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ピピロッティ・リスト展と久保田成子展 その② くぼた編

展覧会レビュー/レポート、そして思考の走り書き。


一応、先日のピピロッティの記事の続きという体で書いていこうと思っています。→ピピ編はこちら


久保田成子展 Viva Video!

この展覧会には、大学院の「キュレーション実地演習」なるゼミ授業で訪れることになった。院生どころか休学中の学部生で正規の参加ではなく公認もぐりでだ。教授がTwitterで展示見に行ってピピ展と久保田展に関するディスカッションをするということを呟いていたのでその日のうちに参加希望のメールを送っておいた。75分ほどで展示を見た後、担当学芸員の橋本梓氏に直接お話を伺える機会を設けていただけたので、そこで話題となったことについても少し書き加えていきたい。(主にはキュレーションの実務の話でしたが、作品内容への踏み込みも許していただけて非常に勉強になりました。詳しくは書かないが、橋本氏にメディアアートの保存や収蔵に関する話もお聞きできました。)

久保田成子という人物を良くは知らない、せいぜい知っていても名前と数作品くらい(僕もこの部類だった)かと思われるので、簡単に書き留めておこう。

久保田は60年代からゼロ年代にかけて主にアメリカを中心にヴィデオ彫刻と呼ばれる作品群を制作し活動していたアーティストだ。大学では彫刻を学び、読売アンデパンダン展などでも活動したのち、渡米してフルクサスに参加。その後ナム・ジュン・パイクと結婚してからヴィデオ作品の制作を始める。これまでは、パイクの陰に隠れてしまっていたという事実があり、本展はほとんど初めて、パイクの妻としてでもなく、ヴァギナペインティングだけの人でもなく久保田を(再評価ではなく)評価すべく企画されているのだろう。

久保田成子展 国立国際美術館

さて、前置きはこれくらいにして展示を見ていこう。全6章の構成でそれぞれ「1 新潟から東京へ」、「2 渡米とフルクサスへの参加」、「3 ヴィデオとの出会い」、「4 ヴィデオ彫刻の誕生」、「5 ヴィデオ彫刻の拡張」、「6 芸術と人生」となっている。ざっとこれを見てもお分かりだろうが、基本的には展示物は年代順に並ぶ。

そのように述べた直後ではあるが、展示会場に入ると一番初めには本来であれば第4章で展示されるべきであろう≪メタ・マルセル:窓(雪)≫が展示されている。久保田の人生を作品を通して追っていくという全体構成はあるものの、本展の重心がデュシャンピアナシリーズをはじめとしたヴィデオ彫刻作品であることが冒頭で示されているのだ。第1章では、久保田の学生時代前後の展示風景の写真など関連資料が展示される。

つづく第2章では、フルクサスにまつわる作品や資料が展示され、ここには国立国際美術館所蔵の塩見允枝子の作品やフルクサスのマルチプルも展示されていた。ここに、あの有名な、久保田と言えば、の≪ヴァギナ・ペインティング≫の複製写真が特に拡大して大きく展示されることもなく、10㎝ほどの大きさで展示ケースに並んでいた。女性器に筆を差し込んだように見せて(実際どうなっているかは不明)床に敷いた紙に描くという問題のパフォーマンスである。キャプションのほうに注目してみたい。正確な文章は覚えていないが、要旨はこうである。このパフォーマンスはパイクとマチューナスの指示によって行われた。そして、久保田自身もそう書籍内で証言している。「真偽は定かではない。」(カッコ内は原文ママ)

このパフォーマンスは、ポロックの実践なども参照しつつ、現代アートにおける女性性の問題が語られるとき、頻出の実践だ。それが、男性から指示された行為であるとするならば、受容する我々も些か戸惑いを禁じ得ないわけだ。このことに関しての私の質問に対する学芸員の返答としては、実際に見た人はせいぜい20人程度であったというが、その一人である塩見允枝子(久保田とともに渡米している)ら現存者が否定しているというわけだ。すかさず平芳先生が、「久保田がわざとそういう策略(偽りの証言)を取っている可能性もある」と付け加えてくださったが、自分と同じ一人の人間であると考えれば、実際の発言と事実のあいだに相違がある可能性は排除できないと改めて認識させられた。

それでは本展のメインともいえるヴィデオ彫刻の代表作品群のデュシャンピアナシリーズをいくつか見ていこう。

≪デュシャンピアナ:自転車の車輪1,2,3≫(1983-90)

デュシャンのレディメイドの嚆矢的作品は単に、木製のスツールに車輪が置かれていたものであったが、本作品にはモーターが取り付けられている。


≪デュシャンピアナ:マルセル・デュシャンの墓≫

この作品に関しては、該当するデュシャン作品が思い浮かばない。多数の画面を内包した柱状の構造物を壁面に立てて、天井と床に細長い鏡を設置する。上を覗き込んでも、下を見下ろしても、無限にヴィデオの点列が続く。ブランクーシの≪無限柱≫のことを連想せずにはいられなかったが、あれは物理的限界のために、現実的に言ってしまえば、切り取られた≪無限柱≫とでも考えなければ有限でしかない。一方、本作はその点を乗り越えている。確かに、鏡に映るのは虚像ではあるが、実物のブラウン管画面と同じく光を私たちは見ているのだ。

