読む・読まないの選択ー読書月記17

5月は予想外のことが続いて、あまり本を読めなかった。ただ、理由がはっきりしているので、それほど気にならない。
その少ない本のなかに、『トリノの精神』『ムッソリーニを逮捕せよ』『ムッソリーニの処刑』があるが、共通するのはイタリアの現代史ということだ。『トリノの精神』の場合、イタリアの現代文学に大きな貢献をしたエイナウディ出版社に興味があったからだが、ムッソリーニ関連の2冊は昨夏に読んだ早乙女勝元氏の『ゲルニカ』が影響している。同書には、ゲルニカとイタリア・パルチザンに関することが書かれており、そこで、改めてイタリアの現代史に興味を抱いたからだ。以前『本と出会う場所―本屋と図書館』でイタリア史と関連する本とを出会った話を書いたが、私の興味はあくまでルネサンス辺りのことであって、現代史について多少でも知っているのは、リソルジメントのことで、それもヴィスコンティ監督の『山猫』や森川久美氏の『君よ知るや南の国』から仕入れた知識でしかない。そういった意味では、木村裕主氏のムッソリーニ関連の2冊は面白かった(『処刑』の方に、エイナウディ出版社の社主の父の名前出てくる)。ドイツに関しては反ユダヤ主義やアウシュヴィッツ関連の本を多少なりとも読んでいるのでそれなりに知っていることもあったが、第二次世界大戦のイタリアに関する知識はすっかり抜け落ちていた。日・独・伊の三か国のなかではイタリアが最初に降伏したこと、ムッソリーニが処刑されたことぐらいは知っていたものの、第二次世界大戦終盤の内戦状況については初めて知ることがほとんどだった。

さて、このように私は本を読んでは次に読む本を見つけることが圧倒的に多い。あとは、新聞の書評、出版社のHPがほとんどだ。以前は、友人や知人のすすめもあったが今はほとんどない。ただし、新聞の書評は今年に入ってからイマイチの感が強い。とにかく選書がつまらない(地方紙なので、おそらく共同通信からの配信だと思う)。出版社のHPに関しては、私が読む出版社が概ね決まっているから便利だ。メインは10社前後だが、たまに見るのも入れれば、20社ぐらいになる。あと、以前にも触れたと思うが、みすず書房の『みすず 1/2月号』はすごく参考になる。
ただ、私の選書に最も影響を与えたのは、篠田一士(1989年没)、中村真一郎(1997年没)、加藤周一(2008年没)の3人。3人が生きていた時にはもちろんのこと、死後も、その著書から何冊もの本を知ることになった。また、邦訳の出てない段階で言及していた本が後に邦訳された場合も少なくない。この3人に代わる導き手を探してはいるが、なかなか現れない。それどころか、私が彼らの没年に少しずつ近寄っている。篠田は62歳で鬼籍に入っているが、もう手が届きそうだ。実際、家にある積読の本を考えると、新たな導き手が出てきてもどれだけ読めるのか、という疑問が先立つ。読むつもりで買った本のうち、読める方が圧倒的に少ない、という結果になるのは目に見えている。

しかし、それらの本の存在さえ知ることもできなかったとしたら、それはそれで不幸だったと考える。ここ数年、ポツリポツリと読んでいるバレエ・リュスやディアギレフを含むバレエ史関連の本を読むことで、私の日常が豊かになったことは事実だ。ブルース・チャトウィンやエドマンド・ウィルソンの本を読むことで得られる歓びを知らなかったら、不幸とまでは言わないが、知らないことが幸福だとはとても思えない。とにかく、読む・読まないの選択を自分でできたこと自体が幸せだったのだ。

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