連続恋愛怪奇小説『猿の手が落とされました』⑩
「『古』が、骸骨……」
「漢字の起源は古代中国。当時は祖先の頭蓋骨を飾る風習があったんだ。その中でも二代前、三代前の骨は風化が進み、干からびて固くなる。そうした頭蓋骨の見た目とそれ自体が物語る年季が『古』を表すようになったんだ」
古窪は——骨が埋められた窪地。
「縄文時代の貝塚と同じだね。食べ終えた貝や壊れた土器を一箇所に捨てるように、この地域の人々は窪地に遺体や遺骨を投げ入れた」
圭はゆっくりと歩き出し、雑木林の小道に踏み入った。ゆうまの背筋がシケの如く粟立ち、握った両の拳に力が入る。彼は昨日圭が言ったことを思い出した。
「古窪が死体の山って、そういう……」
「ああ、それはまたちょっと別の話なんだ。どうせだし歩きながら話そう」
圭は立ち止まり、振り返って半身に構える。ゆうまは咄嗟に右足を半歩後ろに引いた。
ゆうまはホラーが滅法苦手だ。しかしこと今回に限ってはそればかりでは無い。
——今までこの地で何をしてきた?
罪悪感や嫌悪感といったものがゆうまの体を後ろ向きに引っ張る。ゆうまは圭の背後に伸びる仄暗い小道が正視できず、消失点に立つ彼から視線をずらした。
圭は一瞬背後をちらと振り返り、期待と興奮に満ちた目をして胸の前で腕を上下に振った。
「僕の後ろに何かいる? 赤ん坊の幽霊?」
ゆうまは圭の言動に呆気にとられたが、すぐに理解した。彼の消極的な姿勢を、なにか人ならざるものを見てしまったからと解釈されたのだ。
「あ、いいや、何も見てないよ」
「なんだ。残念ー」
圭の青白い顔がほころぶ。直後、再びばつの悪い静寂が二人の間に降りた。
「もしかして……怖い話とか苦手だった?」
圭が遠慮がちに切り出す。
「ちがう!」
ゆうまは反射的に虚勢を張った。その直後、冷静な思考が巡り始める。相手も馬鹿じゃない。この嘘は確実にバレる。
彼は急いで注釈を加えた。
「実は、そこまで得意じゃない」
多少のリアリティを交えた嘘だった。
「そうだったんだ」
彼は胸の前の手を所在無げに合わせた。
「ごめんね。てっきり、ゆうまくんも怖いものが好きでついてきてくれたんだと思ってた」
圭の眉尻が下がり、申し訳なさそうに肩をすぼめた。水を得た魚の如き弁舌は今や見る影もない。彼は弱々しく頼りない、迷子の子供のような不安そうな目でゆうまを見た。
電撃がゆうまの体の芯を走る。最前までの恐怖や罪悪感がたちまちのうちに焼き切れた。彼は陰茎が静かに怒張していくのを感じ、瞼の裏で爆ぜる火花を眺めながら落ち着いて息を吐いた。
水田から響くアマガエルの鳴き声が読経のようであった。重々しく淡々と繰り返される音が彼ら二人以外の空白を埋める。圭の哀れな姿を見ているのは今、ゆうまただ一人だけだ。彼の総身を熱い血が巡る。
「でもそれなら、なんで僕について来てくれたの?」
圭はゆうまの内で逆巻く獣欲を知らない。彼がゆうまに歩み寄ろうと一歩を踏み出す。その先には木の根がせり出していた。
「わわっ」
圭は両手を前に出してつんのめる。地面と激突する前に、ゆうまに抱きとめられた。
「ほら、一人じゃ行かせられない」
ゆうまはからかうように笑い、したり顔を浮かべた。
「た、確かに……」
彼は圭をひょいと持ち上げ地面に立たせた。圭は目を輝かせて言う。
「すごいねゆうまくん! 僕が倒れかかってもビクともしない」
「まあ運動してるから。毎日体幹筋トレもしてるし」
「え、じゃあ腹筋六つに割れてるの? 見せて、見せて」
積極性を取り戻した圭に、ゆうまはたじろぎ、恥じらいがムラムラと湧いてきた。
「やだよ! からかうんだったら置いてくからな」
ゆうまは足早に古窪の雑木林へ踏み入った。
「からかってなんかないよー。あこがれてるんだ」
圭はそう言いながら彼の後をついて歩いた。
前日と全く同じ道だ。それなのに、その日は何かがおかしかった。
古窪は春風さえ通さない。しかし今はシャワシャワと梢がさえずっている。吹く風は暴力的で、強制力があり、草と土の他に生命の匂いが焼香の如くキツく香った。ゆうまは死人の肌にも似た空の色を思い出す。彼の内心は不穏にざわめいた。嫌な予感がしてならなかった。
「待って! ゆうまくん!」
ゆうまはハッと我に返り後ろを見た。圭がはるか後ろに小さく見えた。彼は両手を使って岩の段を登ろうとしていた。
「はあ、はあ——今急いでそこまで行くね」
古窪の傾斜は緩い。慣れていればランニングでも登っていけるが、それでも膝丈の岩や木の根を超える必要はある。
ゆうまは走って戻り、圭に手を貸し引っ張りあげた。
「かはっ、ごめん。ありがとう」
圭の息は完全に上がり、乾いた咳さえ漏らしている。そういえば、圭は体が弱いのであった。彼は圭に背中を向けてしゃがんだ。
「な、何?」
「廃墟までおぶって行く」
「大丈夫。自分の足で歩いて行けるよ」
「その様子じゃ着く頃には明日になってるって」
「でもそんな、悪いよ」
「大丈夫。俺腹筋六つに割れてるもん」
ゆうまはサムズアップして、ニカッと微笑みを投げる。圭は笑おうとして、大変に咳き込んだ。
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