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小蝿のように光を求めて歩く

最近、散歩で太陽の位置と日の当たるところを意識して歩いている。
そうすると、普段見ている景色のはずなのに見え方が変わってくる。
たまに「おぉ」って思う景色があったりする。
そう思う景色は何日か経ってもう一度似た条件で見ても、あの時の感動にならなかったりするから面白い。

8時ぐらいに家を出たのだが、この時間だと太陽の位置がまだ少し低いので、建物に隠れてしまって影が多い。
地元が都会ってほどでもないのだが、田舎町でないことを呪う。
しかし畑がちょこちょこあって、自分に対して畑のような平地が東側にくれば、太陽が建物に隠れずに日がガツンと当たってくれる。
それをぼくと赤ちゃんでしっかり浴びると心地よい。

だが、建物の隙間をぬってスポットライトのように光が少しだけ当たっている時も、少し感動する。
その光が当たったものは、たとえゴミだっとしても、感動するんじゃないかってぐらい、太陽のスポットライトは輝かせ上手だと思う。

近寄りたくなった。包丁研ぎ屋さん。

ちなみに別日に撮った曇りの写真がある。

グレー調の建物に日が全く当たらず、派手なコントラストもない。でもこの景色に日が当たっていたら、シャッターを押さなかったように思う。
なんで撮ったかは今日ゆっくり考えてみよう。
曇りの日も出かけるべきだな。

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