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必読!大失恋から学んだ、未練との距離の置き方。




大失恋とはどんな歳でもしんどい。




大失恋に限らずとも、何かしら人生で大きな損失と感じる経験をすると、耐性がない場合はいとも簡単に精神的に不安定になり、存在意義や生きる意味を見失う。




恋愛に関してはいくら過去の経験があるにせよ、心底惚れた人にきっぱり切り捨てられるという現実は簡単に受け入れられるものではない。




こういうネガティヴと思える出来事に対しての考え方や認識は人それぞれ違うので、一概にみんなどん底に落ちるよねと引きずりこむつもりは一切ないのだけれど、なかなか復帰できない人にはやはり何かしらの共通点があるのではなかろうか。




自分も、辛い経験を経て藁にもすがる思いで自己啓発やマインドに関する本を書籍やオーディオで読み聴き漁ってみたが、だいたい言われることは「起きたことをどう捉えるか」というようなこと。




捉え方によって良くもなるし悪くもなる。




その考え方はよくわかるし、そんな考え方があるのかと気づきを得ることもあるのは事実。




ただ、深く沈んでいるときに「あ、そうやって捉えたら楽になるんだ!早速今から考え方変えよう!」と誰しもがいきなり転換できたら苦労しない。




失恋であれば、虚無感や喪失感、過去と決別する寂しさや悲しさ、はたまた忘れられてその人の中で自分が死んでしまうのではないかという恐怖に苛まれる。
 



事象に対する捉え方がわかってたとしても即座に気持ちを切り替えられないし、変えようとするほどに苦しくなる。




そのまま葛藤の中でどんどんマイナス方向に引きずられて、最終的には足りないものを数え始めて負が膨張。




元々プラスの状態から失恋によってゼロに戻っただけだからマイナスではないと書籍などで解説されているが、実際は書籍の通りゼロではないのだとしても、分かち合うことができなくなったことで全てがまるで違って見えるのは確か。




食事も、ちょっとした風景を見るのも、散歩するのも、どこかへ出かけるのも、一緒にいる時はどんなことでも素晴らしいものに思えたのに、圧倒的な物足りなさを感じてしまうようになる。




どう捉えるかということ以外にも、「今あるものに目を向けて大事にしなさいとい」といったフレーズにも何度も触れた。




しかし、今あるものを大事に思えるほどの心の余裕など持ち合わせていないのが本音。
 



そういう見方や今あるものを大事にする精神も頭の片隅にはあっても、自分の心が満たされていないまま他者を心から労ったり気にかけたり優しくするすることはとても難しい。


むしろ優しくしれたい側の状態。




恋人以外にも自分の周りから人が離れていったのは、恐らくはこういった悲しみからくる瘴気とも言えるオーラのせいだろう。




実は最近、とある本の著者とzoomでお話しする機会をいただいた。
その中で言われた僕の未練に対する解決策はこうだった。




「浅い友達を増やすか恋活してください」




正直なところ、その時はからかわれているのではないかと思っていた。




が、思えば確かに的を射ているのではなかろうか。


他にもその方はこうも言っていた。




「一つのことに依存している場合その依存先がなくなると自立できなくなる。だから依存先を分散させることで一つ無くなっても立っていられる」と。




これは何も浮気相手を持てとか急いで新しい恋をしろとか無駄に適当な人間関係増やせといった雑なものではなく、人生において没頭したり拠り所にできるものを増やせと言う意味だといい意味で解釈している。
(もしかしたら本当にそのまま雑な意味かもしれない)




思えば自分は音楽や写真撮影や本を読んだりしている間は、没頭して辛い失恋のことを思い出す頻度は減る。




言い換えれば、恋愛以上にのめり込めるものがないことで過去を回想する隙がたくさん生まれてしまい、未練に縛られているように思う。




これらを踏まえて、失恋によってゼロ以下に感じる理由を個人的にこう結論した。
"その恋愛以上に自分の存在意義や居場所や生きがいがない、または少ないことで、失恋で受けた喪失感を埋められず、プラス地点からの落差が極端に大きくなることでマイナスだと錯覚するから"。

要するに自分にとってはその恋愛が最上位で全てに等しいものだったということ。

さらには自分は不幸だとか、別れた原因を自責だとして自分の悪いところばかりを探し始めたり絶望に浸ることで、潜在的に失恋に意識が向くように習慣化されてしまうことも拍車をかけているように思う。


