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雑記「シナリオS1グランプリ経験談」…創作の手がかりについて

キッカケは書店にあり

「先に生まれただけの人達」にまつわる雑記を残します。

先述の通り、今年初めの応募作が惨敗で、二年前から鳴かず飛ばずの状況が続いていた…というより退行してしまっていたのが2022年でした。
コロナ禍になってから通学もしておらず(リモート授業には数回出ましたが)、脚本、創作に対するモチベーション低下が深刻な状況でした。S1の締め切りが来るからそろそろ書くか、な意識だったので危機的状況だったのは間違いありません。それで入選など叶うはずもないでしょう。
そんな今年6月のある日、本屋である表紙が目に留まりました。

宮口幸治著の2冊

新潮社刊「ケーキの切れない非行少年たち」、続編の「どうしても頑張れない人たち」の2冊です。
この2冊目の表紙にある「間違った切り方をしている図」、私が小学生の頃算数の授業で全く同じ解答をして物凄く怒られた経験があったんですね。その先生はその後正解を示し、「なんでこんな事がわからない?真面目に考えてるか?」という風に叱責したのです。今でも覚えているので、相当嫌な思い出だったのでしょう。
この表紙に嫌な記憶を掘り起こされ、気になって手に取りました。著者の宮口氏は児童精神科医で、少年院での経験を基に現状の教育で救われない子供達がいる事と、その対処法、更に「支援者にも支援を」というところにまで論を展開している書籍でした。
「目から鱗」というより、子供個人と真摯に向き合えば至極当然の事だなと胸のすく様な思いを持ちました。同時に旧態依然とした教育の在り様がいかに社会に影を落としているか、を改めて感じ取った本です。
これが、「これをテーマに次の作品を書こう」という気持ち、モチベーションを作り上げたんですね。それは怒りに近かったと思います。

「書きたい」という衝動

本の宣伝が趣旨ではないので、創作の話になりますがやはりコンクールでもなんでも、「読み手」への意識は絶やしてはいけないと思っています。
コンクールであるならば、審査員の方が「お客さん」です。そのお客をいかに楽しませるか、という意識は常に持っていなければいけないんですね。ですがそれだけでは数百の応募作から抜きんでる事は出来ません。
単純な話、作者の「言いたいこと」が必要だと言うことですね。
私は今回、この本を読んで「子供と向き合わない教育者への怒り」を作品にしようと思いました。キッカケこそ先の2冊の本ではありますが、面白かったからこの内容をトレースしよう、ではなくこれによって掘り起こされた自身の記憶、そこから湧き出る胸糞の悪さを原稿にぶつけてやれ、という強い気持ちが、消えかかっていた意欲を再燃させました。
ぶっちゃけると、「もし審査員が、ダメな教育者のマインドを持っているなら傷つけてやる、ショックを与えてやる、考え方を変えさせてやる」程の気持ちでした。人間、負の感情は強いのです。いや、私の性格がそうなだけかもしれませんが(笑)。

思いを「作品」に

しかし、その気持ちだけでは形にならないのでそれを読めるものにする為に、やはり読み手へのいたわりが必要になってきます。どんなシリアスな作品にもユーモアがあるように、攻撃的な感情の中に楽しさを含ませる、棘だけではなく触れやすいものにする、のが作家の技術だと思います。
その過程で必要になってくるのが成功している作品の模倣になってくる訳ですが、本格的に書こうと思った時に参考にした映画があります。
それは別記事で述べるとして、ともかくコンクール入選を果たす作品には読み手の心に響く「思い」が必要なのだとお伝えしたかったんですね。
余談ですが、先の2冊と一緒に買った本があります。

養老猛司著「ヒトの壁」

こちらは人間の生き方について綴られた本ですが、これも面白そうだったので併せて手に取りました。この本の中に印象的な記述があり、それは「先に生まれた~」の中で使わせていただいています。
準主人公である塚田の境遇は、この本から生まれた要素がありますね。

これからも、創作の種になる良書に巡り合うための本屋チェックは欠かさないつもりです。

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