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徳川慶喜巣鴨屋敷跡地

東京スケバン散歩/巣鴨

テレビドラマ『西部警察』は"町おこし"番組でもあった。毎回、大スペクタクルなカー・スタントふんだんのシーンを撮影するため、地方自治体の協力もあおぎながら日本全国の広大なロケーションを確保していたという。
あの石原軍団がやってくると、もう、町は歓迎の横断幕を掲げての大フィーバーで俳優たちと撮影隊御一行の滞在を歓迎した。と、当時の資料にはある。というか、リアルタイム世代なので、当時はテレビや雑誌で「石原軍団来たる!」みたいなニュースはよく見た。
地元の人々には当然エキストラ出演などの楽しみもあったし、また、ロケにお邪魔するお礼の気持ちをこめて、石原プロは地元とのふれあいや観光PRへの協力を惜しまなかったということで、たったいちどのロケであっても、地元には後々まで語り継がれる軍団伝説が刻まれ、その土地は「あの『西部警察』でおなじみの!」という肩書きを得ることになったわけである。

石原プロのロケはスケールも大きかったし、何より戦後の大スター石原裕次郎や渡哲也を筆頭とする石原軍団の人気もあり、その影響力は本当にすごかったらしい。単に有名人がたくさん来るとか有名ドラマのロケ地になるというだけでなく、そのロケがおこなわれることは、ゆるキャラもいない時代における最強の観光キャンペーンにもなったし、撮影中からものすごい経済効果もあったという。
それを柱の陰から見ていた石原慎太郎が「こりゃいい、最高のウィンウィンじゃん」と、都知事になった時に映画・ドラマの撮影誘致を目玉政策のひとつにしたという話を聞いたことがあるが本当かどうかはわからない。お役所の撮影協力といえば、ニューヨーク市という最高のお手本もあったし。
でも、とにかく、そのおかげで、世界一地価の高い銀座の交差点を封鎖したロケが実現したこういう映画もあった。

まぁ、インターネットもないし、そもそも昭和だったし。芸能人とか撮影隊がやってくるのはまだまだ珍しいことだった。私も子供の頃、近所に有名な女優さんがロケに来て大興奮だった。東京だったけど。女優さんの名前も忘れたけど。

もちろん今でも『千と千尋の神隠し』や『君の名は。』のように、映画やドラマが大ヒットすることで人々が訪れる"ロケ地ブランド"はある。ただ、『西部警察』のように撮影の時点からロケ地が名所になるのはさすがに大河ドラマくらいだろうか。
大河ドラマはすごい。NHKはすごい。オリンピック開催が決まった都市のように、大河ドラマ制作されることが決まったとたんに、舞台となる地域あげての大フィーバーになって、撮影が始まるより前に「大河ドラマの舞台でおなじみ」的な看板が立ったり、その主人公の名を冠したまんじゅうや駅弁が作られたりするのは、さすがに石原プロでも無理。大河ドラマくらいのものだろう。

基本的には歴史物語だから、ドラマが制作されるより前に登場人物のことがよく知られているし。舞台となる土地もだいたい見当がつくし。ドラマが始まれば人物や土地にまつわる歴史ネタの特集番組や書籍がばんばん出ることは間違いない。
そりゃ盛り上がるよねー。はずれなしの万馬券だもの。

私が子供の頃に放映されていた大河ドラマについて、当時まだ生まれていなかった若者に「大河ドラマの××って知ってますか?うちの地元に○○さんが撮影に来たって、ばあちゃんが言ってました」という話をされたことがあって、NHKの影響力は3代続くのかと驚いた。

