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昭和の小学生、ネパールに行く(6)_Nepal in 1979 カトマンズのごちそう

 1979年、小学校2年生の時に初めての海外旅行で母とネパールに行きました。


 さて、地獄の深夜特急、ネパールのジャッカルがいる山中で真夜中にタクシーがガス欠になり、間一髪のところ赤十字の車に救出された大源太くん母子は、明け方の四時に命からがらカトマンズのホテル・ブルースターにたどり着いた。一緒のツアーだった方の部屋を貸してもらって少し仮眠し、八時半に朝ごはんを食べてから部屋が割り当ててもらって、やっと落ち着いて洗濯などをする。お昼まではゆっくりした。
 お昼ご飯の後、ツアーで一緒の皆さんが「カカニの丘」に夕焼けを見に行くと言うので、一緒に行くことにした。カカニの丘とは、カトマンズの近郊にあるビューポイントとして有名なところである。以下は母の日記に書かれていたカカニの丘の様子。

 カカニの丘に行く途中、坂道から見える景色はどこまでもどこまでも段々畑だったそうだ。急なスロープの畑の中に、点々と家がある。よくこんなところで生活しているものだと思う。
 三千メートル近いカカニの丘まで段々畑は続く。今日は暑いくらいだったが、カカニの丘は高所のせいか寒かった。
 山はあまりはっきりとは見えなかった。すごいすごいと言っている山は全て前衛の山々で名前がないと聞いてがっかり。大は夕焼けの山を見て大喜び。帰り道はもう真っ暗。星が綺麗だった。夕ごはんはホテルのレストラン。

母の日記より 
カカニの丘からヒマラヤを眺める。しかしやはり当時のカメラの性能か、山の様子はあまりよくわからない。確か、コダックのポケットカメラみたいなのを使っていたなぁ。。
なつかしいWの帽子の大源太少年
お母さんと
もう、西遊記である
途中の家。段々畑がかろうじて確認できる。

 翌日は、カトマンズの街で買い物をして、ぼくと同じ歳のテンジンくんの家に遊びに行く。
 母の日記には、まずニューロードのカシミール地方の特産品を扱った店で、お土産をたくさん買ったとある。
 その後に、ダーバースクエアに行き、前王宮の中に入ってみたそうだ。母の日記によると「迷路のような建物だ。こんな石の薄暗く、寒い建物に最近まで人が生活していたのかと思うと、びっくりする」とある。ここはこの15年後、社会人になった岡島大源太が再びカトマンズを訪れた際にも来ている。

15年後に同じ場所で 
15年後
15年後
15年後
15年後
どちらも紙焼きをスキャンしているけど、明らかに15年後の方が画質がいい不思議

 インドラチョークを通ってテンジンくんの家に向かう途中、弟のおみやげにあやつり人形を買った。近くで水牛が首を刎ねられて、流れ出た血を犬が舐めていた。人混みの中で後ろから強く押すものがあるので、振り向いたら牛だった。
 これは母の日記からの抜粋だが、わずかな間になかなかインパクトのある情報が満載である。

弟に買ったお土産のあやつり人形
今見るとちょっと怖い

 テンジンくんの家のレストランで焼きそばと、大根とにんじんのチベッタンサラダを食べた。とてもおいしかった。親切なことに、大した金額じゃないからと代金を取らなかったそうだ。
 その後、テンジンくんのお母さんにお願いして、母はチベット服を買いに行く。ブラウスとスカートで90ルピー。一度ホテルに戻り、チベット服の裾上げなどをして、夕飯の時にまたテンジンくんの家に行く。母はそのチベット服を着て行った。テンジンくんのお父さんは、母の姿を見て、「チベット人だ。まるでチベット人だ」と言ったそうだ。

チベット服を着た母

 ごちそうはジャーコという鍋料理だった。にんじん、カリフラワーなどの野菜、肉団子、春雨、ゆで卵、豆腐、油揚げ、きくらげなどの材料で、日本の鍋料理と変わらなかったそうだ。あまり記憶にないので調べようとしたらジャーコと検索しても全くヒットしない。色々検索語を変えてみると、どうも、「ギャコック」というのが日本での今の通称らしい。検索して出てきた写真は確かに日本の鍋のようで、そしてうまそうである。
 ぼくははじめつまらなそうにしていたらしい。まぁ、でも、親同士の知り合いの家に行った時なんて、そんなものかもしれない。ましてや、ここはネパールなのだ。ぼくはどうにも暇を持て余して、コーラの空きびんをコーラの入っているコップに突っ込んでこぼすという意味不明な事件を起こしている(びんの中に空気が入るのかと思った)。ただ、不思議なもので、この時の光景ははっきりと今でも記憶している。
 ぼくはテンジンくんと一緒に折り紙をして遊び出した。
 テンジンくんは飛行機を作ったが、日本と同じ作り方だったという。
 ぼくが作ったカメラの折り紙(ぱちっとなるやつ)をテンジンくんが気に入って、ぱちっとやっては紙に絵を描いて写真のかわりにして、二人仲良く遊んでいたそうだ。記憶にある限り、日本語以外のコミュニケーションをして、意思疎通ができて楽しいと感じた最初の瞬間がこの時だったと思う。

テンジンくんの一家






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