もし未練を少しでも軽くしたいのであれば、他に意識を向けられるものを見つけ、失恋を思い出す頻度を極力減らすための習慣作りが必要になりそうだ。

少し極端だが、チャンネルが一つしかないテレビを想像してもらえるとわかりやすいかもしれない。

失恋という単一チャンネルしかなく、他のチャンネルに替えることができないとしたら、他の選択肢といえば電源を切る(=死)くらいしかない。
 

チャンネルが12あればもっと面白いチャンネルに変えて気分を紛らわせたり、笑ったりすることもできる。

失恋(恋愛)という単一チャンネルを見る回数が増えるほど潜在意識に刷り込まれて、あたかもそれが重要なものだと脳が勘違いすることで、否応なしに思考に影響を及ぼす。

一度習慣化してしまうと排除することが難しくなるので、色々な捉え方や考え方を学んであれやこれやとマインドだけでどうにかしようと思うと無理がある。

小さなことでもいいから、何か手っ取り早く没入感を得られるものや意識の逸れることに取り組みつつ、回想する回数や隙をなくせるような別のチャンネルの増設を検討した方が良さそうだ。

手始めにスマホゲームでも構わない。
得意なことでも新しいことでもいい。
特に、習慣になりやすいようなハードルの低いことがいい。

裏を返せば、思い出に浸って失恋ゾンビになることも、ハードルが低いがゆえに習慣化しやすい。
だからそのままずるずると引きずる。

もしも1週間眠らないでいられたら思い出に浸れるという条件だったら、それでも起きていようと思うだろうか。


 
仮に起きていられたとしてもあまりに過酷すぎて続けられない。
だから習慣にもならない。

結果的に、前述したとある本の著者の方の言っていた「浅い友達を増やすか恋活してください」という理論に妙に納得してしまった自分がいる。


悲しみを軽減していくために忘れるということは難しくとも、"遠ざける"ことはできる。
別の思考、行動習慣に置き換えることでなるべく思い出す余地を減らす。
そうすることで徐々に遠ざかる。



自分の場合、意外にも救われたことは、別れる前後や別れてからのことを物語風に文章として書くことだった。

なぜ救われたのかは、恐らく物語風に読み物として書くための文章構成を考えたり、どんな出来事やきっかけがあったか、相手がどう思っていたのか、そして自分はどういう思いでいたのかということを、客観的に見ることで冷静に状況を俯瞰できるからだと考えた。

漠然と『フラれた、もう生きる意味がない』とフラれたことやマイナス面にフォーカスすると全てが嫌になりがち。

あんなに尽くしたのに、あれだけ好きといってくれたのに、別れる前は何ともなかったのにといった、自分被害の視点でいると改善点を見落として、復帰できたとしてもまた繰り返してしまう可能性が高い。

相手がどうしてそういう決断に踏み込んだのかに焦点を当てて遡っていくと、当時は気づかなかった問題点が見えてくるかもしれない。


そういった付加価値も含めて、感情や出来事や別れた原因の仮説などを書き出してみるということはおすすめ。
 

気持ちが整理されるだけでも、ただ感情に委ねているよりは理由が明確になる分、違った考え方もできるようになる。


自分の場合はそれを機に、今までやらなかった読書や手紙を書くことや日記を書くことなどが新たな習慣になった。


特に、昼休憩や休日にカフェに行きそれらのことを実行すると捗る。
カフェではほぼすることが限られるので集中できる。


やることを決めてカフェなどの行動が制限される場所に行くことで、気晴らしにもなるしのめり込みやすい。

どうしても失恋のダメージが大きすぎて気が乗らないというのであれば、家でもいいので自分の気持ちだけでも紙等に書き出してみるといいかもしれない。

そこから得た気づきや感情から何か新たに取り組めることが出てきたり、何らかの才能が開花する可能性も十分ある。

こういった大きな出来事をきっかけに今までやらなかったことにチャレンジしてみたりするのは、今思うと自然なことに思える。

もちろん相も変わらず今まで通りの生活に戻れば何も変化はしないが、少しでも今までと違うことに取り組むことができれば、それは変化したことになる。

その変化を膨らませて、思い出したり振り返る習慣を減らせるような没頭できることを習慣化して取り組めば、時間が経てば未練は薄れていくはず。

きっと時間が解決するのではなく、習慣が解決する。
逆に思い出し続ける習慣があれば時間が経ってもなかなか解決しない。

未練ループから抜け出して踏み出したいと思っている人は、無闇に時間に頼らずに失恋から意識を遠ざけられるような習慣化できることを探して実践してみるのはいかがだろうか。


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