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青山真治監督クロニクルズ展と東京公園

北九州で行われた東京公園の
青山真治監督の追悼展クロニクルズ展
参加してきました。
通勤途中のSNSで
東京公園を撮られた青山監督の故郷である
北九州で映画祭があって監督の追悼映画祭と
青山真治監督へのクロニクルズ展があるという記事を見ました。

青山監督クロニクルズ展

そこでは監督ゆかりの映画の脚本やデザイン画、美術や衣装が見られて映画制作の過程も少し、
春馬くんの姿も映画の中に有るのでそれを見ることが出来る。
東京公園の衣装展示もあるとの記事に心が揺れました。


10年以上前の公開作品の衣装が
残されていて、それを見ることが出来る。
行きたいな。
行けるかな。
行こうかなと考える日々が始まりました。

調べてみると
北九州は、青山監督のゆかりの地で
第6回市民映画祭とともに
第1回北九州国際映画祭もリリーフランキーさんがアンバサダーで行われているとのこと。

火事で消失し、この度再建された旦過市場の
映画館小倉昭和館さんが再建されて
その国際映画祭のなかで
東京公園が劇場のこけら落としとして
上映されるとのこと。

行けるかどうかはまだ
わからないけどまず電話で詳細をお尋ねし、
チケットは、ネットで買えます。
座席は127名分しかないですと教えてもらって

映画チケットも
ホテルも偶然北九州在住の友人との再会も
予定に入れて師走に新幹線に乗っていました。
生暖かい関西を離れて北九州にたどり着くと
そこは厳寒でした。日本長い。笑
翌日には雪がチラつき始めました。

会場にあるイベントホールのツリー

展示会は撮影が禁止なので
見たことだけしかお伝えできないのですが
春馬くんの東京公園の衣装は2点展示されていました。

映画のシーンの中で
パネルと共に確認したのはうさぎの絵柄の
Tシャツ。
同居していたヒロの染谷くんが撮った写真の中で春馬くんが着ていたものでした。
映画では一瞬だけ映ります。

春馬くんは細かったんでしょうね。
思っていたより細身なラインの
小さな可愛いTシャツでした。

読書家だった監督のご自宅のお部屋の
おびただしい本が並ぶ引き伸ばしたパネル。

各年代ごとの作品の紹介。

作品ごとのシーンの美術画の展示。

東京公園に限って言えば
光司の家の玄関
光司の部屋
居間のこたつのお部屋
ロッキングチェアーのあるヒロの部屋
みさきのマンションのリビング。
美術画は詳細に美しく書いてありました。
監督のイメージや美術デザイナーの方が
脚本と共に頭の中のイメージを
イラスト化していくんだろうなと
太陽の子の時にも何かで見たなと
思い出しました。

そして手に取ることも開くことも
出来ないけれど
東京公園のシナリオもありました。
使い古された脚本。
春馬くんも手に取って光司として読み込んだであろう本。

クロニクルズ展示会では
イベントもあって監督ゆかりの方のトークショーもたまたま立ち会うことができました。

3人のかたは映画監督さん、俳優さん、
監督の大学の後輩でもあって監督と共にずっと映画に携わってこられた方。
その3人の椅子の隣には、
監督が映画を撮られる時に座っておられた
監督自身の椅子が置かれていました。

そして監督との話や青山作品についての
お話しをエピソードを交えてお話ししてくださるのですが、そのお話の輪の中に
監督の姿が目には見えないけれど
確実に傍らに座っておられる
そう思わせてくれるあたたかい時間でした。
確かに監督はここにおられて
カラダは、見えなくても
関わってきた方の心にその人の存在は
決してなくなることはないんだと
思わせてもらえるものでした。

私たちにもこのような
春馬くんを知って関わってこられた
身近な方達から春馬くんの素のエピソードを通して春馬くんの存在を感じることが
出来たならどんなに救われるだろうと
思った時間でした。

小倉昭和館こけら落とし「東京公園」

そしてトークは終わり
3人のかたは、小倉昭和館での
これからある東京公園にも
映画の終わりに登壇していただけるということで移動途中にホテルのチェックインを済ませて
そのまま映画館に移動しました。

友人が映画チケットを買おうと
問い合わせしてくれたところ
チケットは完売で当日券もないと言われたそうです。
もちろん彼女の分も含めて購入していたので
初めて彼女に東京公園を観てもらえます。

小倉昭和館は、新しい建物の匂いに満ちた
あたたかな映画館でした。
ここでまたたくさんの映画が上映され続けて
たくさんの方の人生の傍に映画が有り続けるのだと思いました。

国際映画祭での東京公園の上映のせいだと思うのですが映画には、ずっと英語での字幕があって
とても新鮮でした。
春馬くんが望んだようにひとりでも多くの海外の方に観ていただけますように。
そしてみずみずしい気持ちで満員の映画を
知らない土地でゆっくり観ることが出来ました。

映画の終わりに先ほどの
3人のかた
映画監督の三宅唱さん
東京公園の中のパーティで
キーボード弾いておられた俳優の斉藤陽一郎さん
そして紅一点監督の大学の後輩であって
映画のお仕事を一緒にしてきたと言われた、
お名前メモしていなかったので
間違えていたらすみません。さいとうゆみさん。

SNSアップOKでした。

東京公園の三浦春馬くんのこと

お三方があらためて登壇されて
今度は東京公園を中心にお話しをしてくださいました。
映画館で販売されていたタブロイド紙を購入していたのですがそこに映る監督の写真は
東京公園撮影時のものだということ。

春馬くんの映画の中で写真を撮る眼差しが
澄んで美しくてとても印象的だったこと。

監督と共に春馬くんがこの世界に
いないことがとても信じられない思いでいること。
そして東京公園撮影時に春馬くんは、
監督に「急ぎたくないんです」と
伝えたと言っておられました。

東京公園は不思議な映画で、まるでこの映画の中のさまざまな公園のようにいろんな視点がある。

光司の話なのか
ヒロの話なのか
ゾンビの話なのか
光司と富永の話なのか
写真家のお母さんの話なのか
みさきと光司の話なのか
公園で出会った謎の女性の話なのか
光司に隠し撮りを頼んだ歯医者さん夫婦の話なのか。

だから見るたびににいろんな視点の
いろんな見方をしてしまうため
何回観てもなんの話なんだろうと
思ってしまう。。。そんなお話しでした。

三宅唱さんは映画監督さんなりの
撮る側からの映画視点のお話も新鮮で

映画のラストシーンで
光司が富永と共にIKEAで買い物中に
遠くに歯医者さんご夫婦を見つけて
遠目にご夫婦を捉えるシーンがあるが
ただ遠目にご夫婦がシーンとして
映るのではなく、
春馬くんも映っているその姿は後ろ斜め側で
それは最初からそのシーンを
その角度から撮ると決めて撮っているシーンと
いうようなお話もされておられました。

私はそのラストシーンが
とても好きでIKEAの人混みの中に
光司と富永がだんだん遠ざかっていく
そのシーンをずっとずっと目で追ってしまう。

でもそれも観客の目を意識した
監督の意図した撮り方だったんだと
あらためて知りました。

映画を私たちは、観るけれど
映画からも私たちを観ている
という言葉が印象に残りました。

映画を撮る
その映画を私たちは観る
一方通行ではなくてお互いが
その映画を通して人生を共鳴しあって
いるのかもしれないなと思いました。

登壇されたかたたちの心にある監督の
影響や思い出はその方の人生のその先にも共にあって、春馬くんの存在も
私たちにとって、この先を共に生きていく。
そういうことなんだと思うのです。

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