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1度夢を諦めたキッカケ・自律神経失調症 (小学生時代)

幼稚園からサッカーを始めた僕は兵庫県の西宮SSというチームでサッカーを始め、小学生の頃もそのチームでプレーしました。
このチームの出身の選手で有名な選手を出すと堂安律選手が西宮SSに所属していました。
上手い選手が沢山いて、市内の大会だけでなく、色んな大会で優勝しました。小学校5年時には関西大会で優勝しました。ですが、その時には僕はそのチームにはいませんでした。

当時の僕は精神面が本当に弱かったです。強いチームなので皆んなが強く要求して、それで萎縮してしまい自分のプレーが出来なくなり、変なプレーをすると周りが厳しく指摘します。
皆んなが真剣にやっているからこそだし、勝つ為には大事な事だと思います。
でも当時の僕には耐えれませんでした。
練習に行くのが辛くなり、いつの間にかサッカーを楽しむ心は無くなり、練習だけでなく学校も休みがちになりました。
その時から周りに遠慮しながらプレーするようになってしまいました。

そして僕はこの時一つの病気を患うようになりました。

自律神経失調症です。

自律神経失調症で小学校4年生の時に入院しました。実は僕自身、自律神経失調症だったのを知ったのは最近です。笑
喘息で入院していたと思っていましたが、その時の息苦しさや体調不良は喘息ではなく、自律神経失調症だったそうなんです。
親は僕になかなかそれを伝えられずにいたそうです。
僕が1人で海外に挑戦した姿を見て、そのことを初めて伝えてくれました。
聞いたときはビックリしました。笑

自律神経失調症とは、活動神経である交感神経とリラックス神経である副交感神経の2つの自律神経のバランスが崩れてしまい、様々な症状が出るみたいです。

当時の僕の主な症状は

息苦しい、腹痛、頭痛、喉のつまり、微熱、不安、体がだるいでした。

うつ病とはまた違うみたいです。

原因は人それぞれだとは思うのですが、僕自身元々気が弱い性格だったので、あの環境でサッカーをする事が耐えられなかったんだと思います。
周りに色々言われ、何も言い返せず、言葉数もどんどん減っていたと思います。

好きで始めたサッカーは嫌いになりました

退院して練習に戻った時には、皆んな一段とサッカーがまた上手くなっていました。それを見た時に僕はもうここでプレー出来ないと感じました。AチームとBチームに分かれているので、僕はBチームでプレーしたいから落として欲しいとコーチに泣きながらお願いしました。
そして小学校5年生からBチームでプレーしました。

この時点で僕はプロになる事を諦めてしまいました。

Aチームに残って周りの奴らを見返すぐらい頑張っていれば、僕にもっと強い心を持っていれば、また全然違う人生を歩んでいたと思います。

でも当時の僕にはそれは出来ませんでした。

この時の僕自身に後悔しているか、していないか。

それはまたお伝えします。

これが小学校時代に起きた最初の挫折。そして1度夢を諦めたキッカケです。
この自律神経失調症が今はどうなのか、今まで僕自身も知らなかったの具体的には分かりませんが、何となく分かります。

次はここから中学生時代はどうだったのかを伝えたいと思います!

最後まで見ていただき有り難うございました🙇🏻

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