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【モチーフ小説】ある事件


「でも、びっくりしましたよ。あなたがマトモに本を書くのなんて10年ぶりとか、そんなもんじゃないですか?」

「もうそれくらいになるな。10年間、鳴かず飛ばずを続けたこの僕を、O出版は拾い上げた。発行部数を最小限に、ギャラもかなり削られるそうだ。このご時世ヘタな新人に書かせて転ぶよりも、売れない中堅に仕事を回した方が安パイだからね。」

「それで、10年前の続きをやろうっていうんですか?」

「終わってなどないさ。10年間の全てを詰め込むつもりだ。10年前の悲劇の風さえも」


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本日、ご紹介するのはこちらの本でございます。
著者は、かつて文化人や読書家たちの中で一定の評価を得ていた、とあるノンフィクション作家。
しかしながら、5年前に刊行されたこの本には、初版数がかなり抑えられたうえに、重版は絶対に掛けられないという、版元からの半ば強引な合意の下で出版された、珍しい生い立ちがあります。


肝心の内容について触れましょうか。
それ自体には何の変哲もない、とある集落に住む、とある一家へのインタビュー記事を纏めたものです。
巻末には、集落の地図や人口などの詳細なデータが付録されていますが、これといった魅力がある集落ではなかったので、発売後もその人気に火がつくことは無く、初版本を売り切ることに精一杯であったと、関係者は語っています。


しかしながら、発売して3ヶ月が経ったときのこと。
この本は、決して歓迎されることのない不運によって、一躍脚光を浴びることになります。
モデルとなった集落で、連続殺人事件が起こったのです。
犯人は集落の住人か、はたまた村外の人間か。足取りは未だに掴めていないようです。
この集落には、部外者禁制の、厳格な掟が存在しています。
そのために捜査には時間がかかり、担当した刑事たちは苦労したようですが、集落の住人たちは、捜査に協力するように見えて、どこか結託して一つの事実をひた隠しにするような、そんな印象を抱かせたといいます。
この事件をきっかけに、書店での売れ残りは一掃されて、それは普通ならば重版がかかる程の勢いであったといいますが、出版社は件の事件を気味わるがり、遂には絶版とする処分を下しました。
このことがまた、この本の人気に拍車をかけたとも言われています。


最後に、あとがきの一部を引用します。
【私には、華がない。学がない。斬新さがない。勢いがない。才能がない。私には、泥臭い取材しかない。この本を読んで、付録のデータを見て、何の変哲も感じなければそれで良し。問題は、疑問を感じた者たちだ。そんな読者に、私は呼びかけたい。いずれ、この村を残忍な事件が襲うことになるだろう。捜査は難航する。この本には、解決につながるヒントをいくつか散りばめておいた。それを利用して、事件を解決して見せて欲しい。泥臭く地道な取材が、他の何にも勝るところを見せて欲しい。】


著者であるノンフィクション作家の行方が分からなくなったのは、例の事件が発生して間も無くのことでした。


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