見出し画像

2.バラエティに富んだ独創的な石積み

中村家住宅の石牆 ( せきしょう )の魅力は、
一つ前の記事に書いた通りで、
とてもユニークな石積みと言える。

冒頭の写真は相方積みや亀甲乱積みに区分けしてよいも思うが、
世界遺産の一つの相方積みよりも曲線が多いのが特徴的で、
亀の甲羅よりも花のモチーフにより近い感じがする。

一般的に一つの石垣は一つのパターンで作られることが多いが、
中村家住宅の石積みにパターンがない。
パターン化できないようなものが多いために、特定の積み方の名称では表現できないところに独創性を感じる。

上記の写真の部分は特に顕著で、沖縄の石積みのパターンに当てはめることは難しいように思う。

沖縄本島中南部は琉球石灰岩という石材に恵まれたこともあり、
複雑な石組みを可能にしていて、【鉤】という突起物をつくることて、石牆が崩れないようにしっかりと固定しているところも見どころの一つだ。

600年前、沖縄の戦国時代が佳境の時期で、敵からの侵攻を防ぐため、堅牢な相方積みが開発されたと考えられる。
琉球史に少し詳しい人は「護佐丸・阿麻和利の乱」と聞けばご存知かもしれないが、
相方積みは阿麻和利からの侵攻を防ぐために生み出された積み方と言っても過言ではないだろう。
相方積みはとても美しいが、堅牢さこそ、最大の特徴と言えるのではないだろうか。

中村家住宅は伝承ベースになるが300年前に建てられた家と言われていて、
おそらく石牆も同時期に建てられたのではないかと想定すると、琉球が統一されて戦のない時代になってから200年ほど後の時代ということになる。

島津侵攻などがあったとは言え、琉球王国は無血開城したと言われていることもあり、中村家住宅が建てられたのも100年後の話になるので、
百姓だった中村家には戦は無縁だったのではないだろうか。

石積みを眺めているとその時代背景が分かるような気がする。
特に中村家住宅の石積みはそれを強く感じる。

それはなぜか。
独創的である。
つまり、真似していそうにないからこそ、時代背景を強く感じるように思う。

中村家住宅の石牆は穴が多いことも特徴の一つと言える。
中城城跡は戦国時代真っ只中で、城壁は敵兵に登らせてはいけないものなので、
指や足をかけやすい穴はほぼない。
敵が攻めてくることを想定しているので当然と言える。

対して、平和な時代、百姓の家の石牆は子どもでも登れそうなほど穴が目立つ。

太湖石といわれる自然に穴があいた石が奇石信仰として珍重され、自然が生み出した芸術的なものは自然崇拝の強い沖縄では好まれたのかもしれない。

平和な時代、敵が攻められることがないからこそ、石牆のアクセントとして用いられた可能性は否定できないように思う。

なにも分からないからこそ、時代背景と照らし合わせて、当時の様子に思いを馳せるのもまた中村家住宅の魅力と言える。

この記事が参加している募集

#仕事について話そう

110,977件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?