というわけで、本題。今年の大河ドラマ。

今年の『青天を衝け』も、主人公・渋沢栄一ゆかりの地がにぎわっている。
あ、その前に一万円札か。
まず、渋沢が次の一万円札の顔に決まった時に「渋沢ゆかりの地が…」というニュースに「おおっ」と思ったら、埼玉県・深谷市の話題だった…ということがある。なぜ「おおっ」と思ったかというと、私としては、渋沢ゆかりの地といえば現在の飛鳥山公園(東京都北区)だと思っていたから。ドラマを見ている方はよくご存知かと思うが、深谷市は渋沢生誕の地。飛鳥山公園は、我が家から都電に乗ってちょっと行ったところにある。桜の名所としても有名で、園内をモノレールが走る広大な公園だ。
そして、その中心にあるのが、渋沢栄一が1931年に91歳で亡くなるまで暮らした邸宅のある旧・渋沢庭園の跡地に作られた渋沢史料館。広い敷地の中には本館の史料館をはじめ、男爵から子爵へと昇進した時に門下生一同から贈られたという書斎(といっても、鉄筋コンクリートの図書館のような建物まるまる一軒)"青淵文庫"や、喜寿を祝って清水建設から贈られた茶室”晩香廬”など、国宝級の美しい建物が保存されている。
いやー、何かのお祝いで家一軒プレゼントされる人とか、私が知っている限りではマライア・キャリーくらいしかいない(本人に聞いた)。
さすが資本主義の神様、ハンパないスケールの暮らしぶりがしのばれる場所である。

▲青淵文庫。家紋をデザインしたステンドグラスが美しい。お天気のいい日にここに来ると、本当にいい感じ。パワースポットみたいな。(2019年撮影)

住所は豊島郡滝野川村といい、まぁ、北区なんだけど豊島区民にとってはぎりぎりセーフの準地元くらいのロケーション。なので、豊島区に本社があるバレンタイン・チョコの元祖といわれる芥川製菓なんか、早々に「渋沢一万円札(想像)型チョコ」を発売したりして。まぁ、そこそこ盛り上がっていた。
が、深谷市も渋沢ブームでねぎが熱い!らしい。

ところで飛鳥山公園は、他にも洋紙発祥の地(王子製紙はここで創業)として"紙の博物館"もある。ここ、おもしろいです。


でも、とにかく、今、北区は渋沢栄一が熱い

つい最近になって、期間限定"大河ドラマ館"というのもできたぞ。

シルク・ド・ソレイユ⁉︎みたいなハデな建物。チケット売り場もこんなです(できた時、飛鳥山公園に散歩に行ってびっくりした夫が撮ってLINEしてきた)。
これは深谷市に対する「ゆかりの地は、ウチが本家じゃ!」みたいな宣戦布告なのかと思いきや。さすがにそんな下品なことをするはずもなく。深谷市のほうにも大河ドラマ館ができて、2館共通入場券も発売されているとか。

大河ドラマ、すごいな。

というわけで。

すっかり遅くなりましたが、なんと、ここからが本題です。

『青天を衝け』の重要人物といえば、もうひとり。

最後の将軍、徳川慶喜。

でね、実は、わが地元・巣鴨徳川慶喜ゆかりの地なのです。
なんたって明治時代、慶喜の屋敷があったのだ。

いや、慶喜の住まいといえば文京区ではないの?と、歴史に詳しい方ならお思いかもしれない。ええ、そのとおり。文京区小石川の高台にあったという屋敷は、大正2年に世を去るまで慶喜にとっては終の住処となった……のだが。

江戸時代が幕をおろした後、移住した静岡から東京へと戻った明治30年。最初に居を定めたのは巣鴨だったのだ。今のJR巣鴨駅前、古地図によるとかなり広大な敷地のお屋敷だった模様。近くにはソメイヨシノ発祥の地で、腕のいい植木職人たちの集落があったおかげなのか、そのお庭は見事な梅の木々が有名で、地元民からは「ケイキさんの梅屋敷」と呼ばれて親しまれていた。
しかし、わずか4年あまりで小石川へ引っ越してしまう。
そのころ巣鴨に鉄道が開通することになり、すぐ近くを走る汽車の騒音を嫌ってのことだとか。

