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細かすぎて伝わらないグラミー賞2023〜クラシック編その1〜

 気がつけばグラミー授賞式まであと10日ちょっと。

 最近の紅白やレコ大が若者に媚びてばかりでつまらん!みたいな記事をよく見るけれど、それを言うなら私はグラミーの主要部門のほうが断然つまらんよ。世代交代をしみじみ実感する。かつては最高に盛り上がって見ていた終盤の主要部門の発表も、もはや子供の誕生会を見守る親目線でほほえましく眺めている状態である。

 まぁ、正直、それもイヤというわけではないんですけどね。

 そもそもポップ・ミュージックの主役は若者なのだから、いくらヒットチャートを追いかけていてもいつかは心情的蚊帳の外になるのは当然なのだ。逆にもし、世代交代しないで主要部門の平均年齢50歳とかになったら、そっちの方がいやでしょう。

 ただ、紅白やら何やらと違ってやっぱりグラミーが楽しいと思うのは、主要部門だけが絶対的な一等賞…という価値観ではないところだ。
 さまざまなジャンル、さまざまな価値観が共存する音楽界全体の“今”を俯瞰で眺めることにこそ意義のある祭典。重箱の隅まで、どこをつついても面白い。

 そんなわけで、あちこちで「もうすぐグラミー賞ですね!」なんて話題が飛び交う季節にはなっておりますが。私がもっとも楽しみにしている部門のほとんどは、授賞式の放送が始まる前に口頭でちゃちゃっと発表されちゃうのです。

 なので、私にとってのグラミー賞は前年秋のノミネート発表がいちばん楽しい。そして、授賞式が始まる前にほぼ終わる。だからWOWOWでの授賞式生中継も楽しみではあるのですが、実は、蚊帳の外から日本シリーズ見ているドラゴンズファンの心境(て、それ、オレだよ)。

 今年の各部門ノミネートもいろいろと興味深いです。特にアメリカーナ系は多様化・細分化しながらも、曖昧だった定義もくっきりしてきたのを実感するし。あと、やっぱりクラシカル部門のノミネートには今年もかなりワクワクさせられている。日本ではあまり話題になっていない作品が多いのかもしれないが、個人的にはよく聴いていたアルバムが多かったし。少なくとも米国でのクラシックというのは、世代交代という大きな要素も含めて、明らかに枠組みが変わってきていることを、最近のグラミーのノミネートから実感する。クラシカルというジャンル名とはうらはらに、昨今の米国における世相、音楽シーンの傾向や、クラシック業界内部での変化みたいなものも反映されている作品がどんどん増えているし。決して景気のよいジャンルではないとは思うけど、最近の米国クラシックにみなぎる活気をあらためて実感する。

 ただし、よく言われることだけど、プロデューサーやエンジニアの賞も含めて、現在、クラシック音楽を対象とする部門数は全体から見て本当に少ない。去年も、変わりゆくグラミーの中でクラシックも部門の見直しや、授賞式での放映があってもいい…という記事やツイートをずいぶん見た。同意。たとえばネゼ=セガン率いるMETオーケストラやドゥダメルのLAフィルがグラミーのステージでビヨンセと共演したり、キャロライン・ショウとソー・パーカッションのパフォーマンスに最前列で大興奮するテイラー・スウィフトの表情が全米に生中継されたり…なんてのがあったらかっこいいのに。
 でも。そんな日も、遠からずやってくるかもしれないなぁ。ねえ。

 というわけで、授賞式の前にクラシカル部門などの気になるところをさらっとおさらいしておく。昨年はクラシカル部門以外のエンジニア(クラシカル)とかプロデューサー(クラシカル)のことをだらだら細かく書きすぎて、本丸であるクラシカル部門に触れる前に時間切れになったので、今年は本丸だけにしておきます(笑)。

 まずは本丸ちゅうの本丸、オーケストラル・パフォーマンス部門から。

 ちなみに、昨年のノミネート紹介記事はこちら。

↑去年はいちお、日本での表記にあわせて「管弦楽」と書いたけど。もう、オーケストラ部門とはいえ音楽的に管弦楽だけとは限らなくなっているし、なによりも個人的には「オーケストラル」という言葉が好きなのでオリジナルの呼称にもとづく表記を変えました。それにしても、去年のノミネートを見返してみると、やっぱり去年から今年にかけての変化はけっこう大きいんだなと感じる。オーケストラに限らず、米国ではクラシカルのカテゴリー全体が節目を迎えています。

