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読書感想『ずっとお城で暮らしてる』シャーリイ・ジャクスン 創元推理文庫/感想と考察

本の情報

『ずっとお城で暮らしてる』
著:シャーリイ・ジャクスン
翻訳:市田 泉
装画:合田ノブヨ
創元推理文庫 初版:2007年8月24日http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488583026

'WE HAVE ALWAYS LIVED IN THE CASTLE' by Shirley Jackson 1962

あらすじ(ネタバレ)

年若い姉妹と余命いくばくもない伯父のほかは全員死んでしまった資産家一家の妹のほう(メリキャット)が主人公。森に囲まれた広い敷地の中にあるお屋敷にひきこもって暮らす姉妹と伯父。メリキャットは村と村人を心底軽蔑し嫌っているが、食料を買うため定期的に村に足を運ばなければならない。買い物で村を訪れるたびに村人から嫌味を言われたり揶揄されたり屈辱を受けるが、意識を空想の世界に飛ばすことで何とか耐えて屋敷に帰る。領地から一歩も出ない姉(コンスタンス)は童話のお姫様のようなたおやかさで、毎日の料理や庭仕事、伯父の介護を一手に担っている。歩けない伯父さん(ジュリアン)は日々原稿を書いている。そうやって彼女たちは互いに手を取り合ってひっそりと暮らしていた。

なぜ父や母、ほかの家族は死んでしまったのか――6年前に何があったのか。なぜ姉妹は村人から忌避され、屋敷にひきこもらなければならなくなったのか。読者が疑問を抱き始めた矢先、一見何の変哲もないお茶会のシーンで、姉のコンスタンスについて突然「もうじゅうぶん償いはした」「殺人については無罪放免になった」といった物騒な言葉が出てくる。毒、危険な薬草、砒素についてジュリアン伯父さんが蘊蓄を傾ける。そして、過去に屋敷で何が起こったのかが語られ始める。

場所は食堂だった。ディナーのとき、砂糖に砒素が入っていた。家族のうち砂糖を口にした者は死んだ。犠牲者は4人、それに加え、生き残ったが重度の障害を負った伯父。容疑者はベリーに砂糖をかけず、砂糖の入っていた器を食後すぐに洗ってしまったコンスタンス。彼女は逮捕され、裁判にかけられた。シュガーボウルを洗ったのはクモが入っていたから。砒素はネズミを殺すために買った。料理と庭仕事担当の彼女が家族を殺す気があるなら、砒素など使わずとも領地に生い茂る毒草や毒キノコを使っただろう。何より動機がない。だから無罪判決が下された。人殺しの疑いをかけられ大衆からの視線に晒されたせいで、家族以外の人との接触に恐怖心を覚えるようになってしまった可哀想な姉。世界中で何よりたいせつな姉。伯父さんの具合はどんどん悪くなっていくけれど、大好きな姉とはずっと一緒に生きていく。これからもずっと、この慎ましやかな引きこもり生活を、あたしたちのこのお城で。

果たして変化は一人の青年の形をしてやってきた。屋敷を訪ねてきた従兄弟(チャールズ)は、村人から遠ざけられ、息をひそめて暮らしている不憫な姉妹の力になりたいのだという。彼は熱心にコンスタンスを気にかけ、コンスタンスもまた父に顔立ちのよく似た彼を快く受け入れた。あたしたちのお城に土足で入ってきて、姉とあたしの間に割って入る男が気に食わない。あいつは結界を破って侵入してきた幽霊だ。

村への買い出しというメリキャットの仕事はチャールズに取り上げられた。彼は彼女の仕事だけでなく、時計や部屋など亡父の物も自分のものにしてしまった。コンスタンスはチャールズの好物ばかり作る。どんどん自分の居場所が奪われていき、姉が変わっていくことに焦燥するメリキャット。彼は身の回りもままならない伯父さんを露骨に蔑むし、姉も伯父さんの世話に手が回らなくなってきた。それどころかメリキャットに、家を出て世の中に向き合い普通の暮らしをするべき頃合いではないかとさえ説く。もう限界だ。チャールズは他人のものを盗む悪霊だ。あたしが埋めたお守りのドル銀貨箱も、父さんの金鎖も、そして姉をも盗もうとした。あいつを追い出して、あたしのものを取り返さなくては。

