ゆがんだアメリカの司法を正そうとする弁護士の奮闘記―『黒い司法――黒人死刑大国アメリカの冤罪と闘う』(ブライアン・スティーヴンソン/亜紀書房)

コーネル・ウェスト氏が現在のアメリカにおける黒人差別を極めて厳しく批判しているが、その差別がいかに司法面に現れているかを明確にしたのが、本書だ。中心となるのは、殺人の罪に問われ、死刑を宣告されているウォルター・マクミリアンに対する冤罪を晴らすことだが、著者が弁護士としてかかわったアメリカ司法の歪みが様々に描かれている。

ウォルターに関する捜査・取り調べを見ると、とても法治国家・民主主義国家のやることではない。司法取引を利用しながら、証言をでっちあげる一方で、アリバイなどに耳を貸さない。この背景には、黒人であるウォルターが白人の人妻と関係を持ったことを許せない白人の差別意識がある。そして、差別意識を持つ人々にとって、黒人相手にこのようなことをするのに、何の抵抗もないようだ。
本来であれば国家の英雄として遇される元兵士たちに対しても、黒人であれば容赦ない。裁判がいかに合法という体裁を整えようとも、実態は独裁国家や強権国家における裁判とどれほどの差があるのだろうか? 当然のことだが、そのうちにイスラム系の人々にも同じことが行われるのでは、と危惧せざるを得ない。
 
24ページ以降に指摘されているが、1980年代後半あたりから顕著になる厳罰主義の結果、受刑者は1970年代の7倍強、2001年にアメリカで生まれた子どもの15人の1人は刑務所に行くことになるそうだ。当然だが、黒人はさらにその割合が高くなるだろう。そして、日本でも厳罰化の傾向が見られる(中嶋博行氏の『新検察捜査』がそのことを取り上げている)。少年犯罪に対する対応、被害者及び被害者家族の権利に関する問題点の指摘などを読んでいると、厳罰化を含め日本がアメリカの轍を踏みかねないようが気がしてならない。

白人警官による黒人射殺・殺害のニュースを耳にすることが多くなった。どこか白人の苛立ちを感じてしまう。国家レベルで見ると、アメリカの経済が上向きなのに、不思議な現象である。個人的な見解だが、“苛立ち”と新自由主義経済による“格差”とは無関係とは思えない。そう考えると、この問題は日本とも無関係ではないのかもしれない。

64~65ページで、かつて公民権運動に関わった老人が著者に放つ「正義は宣伝しつづけねばならん」という言葉が胸をうち、それを実践し続けている著者の姿に感動する。そして、403ページに登場すると「年老いた黒人女性」のような寛容さと逞しいほどの優しさに強く憧れる。

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