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キネマ備忘録

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映画を観て、広がった世界のこと
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#日記

車窓から覗く胸の痛み (『ドライブ・マイ・カー』考察)

 車の中から、窓の外を見る瞬間が好きだ。  晴れだろうと雨だろうと、私は守られている存在で、一歩引いた姿勢で景色を楽しむことができる。流れゆく折々の場面は、ひとの人生を体現しているようにも思えて、ほんの少し切なくなることもある。高速道路を猛スピードで駆け抜ける車、突如として広がる海の青さ、激しい雨が窓を穿つ音。  自分で運転をすることも好きだけど、誰かが運転をする車に乗ることも同じくらい好きだ。外を眺めることに集中することができる。巡りめく景色の中で、自分がこれまでどのよ

思いが麗かにそっと、流れゆく

 この世から肉体として消えた時、彼らの存在は消えるのだろうか。  いつだったか、幼い頃、親から今の悩み事は何かある?と聞かれた。私はしばし足りない頭で考えたのちに、この世から私がいなくなってしまったことを考えると怖いですと答えた。親が、目を丸くしたことを思い出す。  ひとり暗いベッドの中に潜り込んで、自分の中の深い深い心の中にどっぷり浸かる。今でも、棺桶の中に自分が入った時のことを想像してゾッとしてしまう。誰しもいつかは死ぬと分かっているのにも関わらず、恐怖が胸の中を席巻

休みの最後、クラシック

 4連休の最終日は、家で静かに映画を見たり本を読んだり時々気まぐれで簿記の勉強をしたりしていた。簿記については正直細く長く勉強しているので、もはや自分でも受かりたい気持ちがあるのか甚だ疑問だ。そもそも人は勉強するにしてもその先に何かないとやる気が上がらない生き物なのだろう(それは私だけかもしれないが)。  久しぶりにクラシック映画を見た。1927年にドイツで製作された『メトロポリス』。Amazon Primeとかでも見られなくて、仕方なしにTSUTAYAで借りた。こうした昔

隙間に挟まれた人の意識

 昔、学生時代に誰もいない道を自転車漕いで必死に進んだ覚えがある。北海道のだだっ広い道を深夜頭がふらふらになりながらただひたすら直進していったのである。途中で疲れ果てて、道路の真ん中に思わず倒れた。思いの外地面は冷たくて、自転車を漕いで火照った体がひんやりして気持ちが良かった。大の字に寝て頭上を見上げると、満天の星が広がっていた。あの時自分はいろんなことから自由だ、とぼんやり思った。 *  前からずっと気になっていたビン・リュー監督の『行き止まりの街に生まれて』を見た。キ

クレーム・ブリュレの恋人

 仕事でオンライン越しに打ち合わせをする機会があるのだが、なぜかみんなミュートかつ動画もオフにしているので一体誰が何を喋っているのかよくわからないという不可思議な時間にも最近ようやく慣れた。これが新しいビジネス様式と言われると何だかそれも違う気がする。顔の見えない相手ほど、不気味な光景ってないと思う。 *  相手が見えないことによって、膨らむ妄想も確かに存在する。なぜだかぼんやりとした輪郭だけが浮かんでいて、相手の姿を掴もうにもまるでぼやけてなかなか全体が見えてこない。何

現実に変わった夢の後先

 幼い頃は、宇宙飛行士になりたかった。 *  きっと誰しもなりたかった職業やこの人になりたいと憧れていた人がいたことだろう。その夢に向かって奮闘した人もいるだろうが、歳を重ねるにつれて、自分の能力と現実を思い知り、志半ばで幼い頃に夢や希望を諦めてしまった人も少なくないと思う。  先日に引き続き、古典映画を改めて鑑賞するといった活動を続けている。  今回観たのは、ウッディ・アレン監督の『カイロの紫のバラ(原題:The Purple Rose of Cairo)』。ウッデ

孤独と空虚が隣り合わせ

 最近、名作といわれている作品を日がな時間がある時に鑑賞している。その中で先日観た作品が、『タクシードライバー』という映画。本作品は、映画.comの評価を見ると星が3.7となっており、ALLTIME BESTにも選ばれている。 でも、わたしはどうしてもこの作品が好きになれなかった。  単純に作品の雰囲気が嫌いなのだという感想で終わってしまうと、そこで思考停止だ。そこで、改めて自分の中でなぜ好きになれなかったのかということを問いかけてみた。  まずは、『タクシードライバー

