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字が読めなくても「知りたい」を諦めない


遡ること四半世紀前。

「これなに?」
「なんて言うの?」
「どういう意味?」

こんな言葉を私は母に向かってよく言っていた。そりゃあもう、しつこく、しつこく、しつこく……!!!
母はその度に答えてくれていた。適当に返されることが大半だったが、きちんと向き合ってくれることもあって、それが楽しかった。

だけれどある日。

小学2年生ぐらいだったかな、母がいつものように答えるのではなくて、はっとした顔をして突然辞書を本棚から取り出してきた。母が母の結婚前から使っていた辞書だ。子どもの私から見ても小ぶりで、厚みがあり、表紙は合皮素材のようなざらっとした材質でできていて、赤黒いワインレッド色で、母が使い込んでいたから古くておんぼろの、少し黒ずんでいた辞書。

母は、それを使って私に辞書の引き方を教え、わからないことがあれば辞書を引くよう言った。

言われるがまま辞書を開くと、小さな、本当に小さな明朝体の飾り気のない文字がびっしり無駄なく隙間なく並んでいた。
紙は一枚一枚に光沢があるんだけどめくるとペラペラで、黄みがかっていて、少し力を入れただけで破けそうな繊細なつくりだった。インクの独特な香りが鼻をつく。25年も前のことなのに、不思議なくらい鮮明に憶えている。

母に辞書の引き方を教えてもらってからというもの、わからないことがあると辞書を引くようになり、そのおかげで授業で習うより先に辞書を引けるようになったのだが、小学2年生の私にとっては言葉を探し出すのも一苦労で、やっと知りたい事柄にたどりついても、またわからない言葉が出てきて、知る快楽のために調べていたはずなのに、知るということがなんだか無機質で苦行のように感じた。辞書を開いても、知ることへの面白味をなに一つ味わえなかった。

それまでの私にとっての知的好奇心や探求心は、楽しくて、わくわくして夢があってきらきらしていたはずだったのに、途端に色あせ、それらを深めることがつまらなくなってしまった。
その後、リビングの本棚にいつも置いてあったその辞書とは一瞬の付き合いで終わってしまい、好奇心や探究心までどこか遠くへ行ってしまった。いつもわくわくドキドキしながら宇宙の果てを考えていた、私の心の中にいた女の子もいつの間にかいなくなっていた。
あの頃に似た気持ちを取り戻したのは長男を授かってからだから、取り戻すのに随分時間がかかってしまった。その程度でと思うのだが、些細なきっかけで世界が変わった。なにかを好きになってそれを深めることへの輪郭が、いまだにぼやけている。

これが、私の知的欲求の原体験である。

私の”知る”という行為は、知りたいことを知った喜びだけでは完結しないらしい。振り返ってみて初めて気がついた。
知ることに付随して、”誰かと共有すること”がなければ、私の”知りたい”は満たされない。疑問を解決することが一つの快楽であることに変わりはないが、私は、誰かと共有することで知ることに意味が生まれ、また次に繋がるみたいだ。

そして、あれから25年後。

子育ての真っ只中に私はいる。
現在は、音声検索機能なんてものまである。

我が家の息子たちはひらがなと数字をまだ練習中というか興味関心すらあやしいのに、スマホさえあれば、サクサクっとスマホに話しかけて検索結果が出てくる。しかも、考えられないようなスピードで。

昨日は長男とチョコエッグを作ろうという話になり、息子が音声検索を使って調べてみた。
「チョコエッグのつくりかた」とスマホに話しかけるだけでヒットし、多少たどたどしい口調でもちゃんと検索結果が出てくる。すごい。

検索後すぐにヒットした動画を観て見通しを立てて、今日は午前中買い出しに出て、午後作って、家族で食べた。作るのはとんでもなく大変で難しかったし、説明通りにはいかなかったけれど、楽しかったし、やりたいと思ったことを熱をおびたままやり遂げた達成感を得られた。

質問したい事柄さえ明確にあれば、分からないものを分からないと感じているその瞬間にだいたいのことを教えてくれるのがすごい。
グーグルレンズにもこの春、次男が大変お世話になった。

息子たちみたいに文字を使えなくても、自分の知りたいことをサクサクっと調べられて、サクサクっと情報を得られて、サクサクっと行動に移せる現代って最高に素晴らしすぎる。もちろん、大人の手助けが必要ではあるのだけれども、彼らの気持ちのまま調べられるのが素晴らしい。

だいたい、息子たちの調べたいことなんてアニメのキャラクターとかマニアックな電車とか虫が何を餌にしているのかとか雑草の名前とかで、辞書で調べてすぐ出てくるものではない。本当にスマホさまさまだ。

あぁ、いい時代。
すばらしい。
「知りたい」を諦めなくていいんだ。

息子たちの知的欲求が、私のような共有型のタイプなのか、はたまた自己完結型かどうかはよく分からないけれど、私自身の過去の経験から、息子たちが好奇心や探求心を持つことに対して私自身も興味を持って笑顔で反応することを忘れずにありたい。

知るって楽しいよねって思う。
それを息子たちにも味わってほしい。
純度の高い経験をしてほしい。

読んでくださり、ありがとうございました^^


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