≪デュシャンピアナ:階段を降りる裸体≫(1975-76/83)

デュシャンの絵画に階段を降りる裸体をテーマとした有名な作品群が存在するが、本作では、階段状のオブジェクトに埋め込まれた画面に裸体が映し出されるようになっている。

その他の展示作品をを2つお見せしたうえで、今までずっと繰り返し用いてきた、この馴染みのない「ヴィデオ彫刻」とは一体どういうものなのかについて考えていきたい。

≪河≫(1979-81)

≪ナイアガラの滝≫(1985/2021)

共通項を見ていけば、端的に言えとヴィデオ彫刻というのは「再生機を含めた映像を含むオブジェクト作品」ということになる。再生機という要素において、一般的なヴィデオアートとは映像の用い方が異なっているのだ。そのため、作品保存において非常に難しい問題を抱えていることは容易に想像がつくだろう。

キュレーションについて

この展覧会は、久保田成子の出身地である新潟の新潟県立近代美術館→国立国際美術館→東京都現代美術館と巡回している。もちろん、各館に担当学芸員がいて、共同でカタログ執筆やキャプションや展示作業などが行われているそうだ。しかし、会場キュレーションは各館の担当学芸員の裁量が多いそうで、センシティブな映像の対応に差異が生じている。性的表現や残虐な表現に関して、新潟では完全なゾーニングが敷かれた。つまり、18歳未満は見ることができないという点についてである。一方、国立国際では、注意書きとともに、展示室の隅に、それも暗室の陰に配置するという、いわゆるまさに影を薄めるかのような手段に出ていた。

そして冒頭で述べた窓の作品の配置と並んで特徴的だと思ったのは、久保田の個人年表が第6章、つまり会場の出口の近くに配置されていたこと。回顧展や個展ではたいてい会場に入ってすぐのところに年表を配置して、鑑賞者はだいたいこういう人か、とぼんやり把握したうえで順路を辿る。一方で、久保田のように必ずしも一般的には著名でない作家の回顧展においては、今回の配置は、展示物を初発的な接触とし、最後の振り返りがテキストで行われるというほうが、スマートなのかもしれない。

2つのヴィデオアートの作家の回顧展を巡って

ヴィデオインスタレーションとヴィデオ彫刻。存命作家と物故作家。

前者では環境という形で、後者ではオブジェクトの一部の再生機のなかの光という形で、映像が後退していた点で共通性を見出せるかもしれない。ピピロッティは存命作家であるため、学芸員と作家の対話である程度、柔軟な展示が可能であろう。一方で、久保田は物故作家であるため、学芸員が独自に手を加えてしまうと介入となってしまう。もし、久保田が存命作家でピピロッティが物故作家であったらどうなっていただろうか?きっとどちらの展示も成立していなかったのではないかと思えてならない。ピピロッティは≪チナツのための壁作品≫を作り、国立国際の橋本さんは「成子さん」と呼んでいた。これが、現代美術の展覧会に求められる大切な距離感と言ってもいいのかもしれない。


追記 もしかして、そういうことか!!

実は、授業の担当が、マルセル・デュシャン研究者の平芳幸浩先生なんですが、ちょうど美術館に行った翌々日に、ご著書「マルセル・デュシャンと日本現代美術」の出版記念トークに足を運びました。これは僕の主観なので間違っていたら申し訳ないのですが、一応、だいたいの著書を拝読したうえで、平芳先生は、美術作品研究や美術家研究をしているんではなくで、もっとメタ的に美術研究をされていると思うんですね。よく、キーワード的に出されている言葉は、「受容論」で、そのなかでもよく指摘されているのが「日本における過度な≪泉≫の神格化」という話なんですね。確かに、私たちは、デュシャンと言えば≪泉≫で、≪泉≫と言えば現代美術の起源そのものみたいに常に崇め奉ってるきらいがありますよね。で、重要なのは、神格“化”なので、最初から≪泉≫が今みたいな絶対的地位にあったわけではないのです。今回の久保田のデュシャンピアナシリーズは、70年代後半くらいに主に制作されています。そして、記憶が正しければ、東野芳明の「マルセル・デュシャン」は1977年に出版されている。今回の久保田の展示においてデュシャンピアナに≪泉≫が不在であること(一応ネットで調べるだけでは、そもそも同シリーズの≪泉≫が存在していないこと)は、間接的に≪泉≫神格化の証言なのかもしれないですね。


ていうか、今回のnote、長くない……?


※ヘッドの画像は国立国際美術館のHPから引用しました。https://www.nmao.go.jp/events/event/kubota_shigeko/

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