【参考】今年のグラミー・ノミネート全リストはこちら。


最優秀オーケストラル・パフォーマンス賞(Best Orchestral Performance)

 クラシックにおける主要部門(笑)、最優秀オーケストラル・パフォーマンス賞。これは指揮者とオーケストラに授与される賞です。

【1】ジョン・ルーサー・アダムズ: Sila - The Breath Of The World

●ダグ・パーキンス(指揮)
●ミシガン大学室内楽団、ミシガン大学パーカッション・アンサンブル

(レーベル: Cantaloupe)

 ミシガン大学はニューヨーク・フィルがオーケストラごとレジデンシーとして長期滞在してマスタークラスや演奏会をおこなったこともあるほどの強豪校。その後、ニューヨーク・フィルの前社長がNYを辞めてミシガン大学の音楽学部に転職してびっくりしたくらい。

 作曲のアダムズがピューリッツァー賞とグラミー賞をダブル受賞した14年の「Become Ocean」は、公演を見たテイラー・スウィフトが感動のあまりオーケストラと作曲家のために多額の寄付を送ったというエピソードもあったほど。この「Sila」のスケール感も、「Become Ocean」に負けない壮大さだ。圧倒される。作品には、他にもグラミー賞の常連ノミニーであるザ・クロッシングと、ジャック・クァルテットという現代音楽におけるふたつの最強グループが参加。完璧な布陣だ。

 スコアは地図のようなものだとしばしば表現されるけれど。つねに地球規模の大自然をコンセプトにしてきたジョン・ルーサー・アダムズの壮大で斬新なスコアの場合は、旧来の紙地図ではなくGoogleアースのような存在感ではないかと想像する。だとするならば、プレイヤーとしての力量だけでなく、スマホで地図を見ながらどこでも行ける若者の感性や反射神経が“音楽性”の重要な一部分として機能することもありうるだろう。そういう意味では、若々しく勢いのあるカレッジ・チェンバー・オーケストラが中心となっているプロジェクトが描くアダムズ・ワールドだからこその、スマホ世代が俯瞰で眺める立体世界地図…みたいなわかりやすさがあるのかもしれないと思う。

まぁ、しかし、それより何より、水の中に入って演奏するとか「風雲!たけし城」のような過酷なレコーディングができるという点で、もう、若者が絶対的に有利な曲なのかもしれませぬ。ベルリン・フィルやN響の人にはそんなこと頼みにくそう…(笑)。



【2】ドヴォルザーク: 交響曲7−9番

●グスターボ・ドゥダメル(指揮)
●ロサンゼルス・フィルハーモニック
(レーベル:独グラモフォン)
※デジタル・リリース

 09年、LAフィル史上最年少の音楽監督に就任したドゥダメル。今年の秋で就任14周年になる。しみじみ。20代の頃には、もじゃもじゃヘアを振り乱して指揮する姿が「ロックスターのよう」と言われた。が、あの時代はまだ、全身全霊フルスイングで激しく振らなければ思うようにオーケストラが鳴ってくれなかったのだろう。年齢を重ねた今、ドゥダメルの緩急というのは、もう、本当にエレガントで、それでいてパワフル。かつては全力で「とりにいった」音が、今はもう、ふっとあげた指先に、彼が欲しいと願った音が吸いついてくるような…。そんな風に見える。

