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内省(2024/6/2)

一ヶ月に一度しようと決めていた内省。時期的には今度の水曜日だけども、来週はそんなこと考える余裕はなさそうだし土日は疲れてそうだから、本日この時間をとる。

昨日、電車にとことこ揺られて上田から長野までやってきた。実習先第二期目は長野市内になったのだ。実習先が二期連続長野県内パターンは珍しいらしく(大抵はどちらか一期は東京)会う同期に憐れみの目を向けられるのはもう慣れてしまった。

しかしながら、長野生活に不満は特にない。むしろ平穏で思っていた以上に満足している。住めば都とは当にこのこと。

もう一つの実習先拠点である東京側では絶賛関東配属希望のための情報戦が昼休みの度に行われていると聞いた。(大事なことだろうが、心が疲弊してしまいそう)確かに私も三月下旬までは住み慣れた地への未練はあったが忙しさとそこそこの充実感でそんなものは薄れつつあった。

長野生活に不満がないと言うと、来たばかりだからだと思う人もいるかもしれないし、強がりだと言う人もいるかもしれないが、極論私は心の平穏を保って生きることとカメラで写真を撮ることができれば幸せだと思える中身のない人間なので、このままいっときのらりくらりのほほんと長野でやっていく未来もなきにしも非らずかもしれない。

そんなことをもう東京に行ってしまったであろう第一期目の実習を同じく上田の地で過ごした同期に言うと、未来への明るい希望がないみたいだねと言われた。そんなことはないよと言いつつもまあ確かに明るい希望はもってないなと思ってしまう自分がいた。

私は楽に生きることをモットーにしている。

私の中の楽な生き方というのはお仕事せずに生活できるとかではなく、期待しない生き方みたいなものだと思っている。基本何事も期待はしない方がいいと思っている。

悲観的だと思う人もいるかもしれないが、実際にこれが自分の中に染み付いて良かったなと感じることはたくさんある。二つ挙げよう。

まず一つ目に落ち込むことが少なくなった。「落ち込む」ということはその言葉通り、「落ちる」のだ。ということは落ちる地点が高ければ高いほど激しく、そして落ちた時のダメージも酷い。だけどもその地点を低くする。最初から期待しないでおくと落下の際のダメージも少なく済む。おそらくこれは誰にとってもおすすめできることではない。明るい未来を考える方が楽に生きる事ができる人だっているだろう。

しかしこれはどんなに悲観的な生き方だと言われても、刺激より何より変わり映えのしない、心の安定を望む私にとってはとてもいい生き方なのだ。

そして二つ目にこれは良くも悪くもなのだが幸せを感じるハードルが低くなった。電車の中で高校生の男の子がおばあちゃんに席を譲るところをみて世の中捨てたもんじゃないよなと思ってかなり幸せになる。そして大好きなあの子が惚気ているストーリーを見てこっちまで幸せになったり、道端に咲いてる花がすごく綺麗だったり、そんな小さなことで私はとんでもなく幸せになる。

悪くもというのはこの私のハードルは本当に低すぎるので一緒にいる人はそこまで幸せには達していないことが多々あるということだ。なんなら人によって嬉しさや幸せを感じる事柄は違うものなので本当に気をつけなきゃいけないと思っている。

多少の気をつけなければいけない点はありながらも、私は以上の二点をかなり気に入っている。期待しないことで穏やかになれた。穏やかになると心理的な浮き沈みもなく毎日を過ごすことができるようになった。どんなに面白味のない人生だと言われても私にとっては最高の生き方なので大事にしたいと思っている。

ということで長野勤務に不満はないし幸せや楽しみを見つけようと思えばいくらでも見つけちゃえるのだが、プライベート面での懸念がゼロという訳ではないので(熊本への帰省の頻度とか)じっくり考えて自分の中で妥協ができる配属先の希望を出したいと思う。

また一ヶ月後くらいにつづく。

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