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悪友

2019年6月、中学からの親友と下北沢でルームシェアを始めた。
2020年2月頃、新型コロナウイルスが流行し出した。
2020年3月、緊急事態宣言に伴い在宅ワークが始まった。
2020年7月頃、ベットから起き上がれないまま1日が過ぎる日が増えてきた。

この頃はあまり覚えていない。とにかく、なぜか次第に何もできない日が増えてきて散歩で気分転換、すらもできなくなってきた。
とは裏腹に、何かをしたい、しなければならない、成さなければならないという焦燥感だけは常にあり、そして肥大化していった。
何かをしたい自我、それを許さない愚鈍な脳みそと鉛の手足。
辛かった。

2020年8月頃、下北沢の2Kアパートでルームシェアしている親友に軽く相談した。「甘えだよ」的なことを言われかなり傷ついた。
だけど、本当はその時に彼が言ってたのは「本当におかしいと思うなら病院でも行ってちゃんと診断してもらった方が良いよ。それをせずに今のままでいるのだとしたらそれは甘えだと捉えられちゃうよ」のような意味だったんだと思う。
モヤのかかったような脳みそ、動かない身体に対して不安感、恐怖感はとてもあった。
でもそれ以上に病院、つまり精神科ないしは心療内科に行って「あなたはうつ病です」と言われることに対する、顕在化してない恐怖があった。だから自然とそれを避けていたし、そんな勇気がなかった。

それから1ヶ月くらい、動けない身体を補完するかの如く、在宅ワークをうまくサボる技能だけが身についた。
電話やzoomで友人とコミュニケーションもとったりした。その中でも2人くらいには少しだけ自分の状態について相談した。
「そんなに辛いなら病院行ってみたら」また言われた。

病院に行って何かがはっきりするのはとても怖い。病院嫌いの人はそういう思考なんだと思う。歯医者に行くまでは虫歯じゃないかもしれないし、精密検査をしてみるまでは癌ではないかもしれないのだ。原因があるから不調があるわけで、何かがあるのは明確なのだけど「もしかしたらなんでもないかもしれない」なんて宝くじの高額当選と同じくらいの確率を信じて病院にいかないのだ。自分が不幸であると認めたくないのだ。

でもそれ以上に、何もできない自分が嫌だった。どうにかしたいと思っていた。それが薬で治るのなら、その結果自分の中の何かの構成要素に変化をきたしてもそれで良いまで思った。

病院に行ってみた。メンタルクリニック。メンクリ。

1時間くらい待たされた。長いなとは思いながら待合室の本棚にある本を読んで時間を潰した。リラックス用の本、精神疾患に関する小難しい本、色々あった。僕は精神疾患に関する小難しい本を手に取って読んだ。どうにか自分で自分のこの状態を形態化して対処法が見つかるのではないかとまだ信じていた。

診察室に呼ばれた。10分くらい話したかもしれない。とにかく、夏頃から体が動かなくなって散歩もできなくなって脳みそに靄がかかって、やりたい気持ちはあるのだけど気力が追いつかない話をした。

「うつ病ですね」

ちゃんと言われた。

散歩もできない状態ってのは結構キテます、的なことを言われた。
結構キテんだ、って思った。

セロトニンを阻害する成分を阻害する的な薬、要するにセロトニンがたくさんになる薬をもらった。
自分でも調べて、よくわからんなりに警戒しながら飲んでみた。効果は2週間くらいから出てくるので焦らず飲み続けてくださいねなんて言われた。

それから次第に、少しずつ良くなってきた。
良くなってきたは実は嘘だけど、調子がいい日が増えてきた。
自分で仕事を始めてみたり、新しいことを初めてみたり、色々した。
ずっと噛み合ってなかった歯車が噛み合って急に車輪が回り出した、みたいな、とにかく嬉しかったし、馬力もすごかった。
あぁ、やっぱり俺のモーターは性能悪くないんだなって思って安心した。

それでもやっぱり、ダメな日、ダメな時期はあって、気づけば1,2週間くらい時間が飛んでる時もあった。時間が飛んでるは比喩だけど、その間はずっとyoutubeやインターネットサーフィンをして、適当に食べて寝る。みたいな生活だ。
一番覚えてるのは2021年の3月、switchのモンスターハンターライズを1週間半ほぼぶっ続けでやったことだ。そのおかげで追加コンテンツが配信されるまでに熱は冷めきって、「モンスターハンターライズはボリュームが少ない」の認識のまま変わってない。
これは完全に過集中だ。よくない状態なのだ。
「おいおいおい〜!何もできない日とか言いながらしっかりゲームしてるしyoutubeしてるじゃん〜!」って思うかもしれないけど、自分の脳みそを使わず時間を使える唯一の方法なのだ、許して欲しい。
刺激に慣れすぎた現代人にとって、本当の意味で何もしないなんて、「『何もしない』をする」くらいのエネルギーが必要なのだ。というか瞑想をずっとしてねと言われてるようなものなのだ。

そんな感じで、調子がいい時期悪い時期を繰り返し、調子がいい時期には調子が悪い時期の負債を取り返すが如く頑張って、「おいおい、頑張りすぎでちょっと怖いぜ、大丈夫かよ」言われるくらいだった。
健全じゃないなーっていうのはわかっていた。いつか絶対これの跳ね返りが来るのも薄々分かってた。それでも、今できること、したいと思うことをできる限りした。気持ちは完全にHUNTER×HUNTERのゴンだった。
今ここで終わってもいい、だからありったけを

2021年春、親友が恋人と一緒に暮らすとかでルームシェアは解消された。下北沢から離れて一人暮らしをすることになった。
それに伴い、それまで通っていたメンタルクリニックをやめ、引越し先の近所の心療内科に通うことにした。

だいぶ違ってた。
まずは待ち時間がそこまで長くない(以前は2,3時間待ちとかあった)し、採血等の内科的診療もある。「気力がわかない」ことを伝えたら、以前処方されていた薬とは違う種類のものを処方された。

環境の変化、薬の変化によって何かが好調に向かうことを願った。

2022年1月現在、今もまだ脳みそにモヤはかかってるし、したいことはあるのに気力が湧かないからできない。夜は動悸がして心臓がうるさい。

もうこいつは悪友として付き合っていくことを覚悟した。
その中で自分が何をできるか、できるだけストレスを溜めないためにはどうするのか。
自分が思い描く最良の未来を自らが選択できるように、できる範囲で、努めることにしている。

こいつと向き合う中で、自然に自分とも向き合えるようになった。
自分の心に正直に、もしかしたら部分的には我儘になったし、嫌なことは嫌だなあとちゃんと思って、ちゃんと避けてあげようと思うようになった。

最近は、それまでの自分にとっての「普通」の状態が何だったのかわからなくなる時がある。
実は今の脳のもやや気力のなさは、高校大学や会社といった組織に属していたことで顕在化してなかった、自覚してなかっただけなのではないかとか、多分とにかくどうしても現在の自分が「正常」であると認めたいのだと思う。

大丈夫、今も「正常」だ。
とても人間らしい。
君にとっての最良の未来のために必要な工程だ。
今までがこれからを決めるんじゃない、これからが今までを決めるのだ。
だから生き続けるのだ。

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