決着をつける日。チャールズのパイプの火の“不始末”が屋敷の一角を燃やした。チャールズがあわてて村に走って応援を呼び、村からやってきた消防団と野次馬が屋敷を取り囲んだ。火は消し止められたが、こんな屋敷は燃えてしまえばよかったとばかりにどさくさに紛れて今度は村人が屋敷を壊しはじめる。チャールズは書斎の金庫を運び出すことにばかり執心している。姉妹が身の危険を感じはじめたところに、一家の友人夫婦が駆けつけ、混乱のさなかでジュリアンが死亡したことを告げる。不幸があったことで沈静化した群衆は立ち去っていく。姉と一緒に森の中の隠れ家に避難したメリキャットは、「あいつらの食べ物に毒を入れてやる」と息巻く。6年前にそうしたように。

無残な姿になった屋敷にもどった姉妹は、代々受け継がれ大切に使われてきた家具や食器がめちゃめちゃに散らばっているさまを目の当たりにする。それでも無事だったいくつかの食器と、群衆の破壊を免れた地下食糧庫の食べ物で食事をとり、可能な限り台所を、家を隅々まで掃除する。残骸でバリケードを作り、村人がやってきても家の中を覗けないようにした。そのようにして彼女たちは、姉妹だけの静かなお城の生活を再開した。そうするうちに、屋敷を破壊したことを反省した何人かの村人たちが、屋敷の前に食べ物を差し入れていくようになる。和解を語りかけつつ腹の内では姉妹を利用して金儲けしようとしているのが見え見えなチャールズの来訪を扉の陰で笑ったりしながら、いつまでも幸せに暮らした彼女たちの屋敷は、やがて「あの廃墟には女の人たちが住んでいて、近づいた子どもを攫って食べてしまう」と噂されるようになるのだった。

感想

コンスタンス姉さんは誰にも渡さん!!!!!!
この小説を読んだが最後、彼女の虜になるのは必定。空想癖のある妹を咎めず見守り、優しく気品のある笑顔を絶やさない料理掃除の達人(畑仕事もやる)、心身ともに覚束ない伯父を根気よく介護する超働き者、しかし一家毒殺の容疑者となった過去の経験から、憎悪と好奇の視線に晒されることを極度に恐れて領地から一歩たりとも外に出ない金髪碧眼28歳。守らなければ……コニーはあたしが守らなければ……! 妹が18歳であることは冒頭で明示されるのだが、姉が28歳そこらであることは中盤になってようやく明かされるので、そこまできて「えっ、結構な年の差姉妹だったのね」と驚かされるのはこの作品のちょっとした仕掛けの一つか。

とにかく、作中でコンスタンスが作っている料理の種類と品数がすごい。ありとあらゆる家庭料理とお菓子を日々こしらえている。それらの味や食感について長々と解説がされているわけでもないのに、なぜかどれもこれもすこぶる美味しそう。紙面からシナモンやバターやホットミルクの香りがかぐわしく漂ってくる。庭の野菜畑で育てた野菜と、週に2回の村への買い出しで調達する限られた食材とで、自分たちが食べる分だけ細々と調理しているにすぎない(特別なご馳走を用意しているわけではない)のに。お料理が好きで心から楽しんで作っているのが分かるから、そんな彼女の手による一品なら美味しいに決まってますね、ええ、ご相伴にあずかりたいですね。

そんな姉妹に向けられる村人たちからの悪意。メリキャット「みんな死んじゃえばいいのに」「だれもかれも苦痛に泣き叫びながら転がっていて死にかけていたならすてきなのに」それな~~!! 私もそう思う同意しかない~ワイトもそう思うよな!?? 本作はアメリカの作家によって1960年代に書かれた小説だけど、殴り返してこないとわかっている若い女性への嫌がらせの陰湿さはいつの時代も変わらず世界共通なのねと悲しくならざるを得ない。数多の村人たちを地面に転がして死体の上を歩く空想に浸りながら、どういった理由でいたいけな彼女たちがここまで嫌われなければならないのかという当然の疑問に思いを馳せる。過去に何があったのかを知りたくてたまらない読者に、一滴、また一滴と焦らすように手がかりを垂らしていく話の運び方がうまい。

