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5.代表的というよりも特殊

文化庁による中村家住宅の解説文は、

沖縄本島における豪農の住宅で、南向きの緩い傾斜地を削って背側面の三方に石垣を積み、正面に石牆を築いた敷地には、主屋をはじめあさぎ、前の屋、籾倉、ふーるの附属屋(いずれも重文)など屋敷構え一式がそっくり残されている。

引用元:文化財データベース(https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3660)

と記されています。

中村家住宅のウェブサイトには、

中村家住宅は戦前の沖縄の住居建築の特色を全て備えている建物です。

引用元:中村家住宅(https://www.nakamurahouse.jp/)

と、記載されています。

いろいろと珍しい建築物なのですが、
僕個人としてはとても不思議な建築物だと思っています。

何よりも特筆すべきところは、
【琉球建築様式の屋敷構え一式がそっくり残されている】
という部分です。

廃藩置県が完了し、
琉球王国の約束事が撤廃されて以降に建てられた家であればそれほど不思議な事もないのですが、
伝承ベースではありますが、
琉球国王時代からの面影を残しているにしては、
百姓の身分にはあまりにも立派な住宅です。

主屋・台所・離れ、そして、石牆(せきしょう)に関しては、
片田舎の平民には到底許されなかってあろう間取り。
この3棟については、
首里の士族の屋敷である方が納得がつきます。

片田舎の平民に許された住宅は、
掘立て小屋のような茅葺き屋根のもので、
【穴屋】と呼ばれるものだけで、
敷地や間取りまで制限されていました。

なぜ、このような木造の【貫木屋】が許されたのかは、
歴史を調べれば調べるほど分からなくなります。

まず、平民(百姓)の中村家がなぜこのように立派な士族風の屋敷を建てられたかも不思議ですが、
士族風の屋敷の中に、
高倉(籾倉)や家畜小屋といった百姓独自のものがあり、
時代背景を知れば知るほど、
士農分離の時代に士農混合の建築物があることがとても奇妙に感じてきます。

平民の建築物や、
沖縄戦の最中に住宅内のものがほとんどなくなったこともあり、
文献が残っていないことや、
そもそも類似する建築物が残っていないことで、
中村家住宅のような他にも建築物があったのか、
中村家住宅が特殊だったのかを判断することが難しいので、
謎な住宅に輪をかけて不思議さを増加させています。

ガイドする際は、
「かなり特殊な住宅」として紹介するようにしています。

この奇妙さ、謎の多さ、文献のなさが中村家住宅の魅力であり、
自由に仮説や妄想を膨らませることができます。

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