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自由に育った人の助けになる言葉

僕は発表が好きである。
毎週行うチーム会で、メンバーのためになりそうなことを、モニターに自分の画面を映しながら、発表をする。ただ一方的に話すのは好きではないので、スライドを見ながらみんなでお喋りするような雰囲気が理想である。


1か月ほど前、チーム長との面談で、話しが盛り上がる内に気が大きくなって、「チーム内だけじゃなくて、外でもやってみたい」と口走ったら、「やってみたら?」と即答をもらった。

チーム長との面談の後、僕は2年前のチームを再集結させようと思い、声をかけた。人数はほどよく4人。この時のチームは会話が弾むメンバーで、まだチームチャットでのやりとりが頻繁ではないにしろ、たまに情報交換がされていたので、声がかけやすかった。

そして昨日10/4、久々にチームを集めて、発表をした。ディスカッションも交えて行い、各メンバーがそれぞれ新たな知識を得られることができ、雰囲気も楽しく、「充実した時間だった!」とつい調子にのった。

その調子はその後、本当に些細なことで、下がることになる。これはゆとり世代特有の下がり方なのか。それとも僕自身の個性なのか。おそらく後者だ。何せ同い年である奥さんはきっとこんなことで気持ちを落とさない。


ディスカッションをしている際に、「この話題は別枠を設けて話し合った方がいい」ということになり、「またやろう」ということになった。今回だけでなくて次の機会も生まれるのは嬉しいことだ。その会が終わって、席に着き、調子が冷めぬ内に、日程の候補日をいくつか送った。
数分経って、背後から気配がした。メンバーの1人で、この人は2年前のチームのチーム長であった。そして口を開いた。



「次はお昼休みの時間にやろっか。最近会社的に残業時間に厳しくなってきたし。」

「承知しました!」



「承知しました」の後の「!」マークは、自分の気持ちが下がったのを隠蔽するためのものであった。何故このような些細な「指摘」で気持ちを落としてしまうのだろうと思った。


これを僕は、自由に育った代償なんだと仮定した。
特に親からは、あーしなさい、こーしなさい言われることなく育つと、自分がどこまでやっていいのかが分からなくなる時期があった。そうなると人の顔色を気にしつつ、自己判断をして、結果的にその後誰かから何かを言われると、「怒られた」と反射的に感じてしまうのだ。これは幼少時代に言われた経験が少なかったからなのだと思う。


さっきあえて「指摘」を「」で囲ったのは、それ以外に当てはまる言葉が思い浮かばなかったからだ。指摘と感じ続けると何の進展もない。分かっているのだ。チーム長は怒っていない。指摘という言葉もきっと誤っている。お昼の時間にやった方がいいって僕自身もそう感じた。なのに、たったこの一言で、ここまで気持ちが下がってしまい、言ってくれた人に対してどうしても生まれてしまう「なんでよ」という、反抗的な感情は、とにかくどうにかしたかった。鎖で縛るというより、そもそも暴れてほしくなかった。



書きながら、精神安定剤となる言葉が、舞い降りた。それは「助言」である。「指摘」ではなく「助言」。チーム長が放った一言を助言とすれば、自分自身で優しいオブラートに包んで飲むことができそうだ。
念の為、辞書で引くとこう書いてあった。

じょげん【助言】ーする(自サ)
わきから助けになるような事を言ってやること。「ーを与える」〔古くは「じょごん」〕

山田忠雄 倉持保男 上野善道
山田明雄 井島正博 笹原宏之
『新明解 国語辞典 第八版[小型版]』
三省堂、2020年、p759


書いて字のごとくである。しかし肝心なのは、どこから言うのかである。上からではなくわきからなのだ。平行で平等な目線だ。


「こうしてほしい。」という強い言葉に圧倒されそうな時も、それは助言なんだとして優しく向かい入れ、冷静に判断する姿勢が僕にとっては必要な力のように思う。


僕を“助”けた“言”葉は「助言」だった。

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