曜日ごとに何をするかきっかり決まっている日常。朝食、散歩、屋敷のセキュリティ点検、村へ買い出し、掃除、昼食、野菜の収穫、保存食の備蓄、日によって具合が良かったり悪かったりする伯父さんの世話、飼い猫とたわむれ、道具の手入れ、夕食。何も起こっていないのに、何かが起こり続けている。この、日常をひたすら淡々と描写し、何も起こっていないのに何かが起こり続けているのだと読者に感じさせる文章技術が謎すぎる。

中盤になっていよいよ、公式のあらすじにも名前が出てくる従兄弟のチャールズが登場。本作が現代文学だったら、彼は姉に親切にするふりをしてその実、一家の財産目当て……かと思いきや本当に彼女を愛していて、人柄をよく知れば知るほど実はめっちゃいい奴、というキャラ造形になりそうだと思った。でもこれは1962年に書かれたお話なので、おおかたの予想通り、いい奴のふりをして近づいてきた金目当てのクズ男である。コニー、あなた騙されてるのよ! これまで姉の愛情を100%独占していたのに、この男の闖入のせいで50%が奪われ、60%、70%……どんどん姉の気持ちがチャールズのほうに向いていってしまう事態に読者の体を突き抜ける焦燥。

しかしここになってはじめて読者は気づく。もしかして、もしかして……これまでの生活のほうがおかしかったんじゃないか?

見目麗しく教養ある28歳の女性が父も母も弟も毒殺された屋敷に引きこもって村人と一切の接触を断ち、来る日も来る日も食事を作っては掃除と畑仕事、伯父の介護に明け暮れるだけの生活を続けている。妹は買い出しと掃除はするが、あとは屋敷の安全点検と称した(黒魔術じみた)おまじないに精を出すばかりで、ろくに仕事をしない。チャールズが来るまでは、これからもそんな平穏な生活が続いてほしいと読者は思っていた。確かに思っていた。でも、もしかして……この生活はコンスタンスを不幸にしていたのだろうか? 姉と妹と伯父さんと、こぢんまりとした幸せな日々だと思っていたものは、コンスタンスの人生の犠牲の上に成り立っていたのだろうか?

そう、読者はここに来るまで全く思い至らなかったのである。伯父は医療施設に入院させて――お金はじゅうぶんにあるのだから――適切な治療を受けてもらったほうが良かったのではないか。そうすればうら若い女性が介護のために日々自分をすり減らすこともなく、もっと違った生活ができたはずだ。コンスタンスにはもっとふさわしい人生があるのではないか――。よく考えればすぐに分かりそうなものなのに、どうして今まで思い至らなかったんだろう。そのことに愕然としてしまう。

そうして伯父さんは入院し、コンスタンスは男と結婚して新たな家庭を築き、ふたたび外界との交流を持つようになり、閉ざされたお城での姉妹だけの生活はあっけなく終わりを迎えたのでした……という筋書きだったならば、この小説は傑作にはなっていなかったし百合の間に挟まる男を許さない委員会の検閲を受けて存在を闇に葬られていた。百合の間に挟まる男は抹殺されなければならないというのが世の定め。「(コンスタンスが)何度も何度も頼んだのに」パイプの火をきちんと消さなかったことが彼が屋敷から追い出される火事の端緒になったのだから、これは自業自得、そう、自業自得なのです。ラドンも、そうだそうだと言っています。

火事があったことで本性がばれたチャールズは退散し、伯父さんは死に、ひとしきり暴れた村人も毒気が抜けてブラックウッド家への興味が失せ、姉妹は薄汚れて少し狭くなった屋敷での静かな隠遁生活を取り戻した。何度でも言うけれど、この話の結末を「姉妹は世の中に向き合うことにして、それぞれ新たな生活の第一歩を踏み出したのでした」ではなく「姉妹は元の引きこもり生活に戻って、二人だけのお城でいつまでも幸せに隠れ暮らしました」で締めくくったのは偉業。おかしくなかった! 引きこもり人生、ちっともおかしくなかったんだ! 二人はこれで本当に幸せだったんだよ!!

