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フランス南西部の街(8)Saint-Andre(サンタンドレ)

サンタンドレとはSaint-Andre、つまり聖アンドレのことです。これはキリスト教の聖人の名前ですね。さしずめセント・アンドリューといったところでしょうか。

その聖人の名前のついた街がペルピニャンの近く、ピレネーの山の麓にあります。
ペルピニャンからスペイン方面に20kmほど南下していき、アルジュレスという海に近い街のあたりで内陸方面、右に曲がりますと着きます。
たいそうな名前の由来ですので何か大変なゆかりがある街かというと、さほどそういうわけでもなく、とりたてて観光名所などもない、ごくごく普通の小村です。

海と山に囲まれていて、鮮やかな色彩の陽光が目にまぶしい、とても環境の良いところです。
スペインもすぐそばです。
このあたりはワインもおいしいですね(ぼくはのみませんが)。


こちらは冬バージョン。ピレネーの山に雪がつもっています。

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さてこのサンタンドレは、私の母が5年間住んでいました。
人生の最後に住んでいた場所です。

前にもポルティラーニュのところで書きましたが、母とアンドレはこのサンタンドレからポルティラーニュへの引っ越しを計画していました。しかし、母は病に倒れてしまい、新居の完成を見ることなく他界してしまいます。引っ越し予定日は、皮肉なことに母が亡くなった一週間後でした。

ですので、母親はこの家で、いや正確には、この家から救急車でトゥールーズの病院に入院して、そして亡くなりました。
まさに、人生の最後のかがやきがここで過ごした日々ということになります。

これが、母が住んでいた家です。

庭のようすです。
オリーブの木がありました。

ここでの母親は本当に幸せでしたね・・。
大好きだった自然があり、大きな山があります。
車で数分も走ればアルジュレスの海です。
そして、毎日大好きなダンスをして、すてきな友達に囲まれて、おいしいものを食べて、素晴らしい旦那さんと一緒に仲良く暮らしていました。
そして、母親は何よりフランスが大好きでした。

母親は、それまでがやっぱり苦労してたんです。
女手一つでぼくたち兄弟を育てましたから、やっぱり並大抵ではなかった。
つらいことがあったのか、よく、夜中に酒を飲んでひとりで泣いていました。
子供心に、そんな母親の姿を見るのはイヤだったし、ぼくに向かって涙ながらに愚痴をこぼす母親も嫌いでした。
わかるでしょうか。そんなに、素直に全部を感謝で受け入れられるようなことばかりじゃないんです。
そして、母親はぼくたち兄弟が就職したのと同時にフランスへと旅だって行きました。
良いも悪いも全部含めた、これまでの想いが詰まったもろもろが、でも全部一緒くたになって、そして最後に美しく結実した場所、それがフランスだったんです。

母親の最期の五年間が比類なく美しかったことは、そのためによりいっそう早すぎる死を悲しくもさせ、一方では、幸福な中で人生を終えられたということがせめてもの慰みでもありました。

このサンタンドレの墓地には、母親の死後、母親の友達が作ってくれた石碑があります。
「私たちの友達 Nobuko 永遠に」というようなことが書いてあります。

後日旅行に行った時に、そのお友達の家を訪ねていき、石碑にも足を運びました。
奇しくも母の命日でした。
やはり、この街は想い出がありますので、そこで見る石碑、そしてお友達の心づかいには、胸をうたれるものがあります。

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さて、まあそんなわけですので、わたくしはこのサンタンドレについては、現存している日本人ではおそらくもっとも詳しいんではないかと思います。
なにしろ、おそらくのべで数ヶ月は滞在していますから、だいたい街のどこに何があるかを把握しています。パン買ってこい、といわれればいますぐパン屋に行って買ってきますし、教会やら役場やらのランドマークも案内できます。
周囲の街からの位置関係もだいたいわかります。今、何も見ずに行けといわれても行けますね。
最寄り駅のアルジュレスから車か最悪自転車を一台貸していただければ、10分程度で着くことができます。

といっても、すごい小さな街なので、1-2日滞在すれば誰だって一瞬で把握できるとは思いますが・・。

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村役場です。こんな小さな街でも7/14にはセレモニーをやっています。

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この街で唯一といっていいか、シンボル的なのはやはり教会です。
こちらも、私が歴史的なことをほとんど理解していないので恐縮ですが、ロマネスク様式の教会としてそれなりに知られているようです。教会の脇には、とても小さなロマネスク博物館があります。

こちらがロマネスク博物館

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小さな街ですから、ちょっと歩くとすぐにぶどう畑です。

この道は、何度も何度も散歩したり、走ったりしました。
母親が元気なときも、亡くなった後も、ひとりのときも、家族と一緒の時も、自分の足で歩きました。
足が土を踏む感触、吹きわたるかぜ、照りつける日差し、ぶどうの緑。
今でもありありと思い浮かべることができます。
これが、ぼくにとってのフランスです。

※この文章は2009年に書かれたものをリライトしたもので、現在では状況が違っている場合があります。ご了承ください。でも多分たいして変わっていないと思います。
※あと、この街だけ特に古い時期の写真なので、懐かしい画素数のデジカメ画像です。

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