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連続恋愛怪奇小説『猿の手が落とされました』⑤

 帰路に着く生徒、遊びに行こうと群れる生徒、楽器を運ぶ吹奏楽部に混じってアキラはいた。ひなびた校門にもたれた蛍光色のニット帽子が群衆の中でも異彩を放っている。
「ごめん! おまたせ」
 ゆうまは息せき切ってアキラの肩を叩いた。
「おせぇよ〜」
「でも俺が一番乗り?」
 いるのはアキラのみで、いつものメンツの姿は無い。
「ばっか! みんな先に行かせたんだ。あんまりお前が遅いんで」
「でもアキラは待ってくれてたんだ。優し〜」
「おかげでつまんねー時間だったよ。ほら、ダッシュ!」
 アキラの言葉を合図に二人は走り出す。既に校門まで走っていたゆうまが、ゆるやかに失速していった。アキラが振り返り、からかうように笑いながらゆうまに向かって何か言った。ゆうまは聞き返す。アキラは減速して繰り返す。ゆうまはそれでも聞こえず、彼が充分近づいた時に耳に手を当てた。
「ノロマ!」
 アキラの声は住宅街によく響いた。
 ゆうまがスクールバッグを振り抜く。アキラはそれを完全に読み切って躱した。
「ノロマ! 遅漏!」
「おいやめろ! 気にしてんだぞ」
 二人は住宅街を縫い、大通りを三度抜けて錆びた鉄橋を渡った。アキラの頬は紅潮し、ゆうまの髪は風を含んで後ろになびく。お互い顔を見合せて、言葉も交わさず短く笑った。
 ガタンゴトンと音を立て、彼らのすぐ左を路面電車が追い抜いた。それは一瞬甲高いブレーキ音を発した後、百メートルほど先の駅で止まった。その駅からまっすぐ伸びる一本道へ彼らは右折した。
 辺りに人家はなく、水を張っただけの水田に広い空が白く映っている。靴越しに感じる地面が柔らかい。彼らは狭いあぜ道をひた走り、そのまま古窪の雑木林に分け入った
 どこか浮かれた春の雰囲気が薄まりかけている。普段は楽に抜けることの出来る道に木々の葉が迫り出しており、ゆうまは遮二無二掻き分けた。大地と草木の青く、力強い香りが向かい風に乗って顔を叩く。新緑の中で軽やかに舞うワイシャツの背中を、ゆうまは必死になって追いかけた。
 季節は移ろう。その変化は僅かで遅々たるものではあるが、絶対だ。ひとたび変化に気づけば、二度と同じ季節に遡行することはない。
 幼い彼らはその事実をまだ知らない。永遠があると信じながら木々の間を駆け抜ける。
 ゆうまは自分の耳がこもるのを感じた。呼吸の度に肺が痛む。二人の距離は次第に開いていった。程なくしてニット帽のオレンジ色が、緑の中に吸い込まれて消えた。
 彼は膝に手を付き、呼吸に専念した。顔が熱い。もう走れない。ゆうまは歩いて古窪の廃墟へ向かうことにした。
 歩き出してまもなく、腕を枕にして倒木の上に寝そべっているアキラが見えた。彼は足音に気づいて一瞬ゆうまを見た。そして空を仰いで再び目を瞑る
「つまんねー!」
「走りでアキラには勝てないよ」
「ゆうまはスタミナがないからな〜。中学の頃から」
「いや、小学生の時からだよ。お前に勝ったためしがない」
「それなのに律儀に勝負には乗るよな」
「だってアキラはなんだかんだ最後には待っててくれるじゃん」
 アキラが口角だけを少しあげる。池の鯉が水面に波紋を立てるように、彼の表情の下を不安がよぎった。それをゆうまは見て見ぬふりをした。
「アキラ、明日もここくるか?」
 ゆうまが自然な口調で訊ねる。圭と一緒に来ることは悟られたくなかった。
 アキラはやにわに上体を起こした。背中に付いた汚れがパラパラと落ちる。彼は顎が外れたように口を開け、怪訝な顔をした。
「呆れた。お前、本当に性欲強いんだな」
「ち、ちが! くは、ないけど」
 強く否定すると動機を訝しまれる。ゆうまはそのことに途中で気づき、言葉尻を濁した。
「もしお前が明日も来るんだったら俺も着いてこようかなって、それだけ」
 アキラは腕組みし、鼻を鳴らしてゆうまを見上げる。
「ほら、最近あまり一緒に遊べてないじゃん。小、中の頃は毎日放課後集まってたのに」
「それはお前が断るからだろうが!」
 起き上がりざまにアキラはゆうまの肩を小突いた。ゆうまはぎこちなく笑うことしかできなかった。
「明日は行かねーよ」
アキラが口を尖らせる。
 高校に上がって以降の友人の新たな交友関係と遊び方に、ゆうまはどうしても親しみをもてなかった。古窪でのヤンチャも最初こそ好奇心が勝って加担したものの、今や忌避感すら抱いている。
 アキラはゆうまの良き友人だった。利発でウィットに富み、楽しく刺激的な時間を共にすごした。しかし、今や自然と距離を取るようにしている。
 ゆうまはアキラから目を逸らし、道の先を見ながら歩き出す。
「みんな待ってる。もう行こう」
 彼はほんの数メートル行ったところで歩みを止めた。ついてくる足音が聞こえなかったのだ。ゆうまはなんとはなしに嫌な予感を覚え、ゆっくり振り返る。
 ポケットに手を突っ込んだままのアキラが道の真ん中に突っ立っている。彼は俯いていたがゆうまが振り返るのを待っていたのか、まっすぐとゆうまを見つめ返してきた。
 その目に死さえ厭わない覚悟を見出し、ゆうまは慄然とした。
「俺、お前のこと好きだわ」
 古窪に風は吹かず、森閑としている。アキラの声はまるで耳元で発せられたかのようにはっきりと聞こえた。ゆうまは瞠目し、背筋が伸びた。
「ありがとう」
 ゆうまはそう言おうと考えた。彼の言葉を友愛として捉えるのだ。ゆうまは口を開く。
「そんなの、ずるいじゃんか」
「はは、やっぱり気づかれてたか」
 アキラの笑い声は心苦しい程に乾いていた。

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