見出し画像

肝試しという悪徳とナキヨメ

あなたは深い悲しみのなかにいる
幸せだった生活が突如として失われ
経験したことのない
いつまでも続く鈍い痛みと
すべてが閉ざされていく絶望に包まれる

何も知らずに部屋を差す太陽や
さえずる鳥たちにさえ 
憎しみを抱いてしまい
そんな自分が嫌になって また悲しみが深くなる

痛み、悲しみ、恐怖、絶望、怒り、恨み
負の感情の螺旋を描きながら
あなたは暗い闇に溶け込んでいった



少し時がたっただろうか
痛みを感じないほど闇に同化してしまったようだ

そんなとき ドアを開ける音がする
聞き覚えのない若い男女の声
興奮しているような 怯えているような声
部屋に入ってきた顔を見ても やはり見覚えはない
足元を見ると 靴を履いたままだ
私が脱いだ服を 汚いものを触るように男が持ち上げる
それを見て女は苦い顔をして後退りする
そのとき男は少し笑っていた

あなたは突然の侵入者に戸惑うが
少しずつ その無礼な態度に怒りを感じる
その怒りをきっかけに、眠っていたあらゆる負の感情も再起していく
「何しにきた?」と声をかける
すると男女は、驚いてこちらを見た瞬間、大きな叫び声をあげて倒れ込み
我先にと走って逃げ出していった

いったい何がしたかったのだろう?
戸惑いが薄らぐと共に怒りが増していく

その日からあなたの家には
見知らぬ男女が次々と訪れ 土足で部屋を漁り
あなたを見て叫んで逃げ出す
そんなことが続くようになった



見知らぬ男女は何をしていたのか?

この物語に登場する男女が何をしていたのかわかるだろうか?
答えは「肝試し」である。
そう、あなたは突然の病によって全てを奪われ、
未練を残したまま絶望の果てに死んでしまっていたのだ。
その非業の死をどこからか聞きつけた者が、
あなたの部屋を「心霊スポット」として紹介し、
あなたに驚かされた多くの人々が「本当に出る場所」として情報を拡散していったのだ。

こうして毎晩のように、知らない人々が「かわいそうなあなた」を見に、
土足であなたの部屋にやってきて、好きなだけ部屋を荒らし、好きなだけ叫んで、満足そうに帰っていく。

あなたという存在はその日限りの「楽しい余興」として消費され続ける。
そんな人たちに「成仏してください」と言われても、怒りが増すばかりだ。

肝試しとは、傷つき苦しんだ人間を見て楽しもうとする悪趣味な遊びである。
自分が死んだ自覚のない死者は、とても怒るし、傷つきもするだろう。
死者は法律で守られないので、この暴挙を警察に訴えることもできない。
だから自分で対応しなければいけないのだが、
脅かしても怖がらせても、逆にそれが相手を喜ばせてしまう。
大半の幽霊は物理攻撃ができないので、せいぜい取り憑いて体調を悪くさせるぐらいだ。

死者の魂が幽霊として存在するなら、どうしてそれを怖がるのだろう。
私はずっとそう思っていた。
もちろん怨念によってこちらが傷つけられるかもしれない。
でも、傷つけられるかもしれないから排除するって、戦争の論理ではないか。
幽霊が怖いのは、幽霊が何者なのかよく知らないからだ。
あらゆる差別と同様、相手を知ることが、互いを傷つけあう悲劇の解消につながる。

死者への気づきをもたらすナキヨメ

テレビ東京で放送された『ナキヨメ』は、
そんな私の思いを、バラエティ番組という作品で表現するものだった。
肝試しを安易に批判するのではなく、あえてそこからはじめながら、
死者の人生を知ることで、陰鬱な心霊スポットが心温まる場所に明けていく。
理解によって感情が変化し、死者との向き合い方を改めるというストーリーは、多くの視聴者に気づきを与えることだろう。
全ての死者は生きていた。そんな当たり前の気づきだ。

私は心霊スポットに行くなと言いたいわけではない。むしろ行ってほしいと思っている。
ただ、少なからず心霊の存在を信じているのなら、
そこにいるのは心をもち、傷ついている死者なのだということも忘れないでほしい。
抜け出せない苦しみのなかにいる人にできることは、怖がったり嘲笑ったりすることではなく、
その気持ちに寄り添い、ケアすることである。

現代の緩和ケアがそうであるように、痛み、苦しみ、憎しみ、孤独のなかにいる人には、
相手を理解し、共感し、共に苦しみ、あなたは孤独ではないと態度で示してくれる人が必要だ。

そして死者に向き合い、ケアすることは、必ず人生の気づきをもたらしてくれる。

こんな文章よりも、テレビ番組というかたちで伝えてくれた方がよっぽど効果があるだろう。
私が出演させてもらっている『正解の無いクイズ』もそうだが、
楽しみながら考えさせる番組がこれからもっと現れてほしいと願う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?