女二人の引きこもり生活が持続可能なものであることを示すために、作者はクライマックス(火事)のあとの二人の暮らしを相当のページ数を割いて丁寧に詳細に描写する。焼け跡の清掃について、食べ物について、服について、戸締りについて、時おり近づいてくる来訪者への対応について。女二人がいつまでも隠れて暮らし続けられるわけがない、非現実的だと野次る声を完璧に封じようとするかのように。「あの廃墟には女の人たちが住んでいて、近づいた子どもを攫って食べてしまう」という噂を流して、仕上げのダメ押し。ほら、この怪談が悪い人間を遠ざけて、彼女たちのお城での暮らしを守ってくれる。彼女たちのお城は、いまも、いつまでも、作者によって万全に守られている。

考察

……で、メリキャットはなんで家族を殺したの?
これは、最後まで読んでも確かなことは分からない。一家殺しの詳しい動機については触れられていないのだ。だから読者が想像を巡らせるしかない。幸いなことに、手がかりならある。

砒素入り砂糖が食卓に出た晩の回顧で、当時12歳だったメリキャットが「いつも怒られていた」「夕食抜きでベッドにやられていた」という証言があるから、空想癖があり風変わりな行動をしがちな彼女のことをしょっちゅう叱ってお仕置きばかりしてくる家族がほとほと嫌いになって、よし殺そうとなったのかもしれない。これは最もありそうな線だ。

チャールズが口にした「お仕置き」という単語に過剰に反応し、サマーハウスに逃げ込んだときの妄想の家族団らんの様子から、メリキャットが“お仕置き”を恐れ、家族からの愛情、可愛がられることに飢えていたらしきことが読み取れる。彼女がしょっちゅう受けていた“お仕置き”が文字通りお仕置きのレベルであったのなら、その仕返しが一家皆殺しというのはやりすぎだが、“お仕置き”が度を越していたとしたらどうだろうか? つまり、もし、メリキャットが家族から虐待を受けていたとしたら。

その可能性は否定できない。現在の18歳のメリキャットが身なりに無頓着でやや小汚く(「きらいなのは身体を洗うこと」)、髪に櫛も入れていないからだ。幼少期にネグレクトされていたとしたら、自分の見映えを整える習慣がつかなかったことには納得がいく。姉コンスタンスだけはメリキャットの味方で、ご飯抜きにされた日にこっそりご飯を持ってきてくれたり突拍子もない空想話に耳を傾けてくれたりと世話をしてくれたから、姉だけは大好きだったのだろう。

虐待を受けていたのは姉コンスタンスのほうだったということも考えられる。いくら母の料理の腕前が壊滅的で、長女が料理好きだからといって、大きなお屋敷に暮らす資産家の一家が料理人も雇わず、毎日毎日、年頃の長女に家族全員(7人もいる!)の一日三度の食事の支度を任せきりにするだろうか? コンスタンスは召使いのような扱いを受けていて、料理や掃除や裁縫といった雑務を押しつけられていたのかもしれない(家族が庭に集って談笑している時間、コンスタンスは畑で雑草を抜いていたという描写がある)。

姉が大好きなメリキャットはそれが許せず、家族を皆殺しにしようと思い立った。コンスタンスが事あるごとに「みんなわたしが悪いのよ」と自責しているのは、妹の犯罪の痕跡を消すためにシュガーボウルを洗い流して容疑を肩代わりしたことが結局は妹のためにならなかったことを悔いているのだと思っていたが、もしコンスタンスが家族から酷い仕打ちを受けていた場合は意味が若干異なってくる。姉を守らなければと考えた妹に殺人を犯させてしまったことを指して「(妹にそんなことをさせてしまった)わたしが悪いのよ」と懺悔しているのかもしれないからだ。

他の可能性も考えよう。小さな弟(10歳)がいたということなので、弟(=一家にとって待望の男児)ばかりがちやほやされて姉妹の扱いがぞんざいになり、腹に据えかねたという可能性もある。だから弟が一番苦しんで死ぬよう、弟が最もたくさん使う砂糖に砒素を入れた。はたまた、父と母の仲が険悪で毎日言い争いが絶えず、ノイローゼになった末の犯行という線も。口論の原因はおおかた下の娘の奇行だろう。いや、それらのことはもう一切がどうでもよくて、当時から大大大好きだった姉と二人きりでの新生活を誰にも邪魔されずにスタート☆彡させたくて姉以外は殺しちゃおうというシンプルな動機だったのかもしれない。

