雨と(未来の)老人

ファブリーズのような雨だ。
そう、例えるならば、ファブリーズのような雨だ。
人工的なようでいて、あまり効果がない。

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しかし、連日、降り続く雨は、やはり恵であり、けれども、僕らの家屋を確実に腐らせていっている。

物事には、必ず、両面があるが、けれども、年老いた僕にとって、自然は、それほど、良い方向に作用しない。

管理しきれず、修繕費が積みたてられる家屋。
年老いて行く自身の体と脳。
埋まらない知識。

僕は、人生の夕暮れを歩いているが、それもあと3年から5年の話だろう。
その後の、僕は、すこし高級な老人ホーム(姥捨て山)にでも、ぶち込まれるだろう。
それは例えば、今後10年から30年の間に起こる話だ。
僕の人生は、必ず日暮れに向かう。

暗闇をさまよう。
その時に、多少なりとも貯金はあれど、さりとて、僕は僕の孤独が癒せる訳ではない。

もう、酒もたばこも無理が来ているだろうし、老眼だろう。
読書や映画も今ほど楽しめないかもしれない。
そんなときに、僕は、暗闇で暇をつぶせばいいのだろうか。

瞑想だろうか。

とにかく、僕は、人生の暗闇の到来を心配しながら、しかし、がむしゃらに働き、自分の好みの女の子とだけ会う日々を続けている。
スモールな人生のたのしみは、しかし、感染症のせいともいえるし、老成した僕の価値観の産物とも言える。
しかし、いずれにせよ、僕の人生の孤独を埋められるのは、美少女だけだということだ。

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