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郷愁に駆られて、音が祭るは夏

このnoteは、2022/10/19~21、3DAYSのワンマンライブとして開催された『恵比寿てんぱれい祭り』について綴ったしがないライブレポである。

序文

先んじて、軽くではあるが、Tempalayとの出逢いから書き起こす。
Tempalayというバンドを聴くきっかけとなったのは、無論King Gnuからというよくあるパターンで、初めて聴いたのは恐らく2019年の頭あたりだったと思う。そして3年前、『そなちね』という衝撃を喰らう。この衝撃を契機に、ライブに行きたいと思い立つのだが、ツタロック2020の中止を初めとし、上手くタイミングが合わない日々を過ごしていた。そんなこんなで初めて生音を聴いたのは、先日のROCK IN JAPAN FES.2022である。何処までも澄み渡った青空の下、彼らの音楽が高らかに響く30分は何物にも代えがたい光景だった。耳に音楽が飛び込むといったそんな“部分”的なものではなく、音楽に包み込まれるような、どっぷりと浸かるような空気感は唯一無二だなと。中でも、『そなちね』をあの景色と夏の匂いの中聴くことができたのは、とてつもなく貴重な体験であった。このアクトを観て
「ワンマンでもっとTempalayの音楽を浴びたい。」
と思ったのは、必然であったと思う。

祭りと夏

さて、恵比寿てんぱれい祭りに話を戻す。
この3DAYSワンマンは、祭りと称されただけあって、細部にまでこだわりが詰まっていた。入り口には木組みの門、会場二階には屋台がひしめき合い、お祭りらしい商品が立ち並ぶ。そしてその全てを提灯が華やかに彩る。会場に着いた瞬間から、そこは日常から一歩離れた特別な場所で、誰しもが心に持つ夏を、夏のお祭りを想起させる。ライブ会場も提灯が彩り、お酒片手に、メインステージをまだかまだかと観衆が待つ光景はとてもワクワクした。余談ではあるが、“祭り”とは命・魂・霊・御霊を慰むる“慰霊”が語源とされており、そういう点でも Tempalayの漢字表記が天破霊なのもとても丁寧であるなと思う。
そんなガヤガヤとした会場が暗転し、いよいよライブが始まると気持ちを昂らせると、鳴り響くは祭囃子。ここまでライブのコンセプトから会場の空気作りまで、心を祭りに誘う導線を完璧に作りながら、祭囃子というフックも丁寧に組み込む様は圧巻でしかなかった。
『未知との遭遇』を皮切りに『my name is GREENMAN』『SONIC WAVE』『シンゴ』『EDEN』『どうしよう』『Festival』とノンストップで波のように音楽が流れる。Tempalayが孕む脳が揺れるような、何処かに彷徨うような、唯一無二の世界に引きずり込まれていく。
そして個人的にポイントだと捉えている『Q』『憑依さん』『あびばのんのん』の三曲。このライブのために作ったのでは、もしくはこの三曲が今回のライブの発想の起点なのではと感じるような“祭り”が思い起こされる音楽群によって完璧に没入した感覚は、至福でしかなかった。
そして『へどりゅーむ』『大東京万博』『そなちね』で一気に郷愁に駆られる。彼らの音楽の根幹には、郷愁という感覚が存在する。この日のライブもまた、その感覚を呼び起こされる結果となった。会場にいる約千人の観衆は、それぞれ違う人生を歩み、この場に集まった。各々が異なる感覚を備え、異なる記憶を持つ。しかし、一堂に会した我々は、一つの音楽に対して同じように郷愁を憶えるのだ。皆、“あの頃の夏の日”を思い起こして。その不思議な体験をTempalayは、音楽を通して創造した。
『Last Dance』、最後の夜が来る前に、全てが消えてなくなる前に、このライブが終わる前に、言葉でなくとも、音楽を通して話そうじゃないか。そんなことを思い起こしながら聴いた最後の一曲は、儚くも美しいものだった。

久々のフルキャパのライブハウスは特別な夜を纏って、記憶に刻まれた。2022年10月19日、肌寒くなってきた日々は世間的には秋なのか冬なのか。

あの夏の夜 冷えたサイダー
空蝉涼し都夏のあと
花火がチカチカ輝いた
せめて今日だけは生きていたい

そなちね / Tempalay


祭りの音に皆踊る。私にとってあの日は確かに夏だった。


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