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第五十二話 お遍路を終えて

こんにちワイパー
32歳男性です。

無事、結願

お遍路88箇所無事、回りきりました。

挫折…というかやめようかなと思ったこともありましたが
回りきれてよかった。

というか回りきってよかった。

過去の記事でも何度も言ってますが、特に仏教を信奉してる訳ではありません。
(実家は曹洞宗かつ、母親が神道にやや傾倒している。)

いわば無宗教である自覚はあります。
しかし、困ったときの神頼みとはよく言ったもので

苦しくて辛い時に伊勢神宮、出雲大社と参拝し
この度お遍路を回りました。

逆打ちをするとご利益は3倍であるということから実際に逆打ちをしました。

心境の変化は間違いなくあります。
おそらくこれが一番大きい。

巡拝をして得ることができたこと

いわゆる知見を手に入れたともいえます。
とことん自分と向き合う日々、
毎日巡るお寺、
お寺から与えられるリラグゼーション効果。

正直、よりを戻したい、よりを戻したい!とばかり序盤は考えていました。
護摩木があれば心願成就!と書いて願い、
俺の心の願いはよりを戻すことだ!だからどうか頼む!

なんてことも考えていました。

が。

途中で、それは自分の幸せになりたい願いだと気づき、
人の一生は幸せになることが大事なのであって必ず誰か特定の人間を決めて添い遂げることではないと気づきました。

そう彼女にも彼女の人生があり、
俺にも俺の人生があり、
大事なことは大切なあの子が幸せになることであり
また俺自身も幸せになることだと気づいたのです。

そう気づいた時から心の執着心は消えて、
身を引く決心は定まり、
あとはとにかく自分とあの子の幸せ、
自分が生まれてこれたことの奇跡、
先祖や父母への感謝へと変わりました。

考え方が変われば不思議と心は苦しくなくなり、
今度は自分のこの先の人生、どこへ向かうのかということを考えるようになりました。

土佐の偉人、坂本龍馬はその生涯を31歳で暗殺されることによって閉じています。
その龍馬の歳を自分は超えており、しかしまだこの先の人生無数の選択肢があります。

人は志さえあればなんだってできる。
目標を持たなければ何にもできないことに気づいたのです。

目標を持ってコツコツと前に進んでいく。
2週間ばかりのお寺周りではありましたが
人生そのものも目標を持ってコツコツと前に進んでいかなければならないと思うのです。

人生とは道を歩くようなものですが
決してその道のりは平坦ではない。
つまりお遍路と何ら変わらないのではないかと。


だからこそ人生の節目節目に目標を設けて
1歩1歩進むべきなのだと、そう気づきました。

知識と経験が人生を豊かにする。

わからなければ学べばいい。

したことがなければ実行すればいい。

やりたいことが見つからないのは何も知らないし経験が乏しいからなのでしょう。

知らないことを知らない。
だから人は怠惰に生きてしまうのではないでしょうか。

以前無知の知について語りましたが世界は広く、
いろんな人がいて、いろんなことができます。

想像を膨らませて自分のやりたいことを見つけ
そしてそれを目掛けて少しずつでも前へ前へ進むのです。


お遍路では自分に足りていなかったことを教えてもらいました。

自分の心の浅ましさや至らなさ。
怠惰に生きる中で極力楽をしようとする浅はかさ。

そんなことで一度きりの人生は楽しめないだろうと痛感しました。

金銭的豊かさが人生の豊かさではありません。

人は肌で感じて理解し、変わっていく。

志があるなら実行あるのみなのです。

ケジメをつけるということ


失恋の苦しみからは解放して次へ進むために
元カノへ私物返却を口実にお土産を渡すこととこれまでの感謝を伝えに行きました。

相手は実家暮らしのため家にいきなりいくということはこれまでなかったのですがこの度、初めて訪問しました。

その中で自分の思いを伝え、相手の思いを聞いて
無事よりを戻すこととなりました。

お遍路を終えた翌日のことです。

まさに心願成就ともいえます。
しかし、自分には過去のやらかしがあるので
この先の障害もまだまだ多いことでしょう。

どうなっていくかとんと見当もつきません。

しかし、今の自分であればどんなことがあっても相手を尊重し、
自分を尊重し、
乗り越えていけるような気がしています。


お遍路を行くことによって自分の成長につながった気がします。


できればまた行きたいです、お遍路。

いつか歩き遍路もしてみたい。

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