見出し画像

米国報道メディアの威力:Vol.2「マードック帝国」

 ルパート・マードックはオーストラリア生まれのアメリカ人で、世界的なメディア王として知られています。日本には彼が直接的支配しているメディアはないので、日本人にはあまり馴染みがないかもしれません。

 しかしその影響力は、メディアのあり方を考える上で日本の将来にも興味深い示唆があると思います。マードックが、ほぼ一代でどのように巨大メディア帝国を築いたか、また米国の社会の変化にどう関わっているかについて、紹介したいと思います。

画像1

David Shankbone / CC BY


 現在89歳のルパート・マードックは22歳の時に、亡くなった父からオーストラリアの地方紙を相続してから、比較的短期間で巨大な世界的メディア帝国を作り上げました。

 その基本戦略は至ってシンプル。各国右派政権との癒着です。

 右派とは保守派ともいい、いろいろバージョンはありますが、基本的に反移民、ナショナリズム、自由主義(≒産業贔屓、≒規制緩和)がざっくり共通のテーマです。マードックにとって重要なのは「規制緩和」。メディアの独立性を担保するための様々な規制が成長の邪魔になるので、各国でできるだけ産業に介入しない方針の政権を味方にしたい訳です。

 逆に右派政治家や候補者にとって、本来独立であるべきメディアを宣伝機関として自分のサイドにつけることは、願ってもない特典です。メディアが大きければ大きいほどそうで、互助関係が完璧に成り立っている仕組み。

 オーストラリア、イギリス、アメリカの英語圏先進国で、マードック戦略は非常に効果的でした。マーガレット・サッチャー英首相ロナルド・レーガン米大統領に対して、それぞれ保有するメディアを使って当選をサポートし、いずれもその後メディアを戦略的に買収する際、規制当局の足止めや、市民権のスピード交付(米国は自国民でないとTVチャネル保有できない)など、微妙な合法ゾーンで便宜を受け、勢力を拡大してきました。

 産業規制が厳しく、自らの影響が及びにくい欧州連合からイギリスを分離させたかったマードックは、自らのタブロイド紙The Sunを使って「Brexit」一大キャンペーンを張り、国民投票の結果に大きな影響を与えたと言われています。

 マードックのサポートを受けた右派政権が、反移民、ナショナリズム、地球温暖化否定(産業贔屓)の影響力の波を広げます。英語圏で連鎖している右傾化は、株主利益最大化を至上命題にするマードック帝国と、相乗作用しているのです。

 メディアを含めビジネスが政治家から見返りを受けるのはもちろん御法度ですが、先に触れた様に利害の一致があまりに明確で、明示的な取引をする必要がありません。マードックの「首相に何かを頼んだことなんか無い」との発言は、各所で批判的に引用されています

 マードックが支配する主なメディア;

・Fox News Channel(米国保守系の最大のニュースチャネル)
・Dow Jones (世界最大の経済メディア群。The Wall Street Journalが代表紙)
・New York Post(米国最古の新聞の一つ。いまはタブロイド紙)
・The Sun(英国大手タブロイド氏)
・The Time(英国の世界最古と言われる大手日刊紙)
・The Australian(オーストラリアの大手日刊紙)
・Herald Sun(オーストラリア最大のタブロイド紙)
・21st Century Fox (映画・ドラマ・スポーツなどのエンターテイメント部門)*

(*21st Century Foxは昨年ディズニーグループへの売却が完了し、いまはマードック帝国下にはありません。後述)

 これ以外にも数えきれないほどの新聞・チャネル・メディアブランドなどがリストに連なります。

 この中でも、Fox News Channel拡大の歴史がマードック帝国拡大のクライマックス。

 Fox News Channelは、米国での保守系初の24時間ニュースチャネルとして1996年にマードックが設立し、クリントン大統領の不倫問題の報道で注目を集め、9/11でメジャーニュースブランド入りしました。

 保守的な論調を持ちつつも、 "Fair and Balanced" (「公平でバランスの取れた」)というモットーを誇らしく掲げ、意見の異なるキャスターやコメンテータを登用していました。他局から転籍した有名なジャーナリストも起用しており、私もたまに観ていました。

 マードックは、家族ぐるみの付き合いだった(2016年までイバンカ・トランプはマードック氏の子供の資産管財人だった)トランプが大統領候補に立候補した当初は、まともには取り合いません。

 リアリティショーの元ホストであるトランプは、選挙キャンペーン初期から熱狂的ファンをFox Newsに流し込み、他の共和党候補者に比べて圧倒的な視聴率を見せつけます。それでもトランプが共和党の正式な大統領候補に選ばれるまでは、Fox News/マードックはトランプに対して懐疑的で、プライムタイム(午後8時から午後11時)のニュースキャスターの一部は、トランプの言動や女性蔑視の態度に批判的だったり、トランプがそれを理由にFox News主催の候補者討論会をボイコットしたり、トランプ・マードック関係はギクシャクしていました。

