能登の災害ボランティア参加記録1

2024/04/04
明日からの能登地震の災害ボランティアに参加のため京都から移動。

敦賀から新幹線に乗る。
特に感慨もない。時間は少し短くなり乗り換えが不便になった。

久しぶりの金沢、特に友人にも声をかけていないので、一人で夕食。
能登で知り合った方が経営する片町の店で少し飲む。

店では隣に会社のお偉いさんが数人座っていて、なんとなく会話に混ざる。地元の方に直接、震災の話を聞くのはこれが初めてだ。

ボランティアの少なさについて尋ねると、やはり水が来ていないことで、一般ボランティアの受け入れは厳しいとの見方。ゴールデンウィーク明けからボランティアは全面解禁になるとのこと。

水道工事についても話が広がる。
現在、復旧工事が進むが、里山海道が寸断されてなければ、大量の水を運ぶことで住民に十分な水を届けることができたはずであると。そして、上下水道については、
「いつまでに直すかもあるが、どこまで直すか、という議論もある」
とのことだ。福島で水道や家を直したが結局住民が戻らなかった、という話を思い出す。

いいところで切り上げ店を出る。店員も客も頑張って、と見送ってくれた。いろいろ初めて聞く話ばかりで、やはり情報収集は酒場だなと再確認した。

木曜深夜の片町スクランブル。
人だかりはあるが、黒い。
黒い服を着た人たちばかりが集まっている。
キャッチの皆さんである。
信号待ちをしていると、一人がいい角度から入ってきて話しかけてきた。それだけで手だれとわかる。このお兄さんなかなかの話芸でついつい聞き入ってしまう。
「ご新規さん、このところ全然おこしいただいていないんですよ。どうか僕を助けると思って、1時間、半額で!」
断腸の思いで辞退し、立ち去る。
おっパブのお兄さんに幸あれ。

帰りにラーメンを食べた後、タクシーを拾う。運転手に街がずいぶん淋しいようだが、と話しかける。

金沢弁で運転手が答える。この震災で、金沢の企業の多くが宴会を自粛しているらしい。春の歓送迎会も八割の企業が自粛したのでは、とのこと。

能登ではまだ水も来ていないのに、自分たちは酒を飲んでいいものか、と社長さんたちが思っているのではないかと。能登への人々の思いやりが、金沢の街を冷やすのか。

話題は能登の被災者に移る。倒壊した家を、補助金も少ない中で老夫婦が今から直せるわけがない。元々古い家の多い能登は、保険に入れない家も多い。子供達も戻らん。二次避難者の多くはそこにとどまるのではないか。

諦念を乗せた運転手の金沢弁でタクシー内の空気が重くなる。

「これがお盆まで続けば、金沢のほとんどの飲み屋は潰れてしまうわいね」


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