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好きな人と好きな映画を見る喜び

2024年1月14日

彼と付き合う前のデートで、立川のららぽーとの映画館で映画を見た。

ダリアさんが観たい映画を一緒に観たい。
彼がそう言ってくれて、私が選んだ題名は
「翔んで埼玉」

何故、そんなくだらない映画を選んだのか。
それはただ単に深く考察しなくていいものを見たかったからだ。

映画の予告を見ている時に、
今までの映画でのデート体験を思い出していた。

7年前の元彼と観た映画は少年ジャンプのアニメの劇場版だった。

はっきり言って、興味のないものを観ていて、私はつまらなかったし、何を見たのかも忘れて、ただ単に「少年ジャンプの映画」としか覚えていない。

私がずっと死んだような顔で隣にいたのに、元彼は気づくことはなく、
「楽しかったなぁ〜」
と私に共感を求めるのであった。
そして、またジャンプ系の映画を見よう!と言うのだった。

この人と映画を見ることはこんなにも苦痛なのかと悲しくて仕方なかった。

5年前

街コンで知り合った人と2回目デートで映画を見た。
ディズニーの映画。

正直言うとディズニー映画はそんなに好きじゃなくて、寝てしまった。
映画館が家から遠くてしかも結構早い上演時間だったのもある。
メイクと髪のセットに時間がかかるし、土曜日で寝ていたいのに早く起きて準備した。

そしたら、その日にLINEをブロックされた。


それ以降絶対に映画を見るなら独りで観るようになった。
なぜなら独りの方が、その映画を余韻に浸れるし、隣を気にしないで集中して楽しむことが出来るからだ。

関節リウマチになると、長時間座っていたら膝関節が固まってしばらく動けなくなる。
映画を観終わってシアターから去る時は、情けなくよちよち歩きになってしまう。

さらにコロナ禍で映画を観に行くのもマスクしていない隣の人が気になったりするから、次第に映画自体も嫌いになってきた。

けれど、立川で何をするのか思いつかなくて
「映画を観たいなぁ」
と提案してしまった。

あー、また寝てしまったら
終わったあとのよちよち歩きを見られたら
私と彼の関係に終わりが来るであろう。

気になっている彼と翔んで埼玉を観る時に、ちょっとした絶望感があった。


映画を観ているときに、私に寝る隙なんてなかった。

映画の面白さもあるけれど、彼が途中途中で面白さを共有してくれた。
面白さの共有というのは、私の顔を見て面白いシーンを笑ったり「これ面白いねー」と小声で話しかけてきた。

それにつられて私も笑顔が絶えなく、彼と翔んで埼玉の面白さを共有していた。

映画が終わってから、私が予想していたように膝関節が固まって痛みを感じながらゆっくりと歩いていた。
その時に彼は私に歩く速度を合わせながら、手を取り支えてくれた。
こんな経験は初めてで心の中で溢れるほどの涙を流していた。

そして、映画が終わってからずっとマクドナルドで翔んで埼玉の面白さについて語っていた。その時間が愛おしくて楽しかった。

これが本当の映画の余韻を楽しむことなんだ。

そう理解するのに32年という年月が流れていた。

また彼と映画を観に行きたい。

彼との約束に「また面白そうな映画が上映されたら観に行こう」追加された。




私はこのnoteを書きながら今までなにが足りなかったのか考えていた。

私は自分の意見を言うことが出来なかった。

好きな映画のジャンル。
こんな映画が観たい。
朝は時間がかかるからこの時間で観たい。

相手が私の情報を悟ることなんてできないからこそ、私は自分の意見を伝えるべきであった。

それに私は好きではないものを好きだというふうに演技をしていた。
そりゃ分からないはずだ。

だからこそ、今までの人を責めることはできないし「映画に連れて行ってくれてありがとう。」と感謝している。


そして、私の好きな物を知りたいと言ってくれる今の彼も愛おしい。
観たい映画が一緒で、いつまでも映画の内容を語って楽しめることができる彼が大好きだ。

「映画は独りで楽しむものだ。」

長年そう自分自身をマインドコントロールしていたが、

「好きな人と映画を見ることはとっても幸せなことだ。」

この新たな温もりを発見したおかげで、自らかけていたマインドコントロールから解かれた。


これからもたくさん面白い映画を観に行こうね。

#映画にまつわる思い出

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