蔦屋重三郎と須原屋市兵衛―読書月記41

(敬称略)

2025年のNHK大河ドラマの主人公が、蔦屋重三郎(蔦重)になったというニュースが流れたが、蔦重のことを知らない人が意外に多いことに驚いた。東洲斎写楽を知っていても、彼を世に送り出した江戸時代のもっとも著名な出版人である蔦重の知名度は写楽に及ばないようだ。まして、同じ出版人の須原屋市兵衛を知る人はさらに少ない。須原屋市兵衛については読書月記でも幾度となく触れているが、『解体新書』などを出した、開明的な書肆である。もちろん、日本の出版史を少し調べると、18世紀前半に書肆が有名になるのは難しい。グーテンベルクの印刷を含む西洋の印刷史を見ると分かるが、活版印刷にしても木版印刷にしても、まずは宗教書が主流になって発展していく。もちろん、様々な工夫がなされたりするものの、出版数点数自体が限られている状況のなかでは、「企画」という観点から画期的な出版物はそれほど多くない。
しかし、この二人は違う。娯楽と蘭学といった分野で、それまでとは違う業績を上げている。しかも、面白いのは、この二人がほぼ同時代人だということ。おそらく、社会に出版が広がっていくにつれ、読者層が広がり、多様な企画が求められるようになったからだろう。日本ではそれが18世紀後半であり、そこに登場したのが蔦重と須原屋市兵衛だった。
分かりやすく言えば、蔦重は今で言うところのエンタメを中心とした出版、須原屋市兵衛は学術系を中心とした出版となる。出版部数が限られていた当時であっても、読者の数は蔦重の方が多い。さらに彼が手掛けた浮世絵は明治以降に世界的評価が高まったこともあって、写楽、歌麿の名とともに出てくることが多い。しかし、浮世絵は蔦重の専売特許なわけではなかったし、戯作を刊行した書肆も他にあったわけだから、やはり蔦重は凄かったと言うべきだろう。一方、須原屋市兵衛は『三国通覧図説』や『解体新書』など多くの蘭学やそこに連なる本を世に送り出しているが、その業績は、かなり限られた人しか知らない。儒学ならともかく、科学書の場合、江戸時代の知識階級であった、医師、侍がその読者対象だったため市場はかなり小さかっただろう。しかも科学関係の書物は、時代とともに内容が更新されない限り古びてしまうから、歴史の中にその業績を位置付けない限り、明治以降になると、その出版物の多くは「史料的価値」程度しか持ちえない。

さて、江戸時代の書肆についてあれこれ考えていたら、図書館に高瀬乃一の『貸本屋おせん』と青山文平の『本売る日々』があることに気づき、借りることにした。
前者は書名でも分かるように、おせんという江戸時代の貸本屋を主人公にした作品だ。後者は、古書を中心に地方への行商を行う本屋が主人公の作品だ。現代のように、江戸時代は、書物が市場に溢れかえることはなかった。
そもそも当時の印刷は、文字や絵を彫った版木によるものだ。紙も和紙で高価なため、印刷部数や1冊あたりのページ数、生活費に対する相対的な価格も全く違う。だから、新刊書以上に、貸本や古書というのが出版業の中核でもあった。また、『貸本屋~』で、おせんが自ら写本を作り、貸し出す話が出てくるが、写本も大きな意味を持っていた(勝海舟が写本をした話はそれなりに知られている)。
この読書月記で、これまでにも書いてきたが、私が江戸時代の書肆に興味を抱いたのは、みなもと太郎の『風雲児たち』に登場する須原屋市兵衛がきっかけだった。ただ、『風雲児たち』に出会った1980年代の後半、江戸時代の出版に関する本は、今ほど多くなかった気がする。もちろん、研究者はいたし、いくつもの本が刊行されていたが、あくまで研究書の色彩が強かった。調べてみると、今田洋三の『江戸の本屋さん』が最初に上梓されたのは1977年。同書は、かなり一般読者向けで、出版も日本放送出版協会(今のNHK出版)。一度再刊されるものの、品切れとなった時期があって、2009年に平凡社ライブラリーの1冊として刊行される。平凡社ライブラリー版の解説を担当しているのが鈴木俊幸で、この鈴木が『江戸の読書熱』を刊行するのは2007年。要するに、江戸時代の出版に関して、私のような専門外向けの出版が増えるのは、21世紀に入ってしばらくしてからだ。

そして、マンガの『江戸の蔦屋さん』の刊行は2018年。『貸本屋~』『本売る~』に収められた作品の初出で最も早いのは2020年。ここ数年、ようやくエンタメレベルで江戸時代の出版を描く作品が目立ち始めた。
おそらく、2024年の後半からは、蔦屋重三郎に関する本、江戸時代の出版に関する本の刊行が相次ぐだろうし、今は絶版・品切れになっている本が復刊、もしくは電子書籍化されていくだろう。それに触れ、研究者を志す人が出てくるかもしれない。嬉しい限りだ。

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