真昼の日輪を追いかける

 最近ハマっているのは、自転車に乗ること。  住んでいる場所が田舎なこともあって、歩いて回るにはとにかく不便。そんなわけで、昨年末にtokyobikeのbisouという自転車を意を決して購入した。思った以上にお金がかかってしまった。それでも、小さな楽しみを得られたと思って満足している。運動不足解消も兼ねて、愛機に乗り周辺を駆け回ることが、近頃における週末の日課。  目的は、ランチ巡りだ。  緊急事態宣言が発令されていることもあるので、密を避けるような形でコア時間を外し、

アメリカン・ポップカルチャーに踊らされる

 昔からコカ・コーラやマクドナルドといった、いわゆるアメリカの資本主義のシンボル的なモノ達が好きだった。  青春時代(あの頃は若かった)、ポスターを集めるのにいっときハマって、アンティークショップに行っては目ぼしいものがないかどうか漁っていた。学生時代、ニューヨークにあるMOMAへ立ち寄った時、かの有名なキャンベル缶がいくつも描かれたアンディ・ウォーホルの作品を見ていたく感動した記憶がある。   感覚的には、きっと古き良きものを愛でる感覚と通ずるものがある気がする。昭和レ

夢の終わりを、見たくなかった。

 最近は少し家でひっそりしつつ、時間があればぶらぶらと近所を散歩し、それから気が向けば映画を観るといった反復運動の中で生きている。  私はこれまで一度読んだ本、そして観た映画というのは基本的には見返さないという生き方をしてきた。それはなんとなくあらすじも結末もわかっている話を再度見直すというのは、時間が勿体ないという考えが頭の中にあったから。それがここ最近は、少しずつだけれど昔見て"記憶の中を掘り起こす"という活動をしている。  そして今年最初に観直したのは、ジュゼッペ・

時間を旅する人たち

水の上に石を落とすと、静かに波紋が揺れる。 ちょうど日常のちょっとした変化に対して、それがまるで波紋のようにだんだんと異なる影響をもたらすことをバタフライエフェクトというそうだ。 そういえば昔『時をかける少女』というアニメ映画を見たことがあるけれど、主人公が過去に起こした出来事によって未来が大きく変わってしまうという、そんな道筋だったように思う。3作品にわたって制作された『Back to the future』もそうだ。 タイムスリップをネタにした話なんてものはこの世の

さよなら、ドビュッシー

休みの日、なかなか表立って外に出づらくなってしまったので、とりあえず映画を見よう!と思い立ち、契約しているネットサービスを漁っていたらなんとも懐かしいタイトルを見つけた。 『さよなら、ドビュッシー』<あらすじ> ピアニストを目指す16歳の遥は、両親や祖父、従姉妹らに囲まれ幸せに暮らしていたが、ある日火事に巻き込まれ、ひとりだけ生き残る。全身に火傷を負い、心にも大きな傷を抱えた遥は、それでもピアニストになることをあきらめず、音大生・岬洋介の指導の下、コンクール優勝を目指してレ

『男はつらいよ』の生き方に寄せて

頭の上には印象的な帽子、帽子の下は四角い顔、そして帽子と同じ色をした背広、手には四角い形をした昔ながらの硬そうなカバン…こうした特徴を挙げていくと、頭の中に広がるイメージ。そう、フーテンの寅さんです。 今日は火曜日ということで、コロナ禍で見るようになった『男はつらいよ』シリーズについて語っていきます。数ある映画作品の中でも、特に思い入れが深いです。第1作が制作されたのが1969年なので、なんと今から約50年前!だいぶ昔のことのようですが、その良さは色あせないと思っています。

聲をかたちにして。

先日、金曜ロードショーで「聲の形」という映画がやっていた。わたしが高校生くらいの時だっただろうか、少年マガジンで連載していた漫画。その頃コンビニで時間がある時立ち読みしていたので、断片的には読んだ覚えがある。今回改めて、映画で見てその時の読んだ断片的な記憶が一つにようやくつながった。 だいぶ映画では漫画でやっていた内容を端折ってはいるものの、見終わった時にアニメーションでしかできないと思われるような表現の幅が印象的だった。 この映画のあらすじは、生まれつき耳の聞こえない西