 母国ベネズエラの政権との対立、恩師の死、彼を北米へと導いた辣腕CEOからの独立といったさまざまな大きな経験を経て、ここ数年、月並みな言い方だけどドゥダメルはものすごく穏やかな凄みが備わってきた。“器の大きさ”みたいなものが明らかに変わってきたのを感じる。それにともなって、当然、LAフィルとのコンビネーションにも変化が生まれてきた。
 最初は、天才息子のドゥダメルと、それを見守るお父さんとしての凄腕フィルみたいな関係性で、しょせんドゥダメルは人寄せパンダ、前任者エサ・ペッカ・サロネンからの借り物みたいだと皮肉を言う人もいたくらいだ。でも、それも昔のこと。よくも悪くも立場が人を育てたというか、オールラウンドな、ものすごく米国らしいスター指揮者に成長した。20代の頃の、マンボ!のイメージほどにはジャズが上手じゃなかったところ(笑)や、古典こそがアイデンティティといわんばかりの、生まれる時代を間違ったようなスタイルが懐かしくなるくらい。本拠地ディズニー・ホールの音響を知り抜いたドゥダメルならではの現代作品とか、ハリウッド・ボウルでのナターリア・ラフォルカデやファーザー・ジョン・ミスティとのモダンな競演とか、米国での活動によって広がった裾野は今ではドゥダメルを語る上で欠かせない個性になった。
 そんなドゥダメルのドヴォルザーク。7、8、9番というド直球。2020年のウォルト・ディズニー・コンサートホールでの録音だ。

https://youtu.be/CFh6mdDoSrs

  ジェットコースターみたいな人生模様、単なる“郷愁”のひとくくりでは表現できない故郷との距離、望郷の念も後悔ももどかしさも野心も歓喜もすべてひっくるめて人生は愛しいときっぱり言い切るようなダイナミズム。そんなドヴォルザークの人生いろいろな色彩感を、ドゥダメル&LAフィルは鮮やかにノーブルに体現してみせる。手を伸ばすとちゃんとそこにいて、たしかに触れることのできるドヴォルザーク。みたいな。世の中には、“名演”かどうかをやたら判断基準にしたがる考え方もある。が、名演って何だ。音楽を「特別な日のはごちそう」と考えるのではなく、毎日、日々の暮らしの中に、日常のあれこれと同じように存在する、自らの生存に欠かせないものとしてとらえている人にとっては、ドゥダメルが描き出す音楽っていうのは最高に贅沢な日用品じゃないだろうか。身近にあるだけで、力づけてくれたり慰めてくれたり、笑わせてくれたり、モノクロな日々に彩色してくれたり。
 やっぱり、このコンビは最高。と、あらためて思わされる作品。



【3】ジュリアス・イーストマン: Stay On It

●クリストファー・ラウントリー指揮
●ワイルド・アップ(Wild Up)

レーベル: New Amsterdam
※シングル曲。アルバム『Julius Eastman Vol.2: Joy Boy』収録。

 ワイルド・アップがオーケストラル部門でノミネートというのが、まず、いかにもいかにも今の米国グラミー賞クラシカル・カテゴリーならでは。

 ワイルド・アップは、名前からしてオーケストラっぽくないですが。LAを中心に活躍する、ある意味、オーケストラっぽくないチェンバー・オーケストラ。基本は現代音楽だが、そこに古典のレパートリー、ポップ・ミュージックやダンスといった要素も融合させた唯一無二のバランスが面白い、独創的な音楽性で注目されてきた。時にはジャズに隣接するような、限りなくラージ・アンサンブルに近いチェンバー・オーケストラみたいな雰囲気だったりするし、音楽的にもいわゆるクラシカルなオーケストラ・サウンドではなく、デジタルもロック・バンドばりに全然ふつうなのでクラシック・ファン以外にも親しみやすい。というか、むしろクラシック・ファンよりもそうでない音楽ファンのほうが親和性の高いグループかも。ええ。私が思うくらいなので間違いなく親和性、高いですよ。
 指揮者のラウントリーは、ワイルド・アップの創設者でもある。2010年の創設時に32歳だったというから、まだ40代前半。全米の名門オーケストラ指揮者やユースの指導者としても活躍しているが、今もワイルド・アップの音楽監督/指揮者としての活動が中心だ。
 ちなみに、ラウントリーが音楽に覚醒したのは、ガレージ・バンドでベースを弾き、ブラスバンドでトロンボーンを吹き、ベルリンフィルのブラームスとバルトークを聴いた少年時代の経験がきっかけになっている。ものすごくわかりやすい。その3つが合わさったところに、ワイルド・アップがあるんだなーという感じ。めちゃシンパシー感じる。だからワイルド・アップが好きだ。

 ノミネート作品が黒人作曲家ジュリアス・イーストマン(1940-1990)の「Stay On It」というのも、あまりに2023年の米国らしい。

 イーストマンにとって黒人であること、ゲイであることが、とりわけ封建的なクラシックの世界ではどれだけの足かせになっていたかは想像に難くない。が、それだけに、歳月を経て#BLM #LGBTQの時代に響く「Stay On It」の美しさは、この曲は今、この時代に奏でられることを待っていたのかもしれないとすら思ってしまう。