いやー、渋沢もすごいが将軍もすげー。
「駅前で便利」とか、じゃなく。
汽車がうるさいからって、あっという間に大邸宅を引き払っちゃうとは。
まぁ、そんなわけで、いちお"ゆかりの地”ではあるんだけど、終生の住まいとなった隣の文京区には負けるし、正直、大河でもそんなに盛り上がってないです。

というか、もともとそんなに盛り上がってなかった。
ある時(といっても、それほど昔のことではない)、国道沿いのコンビニ前に“徳川慶喜巣鴨屋敷跡地”という石碑と解説ボードが建ってからは、時おり街歩きサークルのお年寄りたちが立ち止まって引率ガイドさんの説明を聞いている。が、コンビニの前だし、ちょうど自転車を停めるのにいいスペースなので、石碑のまわりにはいつも自転車がずらっと並んでいる。

ちなみに旧渋沢邸のある飛鳥山公園も、当時の住所は"豊島郡滝野川村”。同じ豊島、その後もすぐ近くの小石川へ。倒幕後、慶喜が心を許した相手は渋沢を含めて数えるほどしかいなかったというので、東京での住まいも渋沢家の近くにしたのかもしれないですね。そのあたりまで大河ドラマで描かれるかなー。

「これから大河ドラマの慶喜ブームが来て、ゆかりの地巡りの観光客がたくさん来るかもしれない。そんな時に、屋敷跡が自転車置き場っつーのはまずいではないか。もっと…あれだよ、あれ、インスタ映えする名所にしなければ!」

と、町内会かライオンズクラブの人が思ったのかどうかはわからない
が、いつの間にか、ふと気づくと、そっけない石碑の横に突如、細長ーく伸びる竹の…なんつーか、囲いみたいなのができて、そこに謎のミニミニ庭園みたいなのが作られていました。

自転車置き場にさせないようにという狙いもあるのではと思いますが、結局、ミニミニ庭園沿いにめっちゃ停められてます。

雪見灯籠。コンビニと国道の間にできた、ちょっとしたお屋敷感。
巣鴨だけにカモもいます。

慶喜さんといえば梅。ウメ科の"冬至"。これから育つのが楽しみです。

ところで、私にとっての徳川慶喜さんといえば。この本。
といっても、慶喜の本ではない。慶喜の孫娘にあたる榊原 喜佐子さんが、小石川のお屋敷で過ごした日々を綴ったエッセイ。

最後の将軍慶喜の孫娘に生まれ、高松宮妃殿下を姉にもつ著者が小石川第六天町の三千坪のお屋敷で過ごした夢のような少女時代を回想する。高松宮妃となる姉上が嫁ぐ日の記憶、夏休みの葉山や軽井沢へのお転地、四季折々の行事や日々の暮らしを当時の日記や写真とともに振り返る。戦前の華族階級の暮らしを伝える貴重な記録であり、四百年近く続いた将軍家に生まれた一人の女性の生き様を記した回顧録である。(Amazonより)

丁寧に綴られた文章そのものの美しさ、その中にあるユーモアや、どこかおっとりした雰囲気……。読んでいると自分のまわりの時間の流れまでふっと減速してゆったり流れ出すような気分になる本。日本の美しさ、というのはこういうことだったなと思い出させてくれるような。
この本は10数年前に恵比寿の古本屋のワゴンで見つけて買った古本。なんだか愛着があってずっと手元に置いていて、ときどき思い出しては眺めるような感覚で読んでいる。本物のお姫様、というのはこういう方なんだなと思う。お姫様の生活っていうのも、いろいろと面倒で大変なんだな…という、あたりまえの庶民の驚きもまた楽し。

お姫様文学、といえば、喜佐子さんの妹さんにあたる井出久美子さんの自叙伝も。
おてんば姫。
もう、その言葉のとおりのかわいらしさ。そして、その言葉のとおりの強さ。


さあ。巣鴨も、年末までには"大河ドラマでおなじみの街"になるのか。
今後もウォッチングに励みたいスケバンなのであった。

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