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台湾の日本史

9月末から10月にかけて、鹿児島大学名誉教授の長嶋先生とともに、日本統治時代の台湾で活躍した日本人ゆかりの地を巡る旅をしました。

ところで、台湾がかつて日本だったことをご存知でしょうか?

台湾人であれば誰もが知っている史実ですが、そのことを正確に理解している日本人は多くないように思います。

僕自身、台湾に来るまではほとんど意識したこがありませんでした。

1895年から1945年にかけての50年間。それは、台湾では「日本に占拠されていた時代」とも、単に「日本に統治されていた時代」とも呼ばれています。

日本による台湾統治の歴史は、きしくも僕が暮らす島「澎湖(ポンフー)」から始まりました。

日本軍が上陸した地点にある記念碑は、今では日台友好の証として残されている。

それは日清戦争末期のこと。日本はこの戦争の目的であった朝鮮独立を達成できたにも関わらず戦争を続け、ただただ台湾を手に入れるためだけに台湾海峡に浮かぶ澎湖に侵攻しました。

すでに清国と日本が講和条約締結のために動いていた3月15日、日本軍は佐世保港を出港します。

このことは澎湖にいた清国軍に伝わっていたものの、澎湖はわずか3月23日から25日までのわずか3日間で陥落してしまいました。

日清戦争の戦場が台湾地域にも広がった既成事実を作った当時の内閣は、強引に澎湖をふくむ台湾を清国から割譲させることに成功。台湾は日本統治時代へと移行します。

しかし、講和条約が締結されたからといって平和が訪れるわけではありません。

台湾では急きょ「台湾民主国」が建国されて日本軍と散発的な戦闘が繰り広げられますが、6月17日に台湾は正式に日本の植民地となりました。

これが歴史の事実ですが、その後終戦までの50年間にわたり、現代の台湾の礎を日本人が作ってきたこともまた事実です。

橋頭の製糖工場跡地にある山本悌次郎の銅像

台湾の製糖業を近代化させた山本悌次郎、不毛の大地を豊潤な大農業地帯に変えた八田與一、その他にも多くの日本人が台湾の人々のために人生を賭けました。

今回の旅では、日本時代の現地物がそのまま使われている高雄歴史博物館、山本悌次郎ゆかりの精糖工場跡、派出所跡、八田與一が作った烏頭山ダム、日本軍人が祀られた廟、映画KANOの舞台となった嘉義などを訪れました。

八田與一の銅像は、烏頭山ダムを見下ろす場所にある。

こうした人々のエピソードに共通するのは、人と人の縁、それも当時だけでなく現代にも繋がる縁のように思えてなりません。

八田與一のように誰もが知っている英雄もいれば、誰にも知られずに息を潜めている英霊もいます。

そうした人々にスポットライトを当て、過去の偉業・知恵・教訓・後悔を未来へと継承できるのは、現代を生きる私たちだけです。

さて、この旅の最終目的地は国立台湾大学で開催されたジオパークの国際学会でした。

台北での国際学会の様子

人とジオパークは対極にあるようで、切っても切れない関係です。

世界中から集まった専門家の取り組み、それこそが未来の世代に継承するための歴史の編纂作業に他ならません。

日本統治時代の台湾で活躍した日本人と、ジオパーク。

旅に出る前は両者に共通点などあるとは思いもしませんでしたが、今は異なる二つの世界がリンクしていることを理解しました。

そして旅が終わった今、自分自身の役割と目標を見つけることもできました。

やはり、旅はいい。そして、small is beautiful だ。

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