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藤井風くんの「花」と春馬くんのこと

ここまで生きて来て、自分がどこに惹かれてしまうのかというと「その人の才能に惹かれるんだな」と思う。
自分にはない才能、自分が憧れる分野での才能。
そう考えてみると魅力的な人が身近にも遠くにもたくさんいる。
そして思う、私って才能を持ってる人には惹かれるけど、その人の人となりがどういう人なのかって実は今まで二の次だったんだなって。

もちろんあんまり自覚がなかった。
もしかしたらあまり人に興味がないのかもしれない。
そんなふうだったから、惹かれる人のなかに
春馬くんも当然いたんだけど
春馬くんがどんな人だったのかを
過去の私は知ろうともしていなかったと思う。

4年前に衝撃的なことが起こってあまりのことに
春馬くんに何があったのか、どうなふうに生きていたのかと調べてしまった。

だってきっと才能ある人たちは
自分の作品や公演でのアクターやダンサーやシンガーとしての自分を届けたくて
プライベートなんて本当は詮索して欲しくないよね。


そんな意味では作品と共に人となりを
知ってしまった春馬くんは裸にされたようで
「かなわないな」と、きっと思ってると思うけど
いきなりいなくなったりするからだよと
あちらで会った時には言い訳をしようと思っている。

輪廻転生ってあるの

そんなわけで今では一度も会っていないのに
自分ではずいぶん春馬くんのことを
知った気持ちになって、
その才能と共に人となりにも惹かれてしまった
唯一の人になってしまった。

春馬くんがいなくなってから
春馬くんの今いる世界がどんな世界なのか知りたくて、ずいぶんいろんな本を読んできた。

いわゆるスピリチュアルというものも知って
あちらの世界の解説をずいぶん読んでしまった。

諸説あるけれど、どうもそうらしいというのに
その人の意識って残るらしい。

つまりあちらの世界でも、ちゃんと意識はあって
春馬くんは存在しているということみたい。

これはみんなもう日本人や一部アジアの人は 
当然のようにそう思っているとは思うけど。

春馬くんは次元を越えてしまったけれど、今ではあちらで暮らしていて
そして私たちもいずれは、あちらに行く。

唐突かもしれないけど
私は藤井風くんの音楽にもとっても惹かれてしまう。
もちろん彼の人となりは、あまり知らない。

最近noteで相田冬二さんの文章のなかに
藤井風の「花」は輪廻転生の歌だ。
という一文を見つけて
「ああ、そうだ」とすごく納得してしまった。

相田冬二さんは春馬ファンのなかでは有名な人だけど、なんだか自分でもわからない
気になっていることの言葉による具現化が
とてもうまいなぁと思ってしまう。
春馬くんのことを語ってくれる相田冬二さんの
言葉が好きだ。

そして「花」

初めてミュージックビデオを目にした時には
ドキッとした。
だってなんて形容していいかわからない美しいけれど見たこともない服装と髪型のビジュアルの
藤井風くんが、
花でいっぱいの柩の中で眠っていて、その柩を
風くん自身がロープで引っ張って歩いているのだ。

やがて広大な南米の大地なような(見たことないのでイメージですが)砂地の上をジープで走っていて

その荷台の上にも花がいっぱい積んであって
その花の中に眠っている風くんの柩を
別の風くんが運転して砂ぼこりを上げながら運んでいる。

ある場所に到着すると眠っていた風くんが、
むっくりと起き上がって、そしてジープの上から飛び降りる。

枯れていく
今 この瞬間も
咲いている
全ては溶けていく
何ができるのだろうか
誰を生きようかな
みんな儚い みんな尊い

しわしわに萎れた花束小わきに抱えて
永遠に変わらぬ輝き探してた
僕らを信じてみた 僕らを感じてた
咲かせにいくよ
内なる花を

さりげなく想いを込めてみる
やむを得ず祈りを込めていく
いつまで迷うんだろうか
いつかは分かるよな
誰もが一人 全てはひとつ

色々な姿や形に惑わされるけど
いつの日か全てが可愛く思えるさ
私は何になろうか どんな色がいいかな
探しにいくよ
内なる花を

藤井風 花

読めば読むほど
簡単なようで難しい歌詞で

そしてミュージックビデオの中の
風くんたちは、口に咥えたお線香の煙を
たなびかせながらそのお線香をお線香立てに
そっと立てている。

これってお葬式なのかな
それとも儀式?

生まれる前のあちらの世界で
ひとは誰になったり
何になったり
いろいろ考えてくるらしい

そう考えてみると
きっと春馬くんは「役者」をやる
三浦春馬になるって決めて生まれて来たんだろうなと思えてしまう。

そして風くんの言葉を借りると
「内なる花」を一生懸命生きていくのかも
しれない。

そして生きていくって
風くんの言う
「枯れていく」って言葉なのかな。と
最近なんだか自分のことのように捉えてしまうのだ。

「なにができるのかな
誰を生きようかな」

内なる花を抱えながら人は生まれて来て
誰かになって そして
「咲かせにいく」のかもしれない

風くんの
「みんな儚い みんな尊い」
って言葉がとっても好きだ。

春馬くんの30年は、
短かったけど
なんて濃くて充実していたのだろうと思う。
そのひとつひとつの作品が
私たちをいつまでも楽しませてくれる。
人の心の中にある
その人の「花」にいつもそっと寄り添ってくれる。

人生の儚さも春馬くんは
その命を持って教えてくれたのだなと
この頃とても思う。
儚くて尊いって本当だと思う。

日常を生きていると
「花」の存在も「命」の存在も
つい忘れてしまいそうになるけど
春馬くんのことを考えると

自分も残された時間の中で
生かされているんだなと
とても思う。

そして生死を越えてつながることも
できるのだと教えてもらえたのだ。

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