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社会のバグになろう。

最近プログラミングの勉強を始めたので何かアプリを作りたいと思い色々と案を練っている。何を作ろうかと考えるのは楽しいけど、どのように作るのか?という作り方とか構造みたいなものを考えるのも面白い。

友人が話してるのを聞いてこんなアプリがあったら便利だとか、自分でこんなものがあったら使いたいとか、そういうものが作りたいアプリのアイデアの元になるわけだが、それはつまり新しいものを開発することでみんなの面倒くさいことを減らしていくことなんだと思う。僕自身面倒くさがりなので、そうやってどんどん世の中から面倒が減って、最終的に仕事なんてなくなればいいのになんて思わないこともない。

考えてみると面倒くさいを減らすというのはコードを書く上でも大切なことだ。プログラミング、コードを書くというのはコンピュータにあれこれ命令を出していくみたいな感じなんだけど、例えば「進め!」みたいな命令を出す時にそれを繰り返しさせたい時は「進め!進め!」みたいに命令するのではなく、「進め!×2」みたいにまとめたりする。いくつかの行動を1つのパッケージにして繰り返したり、他で再利用してみたり、シンプルにしていく作業が大事になるのだ。

ただ一方でその面倒くさいことから生まれる面白さみたいなものだってあるよなとも思う。
少し前に伊集院光と糸井重里がほぼ日で対談をした動画を見たのだが、その中で伊集院がカメラの話をしていた。今ではスマホなんかで気軽に撮れる写真だけど、フィルムの時代はその場で撮れているか確認はできないし現像には時間がかるし面倒がいっぱいあった。でもたくさん面白い失敗写真を見ることもできたという。
旅行の話では、行く時はしっかり電車の時刻を確認して細かく効率的に回れるように予定を決めるけど、実際には電車が遅れたり思ったより移動時間がかかったりバグみたいなものが発生して結局予定通りには行かない。なんとか修正しようとするが空回りしてめちゃくちゃになる、でもそれがだんだん楽しくなってくる。だからうまく回らないと分かっているが逆に予定を崩すためにしっかり予定を立てているそうだ。
わざわざ金や時間のかかるフィルムを使ったり、絶対に上手くいかない予定を立てたり、面倒なことを引き受けることで生まれる面白さもあるという事だろう。

プログラム、アプリ開発は面倒をどんどん減らして便利に、シンプルにしていくことだったわけだがその中にあえて「バグ」になるもの、制限があったり面倒だったりするような部分を残すのも面白いんじゃないかと思う。

それで思い出したのが何年か前に考えたアプリのアイデアだった。その時思いついたのは撮れる回数が決まっているカメラアプリで日付を超えたり何か条件をクリアするまで次の写真を撮れないというものだった。フィルム的な要素を制限として入れたアプリということである。これも面倒をあえて作るもので、昔から自分の中にそういう考えがあったということだろう。

それは生き方の面でもそうで、社会のバグみたいな人になりたいと思ったりする。少し常識からずれていたり、浮世離れしていたり、そういう人に憧れるところがある。
昔から浮遊層という考え方を持っていて、これはどこにでもいるしどこにもいない、ふわふわと色々なコミュニティを行き来して地に足をつけないような生き方のことだ。ただ実際は逃れられない社会みたいな大きなコミュニティもあるわけで、じゃあちゃんと所属はしてるし足もつけるんだけど「前に進め!」って命令された時に、一人だけ右に曲がるような、そこで注意されて一度は治すけど隙みてまた右行こうとしちゃうみたいな、そんな人になりたいなと、そうすれば右にもなんかあるのかもしれないって変わった人が出てくるかもしれないし、そこから新しいものが見えてきたり何かが変わったりするかもしれない。もちろんみんなについて行く時もあるしそういうのも大事だと思うけど、そういう考えは持っておきたい。周りの人からみてちょっと面倒くさい人間になりたい。

ピクサーの名作でバグズ・ライフというのがあって、アラサー世代だと知ってる人も多いと思うけど、そこから取ってそんな生き方をバグズ・ライフと呼ぶことにしよう。バグズ・ライフ25周年おめでとう。

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