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#23 見えないボランティアが一等賞


何かをしてもらって嬉しかったこと、誰かに助けられたこと、心から感謝していることは心の中に刻んで忘れないように努力していきたい。


自分が誰かのことを想って行動できたのは、過去に出逢った誰かからの優しさをもらっていたから。それは道に迷って困っていた時、実際に声をかけてくれた人かもしれないし、SNSの世界から発信している誰かから間接的にもらったメッセージかもしれない。そうやって優しさはこの世界を巡っているんだと思う。


誰かに何かをして喜ばれたこと、何かをしてあげたと思っていることは積極的に忘れる努力をしていこう。自分だけがもらったものを所有していて良いことなんてないだろう。嬉しい気持ちを感じたい、幸せになりたいなら、時には手放す、執着しないということの方が案外大切だったりするのだろうか。愛されたかったら、まず自分が人を愛せ。与えて欲しかったら、ます自分から与えよ。なんて言ったりするもんなぁ。

今日自分がもらった優しさは、昨日は誰かのものだった。明日はまた別の誰かのものになるんだろう。


なぜか全世界で一つのバトンを繋ぐ、ゴールのないリレーをしている映像が浮かんできた。


そこにはテイクオーバーゾーンみたいなルールは何もない。全速力で走りきってバトンを繋ぐ人もいれば、ゆっくり歩きながら今まで繋がってきたものを途切れさせないように必死に繋ごうとしている人もいる。乱暴に投げるような人や丁寧にしっかりと手の中に押し込むように渡してくる人もいる。バトンを放り投げて泣き喚いて諦める人がいれば、そのバトンを拾ってまた走り出す人もいる。


みんないろんな思いがあってその1つのバトンを繋いでいる。そう思う。


ふと、その世界の中で僕は何をしているだろうと考える。


「うーん、、スタジアムの端から観客として応援してるかなぁ」


僕は応援している一観客だった。いずれは選手として走りたいと思っているかもしれない。でも一生懸命誰かのことを思って応援する、直接的でも間接的でもいい、それは自分にとって関係ないことだった。決めたことを一生懸命することが自分にとっては大事なんだ。誰かに見られているからじゃなくて、誰かに言われたからじゃなくて、自分がしたいからしている。理由は案外シンプルだ。こんな活動を『見えないボランティア』とでも呼ぼうか。


この記事を読んでくれているどこかの誰かの心が軽くなれば僕は自分に一等賞をあげてやりたいと思う。表彰台は何人でも登れるくらい広く、段差はあってないようなものだ。少しの行動で誰だって一等賞になれる。自分だけじゃなくてみんなで一等賞にだってなれる。


みんなで『見えないボランティア』を広げていって、表彰台の上でみんなが笑顔になっている姿が浮かんで見えた。


『見えないボランティア』が一等賞だ。



Fumfum…
誰にも見えないからこっそり表彰台に登ることもできそうだな…。結局基準は自分の中にあるのか。と。memo🤓



今日は初めてフォローしてくれた方ができた素敵な日になりました。僕の拙い文章を読んでくれている人がいることがとてもとても嬉しいです。フォローしてくださった方、いつも読んでくれている方、たまたまふらっと通りかかった方、いつもありがとうございます。これからも自分なりのペースで自分らしく一歩一歩頑張ります。また読んでくださると嬉しいです。今日もみなさんお疲れ様でした☺️

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