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いつか自分本位にやっていい日まで

足のつかないプールに
ドボンと投げ込んで、
溺れている姿を見ながら、
こう泳ぐんだよ、何でビート板もたなかったの?と言う人が社会にいる。

格闘ゲームのコントローラーを
ホイと手渡して、
敵のコンボに溺れている姿を見ながら、
コマンドはこうだよ、何でこのキャラにしたの?と言う人が社会にいる。

溺れながら教えてもらい続けると
技術よりも先にトラウマを覚える。
結果的に一生格闘ゲームができない
カナヅチとなる。
仕事を動きながら体で覚えるのは悪くない。
ただ体で覚えると、頭で理解ができない。
そうなるといつか後輩ができても方法を教えられない。
意識してから行動だ。
技を覚えてから対戦だ。

すごくいい先輩と出会えたのなら、
それが自分に合わないと感じても、
聞いたやり方をちゃんとやる。
先輩はその方法で最大火力のコンボを繋いでいるわけだ。
あ、もう一人でいける、と最初に思うタイミングというのは、実は全然まだまだ。
落ち着いてから後ろを振り返ると、
お父さんはまだ荷台から手を離していない。

先輩の元を離れ、息を吸って吐くように先輩のやり方ができるようになると、
自分本位にやっちゃっていいかもと、
思う時が来る。
この世には正解が有るものと無いものがある。
悩み苦しむものには正解がない。
そんなもの自分本位に答えを出すしかない。
他人に聞いた正解らしきものは、
正解ではなく点数が高いものなんだ。
自分の中で高い点数を叩き出したもので
勝負をするんだ。
行動に出てみてもいいし、
誰かの意見と並べてみてもいい。
もし他人の意見が自分よりも点数が高いと感じたらもらってしまおう。
これは負けじゃない、協力なんだ。
どっちが点数が高いかは肌で感じられる。
正解を出そうとするんじゃなくて、
高い点数をとろうとする。
それは自分本位に考えってしまっていい。
いつか自分本位に考えた答えの点数が肌で感じられる日がやってくる。
それは他人の喜ぶことが何となくわかる状態である。

いつしか教える側へ。
後輩には事前に伝えなくてはならない。
この不自由に感じるキックは、
いつか広大な海で
自由に戦うためのものなんだよと。

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