様々な可能性が頭に浮かんでは消える。そうしているうちにふと、恐ろしくなる。繰り返しになるが、劇中ではメリキャットが家族を皆殺しにした動機は明確には語られていない。父のしつけが度を越していて日常的に体罰をしていたとか、母がメリキャットを気味悪がって自分の子ではないと否定していたとか、ジュリアン伯父さんの妻ドロシーがコンスタンスを奴隷のようにこき使っていたとか、そんなことは欠片ほども描写されていないのだ。なのに読者は、きっと一家には裏の顔があって、メリキャットが毒殺を企てるに足るだけの悪徳を備えていたに違いない、きっと彼らはその報いを受けたに過ぎないのだろう、という結論に辿り着いてしまう。ありもしない(あったかもしれない)虐待や惨状をあれこれと想像して、だから一家は殺されたんだと自分を納得させようとしてしまう読者の無尽蔵の想像力こそが、この小説が生み出す最大のホラーではないだろうか。派手な仕掛けもトリックも登場しない本作だが、創元推理文庫から出版されているゆえんはここにある。

とはいえ、家族が姉妹のどちらかに非道な仕打ちをしていた可能性は限りなく高い。ミセス・ライトとジュリアン伯父さんが事件を振り返っているくだりで、「(コンスタンスが)警察に、あの人たちは死んで当然だと言った」という証言があるからだ。ジュリアン伯父さんは過去と現在の記憶が入れ違いになったり、数分前の出来事を覚えていられなかったり、チャールズを弟のジョンと人違いしたりはするが、現実に起きなかったことを起こったと言い張ることはない。彼が語ることはすべて、時系列のどこかで実際に起こったことなのだ。であれば、「あの人たちは死んで当然だと言った」という証言も事実である。一家はコンスタンスに深く恨まれるようなことをしていたのだ。

「家族がみな忍耐に恵まれていたわけではありませんからな。いさかいがあったと言ってもよいほどです。深刻なものではありません。夫婦や兄弟の考えがつねに一致していたとは限らない、それだけのことです」

p.63

――え、伯父さんは必ずしも事実を言っているとは限らないって? 「姪のメアリ・キャサリンは(中略)まともに世話してもらえず孤児院で死んだよ」という証言は事実じゃないだろって? いや、これは、彼の中では事実だ。つまり伯父のジュリアンは、まだ砒素に蝕まれる以前は、他の家族と一緒になってメリキャットを無視し、侮り、世話をせず、存在をいないものとして扱っていたのだ。

「あの子はわしの本にはほとんど出てこない。だからあの子の話はおしまいだ」

p.160

だから彼はメリキャットの砒素入り砂糖の標的になった。他の家族と同様に。今は後遺症のせいで「かわいそうなおじさん」になり果ててしまったから、同情したメリキャットに過去の罪を赦されているだけにすぎない。子どもの頃はご飯も、本も、家での居場所も与えてもらえなかったメリキャットは、いまや「おじさんにもっと優しくしてあげよう」という恩赦を与える側になったのだ。何も与えられなかった側が、与える側に。そのために姉妹に生かされているにすぎないのだ。


いやー面白かった。半日で一気に読んでしまった。これは令和の今こそ読まれるべき先進性をもった小説。これを60年前に書いたとか信じられない。私的にはかなり好きな作風。翻訳(市田泉)も読みやすくて良い。ただし、劇中で繰り返し出てくる囃し立ての歌は、旧訳(山下義之)のほうがリズムが良いっぽい。

そして今知ったけど、なんと本作は2018年に映画化されているとのこと。自分の頭の中でもうすっかり登場人物全員のビジュアルが出来上がっているので、いざ映像を見たら「原作と違う!!」と失望しそうで怖い。私の中のコンスタンス像と食い違っていたらショックのあまり寝込んでしまいそうなので、映画は観ないでおこうかな……。でも囃し立ての歌がどんなメロディなのかは気になる。ううむ。


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