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プラハ歴史文化探訪
電車トラブルで6時間の予定が9時間もかかってようやくクラクフからプラハに到着した。
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宿でぐっすりと寝て体力を回復した私は、プラハの街を探検することにした。
チェコ国立博物館
チェコ国立博物館は、ヴァーツラフ広場を見下ろすとても立派な建物である。
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いつか見た、ビロード革命の時にこの広場が人で埋め尽くされている映像を思い出す。私はここでチェコの歴史を勉強することにした。
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ブルタバ川にかかる橋をコントロールすることで交易の要衝となったプラハは、ヨーロッパで最も栄えた都市のひとつだったことや、宗教改革を断行したプラハ大学総長ヤン・フスのこと、長くオーストリアのハプスブルク家に支配されていたこと、19世紀から汎スラヴ主義やナショナリズムが巻き起こり、ドヴォルザークやスメタナ、アルフォンス・ミュシャなどがそれを担ったことなどを学んだ。
チェコ語の使用が禁じられるなど、ハプスブルク家によるドイツ化政策がとられていた中で、芸術を通して民族の誇りや独自性を取り戻そうというナショナリズムの形を知ることができた。スメタナの我が祖国などを聴きながらプラハの町を歩いてみると、哀愁と激しさに満ちたチェコの歴史や国民性をひしひしと感じた。
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今までよく知らなかったが、非常に興味深い歴史を持つ国だと感じた。
歴史だけを学ぶつもりだったが、意外に自然科学の展示も面白く、ついついすべて見て回ってしまった。たくさん模型やはく製、標本があり、見ていて面白い展示だった。
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パウダータワーと旧市街広場
博物館を出て、ヴァーツラフ広場をヴルタバ川に向かって歩いていく。カジノやブティック、土産物屋などがずらりと並んでおり、少しシャンゼリゼ通りみたいだ。
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パウダータワーと呼ばれる塔に行き当たり、100コルナを払って中に入ってみる。急な階段を登りきると、さすがに息が上がる。
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百塔の町と呼ばれるプラハには、なるほど尖った塔がたくさん見える。これまで見てきたマドリードやバルセロナなどの景色と全く違う。でも、雰囲気は少しウィーンに似ていなくもない。赤い屋根が美しい。
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旧市街広場に行って、天文時計やヤン・フスの像を見る。天文時計のからくりは、大勢の人が集まっている割には拍子抜けするようなあっけないものだった。でも、時計の装飾だけでも一見の価値はあるだろう。
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アルフォンス・ミュシャ美術館&市民会館
2日目、イタリア風のカフェで朝食を食べ、ゆっくりと久しぶりのコーヒーを楽しんだのち、ミュシャ美術館を訪れた。建物は思ったよりもこぢんまりとしている。
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実は、寡聞にしてミュシャの名を知らなかった私は、チェコ人画家の美術館があるということでここに来ただけだったのだが、いざ見てみたら私がパリでほれ込んで買ったポスターの作者であった。私がとても気に入っているアール・ヌーヴォーの最大のアーティストだったのはこのミュシャらしい。いやー、知らなかった。
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中に入り、彼の手によるポスターの数々を見る。凛とした女性やいたずらっぽい女性、艶やかな女性、穏やかな女性など、中央に描かれた女性たちにはそれぞれのキャラクターがはっきりと表現されている。
背後には、1日の時間や1年の季節などを表現するシンボルが、半ば幾何学的にちりばめられており、画面を煌びやかに彩っている。
演劇のポスターでは、サラ・ベルナールの特徴をうまくとらえながらオリエンタルなシンボリズムをちりばめており、この作品が一夜にしてミュシャの名声をとどろかせたこともうなずける。
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スメタナ然り、ミュシャ然り、オーストリア帝国からの独立の機運が高まる時期に、民族主義をアートを通じて広めている。ミュシャはポスター制作をやめてから、Slav Epicという大絵画の制作を行ったらしい。この美術館にも、汎スラヴ主義を感じさせるポスターがいくつもあった。
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美術館を出て、昼食をとろうと旧市街を歩いていると、明らかにアール・ヌーヴォーな建物に行き当たった。そしてそこにはミュシャ展のバナーが!行くしかないだろう。
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この建物は、ミュシャ自身もデザインに携わった、市民会館というところだそうだ。内装は美しく、豪華なカーペットの階段を上っていくと、ミュシャのオリジナルポスターが多数展示されていた。美術館にはなかったものも多く、入って良かった。
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モエ・シャンドンやたばこの広告、四季を擬人化したポスターなどが印象的だった。
ミュシャのデザインは全て、何というか、映える。大衆にもわかりやすい良さがある。俗っぽいとアカデミーには批判されそうだが、本当にきれいなデザインだと思う。
プラハ城
旧市街から歩いてプラハ城へ向かう。途中には、フランツ・カフカやドヴォルザークの像があった。
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調べたところによると、プラハ城は最古にして最大の城としてギネス登録されているらしい。知らなかった。
急な坂を登りきると、そこには小さな町のような城があった。なるほど、これは大きい。ただ天守閣のようなものがないので、「城」感が薄い。
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チケットを買い、まず聖ヴィート大聖堂に入る。とても立派な聖堂だ。ミュシャが手掛けたステンドグラスもあった。
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昔の王宮にも入ってみる。バイエルンのルートヴィヒ2世や、オーストリアのハプスブルク家の宮殿を見てきたので、この王宮はとても質素に見える。プラハ城の歴史が分かる展示もあった。それによると、ここもクラクフのヴァヴェル城と同じで、ハプスブルク家のマリアテレジアなどが軍事用に改築したそう。
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プラハ市民の心のよりどころとなっている点は、私の故郷にある熊本城とつながるところがある。展望台からプラハ旧市街を見渡すと、赤瓦に統一された街並みが本当に綺麗である。プラハを守り続けてきた、この城を堪能することができたと思う。
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カレル橋を渡って旧市街に戻る。夕方のヴルタバ川は、静かでとても美しい。橋の上から見る、ライトアップされたプラハ城はまた一段と美しかった。
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教会コンサート
橋を渡りきったところにある教会でコンサートがあるというので、チケットを買う。教会の中の装飾は思っていたよりも荘厳で、ここでクラシックを聴けると思うとわくわくする。
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歌手もいた。ラクリモーザ、我が祖国などが教会中に響き渡るのは本当に圧巻だった。オーケストラと言っていたのに弦楽しかいなかったのは想像と違いはしたが、大満足だった。
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プラハはとにかく美しい街だった。そしてその歴史はとても興味深かった。チェコという国が、少し近くなったように感じた。
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