 大きな変化が起こったのは、誰もの(マードック含む)予想に反してトランプが大統領選に当選したときでした。マードック自らExecutive ChairmanとしてFox Newsの指揮を執り、トランプ全面サポート体制に劇的に振り切ります。トランプが敗戦したシナリオでの共和党と関係維持、という予備線が必要なくなったのです。

 マードックは政治信条やスタイルについてトランプと微妙にズレあり、「あいつはクソバカだ」などと陰で罵っていたという話もあり、友人として尊敬していたというよりは、ビジネスパートナーとして全面的に協同することに決めた、というのが適切だと思います。

 Fox Newsは、"Fair and Balanced" のモットーをいさぎよく捨て去り、トランプの盲目的支持者でプライムタイムのニュースキャスターを固めます。まさに有ること無いことを「報道」し、完全にトランプ一心同体の広報チームに変身しました。Foxからホワイトハウスへ転籍、またはその逆の転身を行った要人はこれまででなんと21人

 ショーン・ハニティーというFox Newsの人気キャスターが、トランプの2018年中間選挙キャンペーン集会で応援演説するなど、Fox Newsは「メディアの独立性・中立性」など、公然と丸めて捨ててしまいました。


 一方、マードック帝国の収益の3分の2程度を稼ぎ出していた21st Century Foxは、ストリーミングサービスの台頭や世継ぎ問題のもつれから、2019年、Disneyに713億ドル(約73兆円超)で売却しました。21st Century FoxとDisneyを合わせると35%の市場シェアを持ち、映画市場では過去最高の寡占になりますが、トランプ政権下の司法省は6ヶ月で取引を承認します。それ自体は産業贔屓の保守政権としては不自然ではありませんが、AT&TによるTime Warner(トランプの天敵CNNのオーナー)の買収を阻止すべくしつこく訴訟・上訴して2年間足止めしたのに比較すると、バランスを欠く采配と言えます。

 こうしてマードック帝国は一気に縮小したのですが、乱暴にまとめると、ルパート・マードックは死ぬ直前に(まだ死んでませんが)帝国のビジネスを、御家芸である右派政権との癒着プレーに集中し、リベラルな次男(詳細割愛)がリベラルなハリウッドで経営していたややこしいビジネス(=21st Centuery Fox)も、次男ごと追い出し、ディズニーの株も取得、世継ぎ問題も解決した訳です。

 Fox Newsの保守層国民にとっての影響力は絶大です。地球温暖化を信じている視聴者はたったの12%(米国民の非視聴者では62%)、トランプがこれまでのどの大統領よりも偉大な業績を上げたと信じている人はなんと78%(同17%)。Fox Newsはニッチなテレビ局ではありません。今年6、7月のプライムタイムでは、米国の「すべてのテレビ局」の中で、最高の平均視聴率を叩き出しました。

 今年(2020年)の11月に大統領選を控え、Fox Newsはなりふり構わぬ陰謀説の流布や、Black Lives Matter運動に対する恐怖心の扇動など、トランプ流のPR活動に邁進しています。パンデミックや人種差別問題で米国社会が混乱するなか、大統領選挙の結果は報道メディアのあり方にとっても分水嶺になります。

 前回取り上げたように、報道は世論(=有権者の票)に強い影響力を持つので、「権力者の責任を監視する」するために、厳しい行動規範が必要です。そのために各国あまねく、法律によるメディアの規制や、メディアが自らに課した不文律が多くあります。(米国では「ありました」?)

 逆に言うと、第四権力としての報道メディアの使命を脇に置いて、拡大や利益最大化を優先すると、メディアには保守的な政治家をサポートするインセンティブが働きますし、政治家は自分の声を宣伝してくれるメディアを喉から手がでるほど欲します。有権者がボーッとしていると、先進国が右傾化していくサイクルが存在するのです。

 マードック帝国の拡大は、「民主主義」と「資本主義」の組み合わせにいかに危うい落とし穴があるかを、世界の先進国に知らしめました。

 今年の選挙結果はさて置いて、長期的には、若い世代(ミレニアム・Z世代)は主要メディアや大企業に総じて懐疑的(大本営発表を簡単に信じない)、社会正義に関心が強く、地球環境も強く懸念している、というのが大きな傾向だと言われていますので、どちらかといえば私は楽観的です。

 メディアとして彼らに影響力を持つのはFacebook/InstagramやTwitterなどのソーシャルメディアです。ソーシャルメディアの政治的な役割については、また別の機会にまとめたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?