 作曲家、ピアニスト、ボーカリスト、そしてパフォーマーでもあったイーストマンは現代音楽の巨匠ルーカス・フォスに見出され、現代音楽・実験音楽のサーキットで注目を集める。メレディス・モンクらジャズ系ミュージシャンとも共演しているが、きちんとした録音も少なく、現代音楽作曲家としては生前に高い評価を得ることなく1990年に49歳の若さで亡くなった。ようやく再評価のムーヴメントが起こるきっかけとなったのは、2005年にリリースされた未発表音源を集めた作品集『Unjust Malaise』(3枚組)だった。その作品集の1曲目に収録されていたのが今回のノミネート曲で、ワイルド・アップのイーストマン作品集第二弾に収録された「Stay On It」だ。ミニマル・ミュージックでありながらジャズやポップの要素を溶け込ませた構成は、発表当時はかなり異色だったと思うが、ワイルド・アップによるモダンで洗練されていたオーケストレーションと、なおかつソウルフルな粘り気やダンサブルなグルーヴといったものを遠慮なく増幅させた音像には、1973年の楽曲とは思えない、当世風の光沢がある。

 個人的な印象だが、このワイルド・アップ版はジョン・コルトレーンの「ラヴ・シュプリーム」を思い出させる。Stay On Itというタイトル曲が反復されるコーラスのせいもあるけれど、かつては“難解”の代名詞と呼ばれていたことが不思議に思えるくらい、今では“いい塩梅”のソウル・ミュージックとしてR&Bやヒップホップのリスナーにも愛されるようになった「ラヴ・シュプリーム」と同じような道をたどってゆく曲かなと。
 昨今、フローレンス・プライスをはじめとする、知られざる黒人作曲家たちの作品がこうして新しい試みに満ちた名演によって評価されるのは素晴らしいことだ。

https://youtu.be/n6Aw9TJ5HQ8

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 おまけ余談ですが。
 2020年、リンカーン・センターがYouTubeなどで展開していたステイホーム・プロジェクトの中でも、有色人種のエッセンシャル・ワーカーに捧げるリモート・セッションとしてこの曲がとりあげられている。セッション的な音の積み上げ方に特徴のある曲で連帯感を表現した、とても楽しいセッションだった。


【4】ジョン・ウィリアムズ“ザ・ベルリン・コンサート”

●ジョン・ウィリアムズ指揮
●ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

レーベル: 独グラモフォン

 これは今さら説明いりませんね。
 ジョン・ウィリアムズ先生が、自らベルリン・フィルを指揮した自作品集。
 天才オペラ作曲家として将来を嘱望されながら、ユダヤ人ゆえにナチス・ドイツのオーストリアから米国へ亡命し、オペラを諦め、生活費を稼ぐための手段として書き始めた映画音楽によりハリウッド映画音楽の礎を築いたエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトから続く道を継ぐジョン・ウィリアムズがヨーロッパへと渡りベルリン・フィルで自作を指揮する。ある意味、ここでハリウッド映画音楽の歴史がようやく一周したような、ウィリアムズという作曲家ひとりでは語りきれない壮大な物語が背景にあるように思えてきて嬉しくなる。

 まじめな話、究極の「現代音楽」ってのはケージでもグラスでもなくジョン・ウィリアムズだと思うと話は早いんじゃないかと(どう早いんだ)思うこともあります。

 オーケストラル部門の“ヨーロッパ枠”みたいなものとして、かつては必ずレコード芸術の特選盤みたいな作品がノミネートされていたものだが。
 今年のそれがこれなのか。
 オーケストラほヨーロッパ枠だが、アメリカの作品をアメリカの指揮者が指揮をしているわけで。感無量。コルンゴルトのみならず、ガーシュウィンにも見せてあげたい。


【5】プライス/コールマン/モンゴメリー:アフリカ系アメリカ人女性作曲家の管弦楽作品集(Works By Florence Price, Jessie Montgomery, Valerie Coleman)

