見出し画像

理解することが全てじゃない。

3月24日(日)
古賀及子さんの連載エッセイ『5秒日記』がきのう更新されて「これは明日の朝コーヒーを飲みながら読もう」と思い、今日の朝を楽しみに待った。

車でファミマに向かいコーヒーを買う。
そのまま車内で、Xから連載エッセイのリンクを開いた。

2/2(金)
さみしくて納得がいかない。

朝、目が覚めてすぐは常々気持ちが普通でない。たまにどういうわけかちょっとさみしい。

このさみしさは人と会えないことに由来するような手ざわりで、けれど誰に会えないからという明確な根拠はなく漠然としている。
家には同居の家族がおり、人との接触はあるのだから腹がたつ。

北欧、暮らしの道具店【5秒日記】

これはまさに今日の朝かんじていたことで、同じ感覚を人と共有できているような気がして嬉しい。

にこにこしながら読んでいると、途中で仕事の電話が鳴った。
楽しい夢を見ていたのに、無理やり起こされたような不快感がある。
がっかりした気持ちで電話に出た。



3月25日(月)
映画『正欲』を観た。
(人に恋愛感情が抱けず水に特別な感情を抱く人達の物語)

自分よりも生きづらさを感じている人はたくさんいる。
それでも生きようとしている。
孤独を感じながら、必死に生きている。
無理に理解しようとしなくて良い。
認めあい共存できれば、それで良い。

映画を観ているあいだ、いろんな思考や感情が頭の中をぐるぐると回った。
最後は、とても悲しい気持ちだけが残った。


3月27日(水)
じいちゃんの認知症や高血圧に関する薬をもらいに病院へ。
「出かける準備してや」と言ってズボンを手渡したが、うまく足を通せないようでじたばたしていので手伝った。

じいちゃんが日に日に不自由になっていく姿を見ると、鼻先がつんとして瞳がうるむ。

普段の様子を見ていると、どうみてもしんどそうなのに、「大丈夫か?しんどくないか?」としつこく聞いても「大丈夫や」しか返ってこないから気がきでない。

夜、素粒社さんのnoteで『富士日記』をテーマにした古賀及子さんの新連載が始まっていて、興奮しながらありがたく読んだ。

武田百合子著『富士日記』
夫で作家の武田泰淳と過ごした富士山麓、山梨県鳴沢村の山荘での13年間のくらしを記録した日記。昭和39年(1964年)から昭和51年(1976年)まで。

素粒社さんのnote


4月5日〜


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?