目指す方向

コアに突き進む姿もいいが、ライト層とのバランサーもいい役回りだと思います。
私はコアな楽しみ方も知っているし、ライトなスタンも楽しめるバランサーになりたいですね。
まさかの欲張りセット
なぜなら、教えてくれた人とお店がまさにバランサーだったので、その恩返しをしたいからです。

まとめ

  1. コンテンツにおいてのコア層・ライト層の中でも、程度の差がある。その前提を忘れないようにする。

  2. コア層とライト層で、コンテンツへの触れ方が異なる。この前提も忘れないようにする。

  3. 両層の不用意、突然の接触が不慮の事故が起こりやすいのではないか。

なんだかまとまらないまま、殴り書きしてしまいました。
抽象的に書かざるを得ないが、どのコンテンツでも共通しそうなことだからこそ、抽象的にせざるを得ませんでした。
・・・うん、察してください。

それでは、今回はここいらで。

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