●マイケル・レパー指揮
●ニューヨーク・ユース・シンフォニー

レーベル: Avie

 快挙!受賞するかどうかはどうでもいい、このアルバムは今年のオーケストラル部門における最大の快挙ではないだろうか。ニューヨーク・ユース・シンフォニーは、1963年に創設された名門ユース・オーケストラ。ニューヨークが本拠地だけに、ジャズやミュージカルなどもレパートリーに持つ世界レベルの実力派ユースとして知られている。が、なんと、意外なことにこれが“プロフェッショナル”としてのデビュー・アルバムなのだそう。そして、デビュー作がいきなりグラミー賞にノミネート。おめでとうございます。

 このグラミー・ノミネートは、有名な朝のワイドショー『Good Morning America(GMA)』でもニュースになっていた↓。なんか、超もりあがっているー。そういえば、つい最近も彼らがビリー・レイ・サイラス(!)と共演したというのがニュースでとりあげられていたばかり。人気者です。

https://youtu.be/znvWlOwB-FA

 指揮者のマイケル・レパーは、このオーケストラの音楽監督。60年代にはレナード・スラットキン、70年代にはチョン・ミュンフンが音楽監督を務めたこともある、東京の少年野球でいえば不動パイレーツくらいの(ローカルネタですんません)この強豪オーケストラを17年から率いている。

 フローレンス・プライスの交響曲『アメリカのエチオピアの影(Ethiopia's Shadow in America)』とピアノ協奏曲をメインに、今をときめく若手作曲家であるジェシー・モンゴメリー、ヴァレリー・コールマンの作品を加えた、タイトルのとおりアメリカを代表する3世代のアフリカ系アメリカ人女性作曲家の作品集。

 フローレンス・プライスについては、昨年のnoteにもいろいろがっつり書いたのでよければ読んでください。

 プライスのピアノ協奏曲は、この作品を十八番とする名手ミシェル・キャンをソリストとして迎えている。

 そういえば、昨年のオーケストラル部門はネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管によるプライスの交響曲が受賞したのだった。だからnoteを書いたのも、その流れだったような記憶がある。こうして女性作曲家の素晴らしい作品がどんどん積極的にとりあげられてゆく風潮はとてもうれしい。
 というか、最近はもう、なぜ今まで「女性作曲家の曲はとりあげられにくい」という歴史的なタブーがあったのかと不思議に思うくらい。それを言うなら「なぜ女性の指揮者は(以下略」とか、いろいろキリがないんですけどね。

 ジェシー・モンゴメリーも、本当にどの曲もどうしてこんなにかっこいいんだろうと思う。ゴッホの「星月夜」が、当時、誰もが見ていたありふれた光景を描いているのに、あの絵に描かれた光景を見たのはゴッホしかいない…というのと同じ意味あいで、いったいどういう視点で世界を眺めたらこんな曲が書けるのだろうといつも思う。

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 あと、ぜんぜん関係ない話なんだけど思い出したからどうしても書いておきたい。ナクソスのライブラリーを見ると、モンゴメリーの「Starburst」の日本語タイトルが「スターダスト」になっていて、何度見ても「カーマイケルか」とつっこまずにはいられません(笑)。
 これ、もしもモンゴメリーから「スターバーストをスターダストに空目、というところまでが私の作曲なので、日本語タイトルもスターダストって書くように」という指示が出てたらすごいですね。そうあってほしいが、ただのまちがいだったらモンゴメリーの代表曲ともいえる大大大名曲になんてことをするんだよと思います。

 と。まあ。

 そういうことを含めて、今、このオーケストラル部門の受賞というのは、ただ単にオーケストラの演奏が上手いとか、なかなか実演が難しい曲を見事にやってのけたとか、すごい指揮者が振ったとか、そういう理由での受賞はすでに終了しているのだと思う。
 どういう作品を、どういう視点で選び、現代ならではの解釈と演奏でとりあげて、その作曲家の評価を高めることに寄与しているかどうか…みたいなことが、より重要視されているのでは。 と、そんなことを考えると、ヒットするとか社会的に話題になることは少ないかもしれないけれど、クラシカル・カテゴリーっていうのは歴史を前に進めることに貢献した音楽かどうかというのが重要視されるという、ある種、マッカーサー奨学金的な意義をともなっているのではないか。すげー。

 やっぱり、現代社会においてクラシック音楽はとても大事。

 つづく。

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