見出し画像

ロックなカメラ

二〇〇七年の仕事納めは、晦日の日、山梨県勝沼にあるワイナリーでのロケーションだった。
帰省渋滞を懸念して、前の日は早めに東京をでたのだが、いったいどうしたことなのか、車はすいすいと走り、一度も減速することなく宿泊するホテルまで到着してしまった。 夕食までに間に合えばと思っていたが、おかげで日帰り温泉施設でゆっくり湯につかる時間もできた。

夕食は総勢五十人を越えるスタッフが地元の郷土料理屋さんの大広間を占拠し、さながらちょっとした忘年会の風情であった。
ぼくのとなりは尊敬するカメラマン鋤田正義さんである。
こうしたロケのたびにいつも楽しい話を聞かせていただくのだが、今回の鋤田さんのことばは特に印象に残るものだった。
「ぼくはね、来年七十歳になるんですよ。そう思ったらね、なんか一念発起じゃないけど、もう一度ロックミュージシャンを正面から、こうバッとね、ライティングとかそんなの関係なしで、一対一で撮りたくなっちゃったんですよ。」
鋤田さんが六十歳をいくらか過ぎたころに一緒に海外ロケに行った時のことを思い出した。
やはり夕食の席で鋤田さんはこういっていた。
「もう後何年かしたら、きっぱりと引退して、いままで撮ってきたフィルムの整理をしたいんですよ。撮りっぱなしにしてきたネガが、もう山のようにあって、それをね、整理して、できたら写真集や展覧会をやってみたいんです。」

そしてそのことばどおり、大きな回顧展である「鋤田正義展」が銀座のギャラリーで長期にわたって開かれ、記録的なお客さんを集めた。そしてT•レックスをおさめた写真集もつい先頃出版された。
ただ違うのは、鋤田さんは引退などせず、いまも現役でがんばっている。そして昨晩の発言ではさらなる写真欲に燃えているのである。

同じテーブルにいたものたちで、ではだれが現在も「ロックミュージシャン」としてあり続けているのか、そしてそもそも日本に「ロック」は存在したのかなどといったことがしばし議論された。
この国の戦後においては「ロック」はあたかも任侠の仁義のようなものに近いのではないかという話になり、その仁義を今この瞬間も通している数少ないひとということで、忌野清志郎の名前があがった。
鋤田さんは清志郎とメンフィスでフォトセッションをしている。
月刊プレイボーイのあの素晴らしい連載を興奮しながら読んだことを思い出す。
そのときのエピソードを話しながら、誰にむかってでもなくこういった。
「また清志郎さんを撮ってみたいですね。」

清志郎はガンを克服して来年二月に復活コンサートをやる。
そのステージ写真を、ロックなカメラマン鋤田正義さんが撮ったらいったいどうなるんだろう。 もう想像しただけで頭のなかがぐるぐるまわり、めまいで卒倒しそうなくらいである。

多感な時期の熱狂のそばにはいつも鋤田さんの写真があった。
そしてもうすぐ七十歳を迎えるにもかかわらず、こうしてどきどきさせてくれる。
こんな素敵なひとを間近に見られて、なおも負けてなるものかなどと勝手に思ったりすることができるのだから、この仕事はやめられない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?