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『飲み会"再考"!、飲み会"最高"!』オーストラリア在住の友人とZOOM飲みして思ったこと。

急遽、幼なじみに連絡を取り、ZOOM飲みを敢行した。

彼女は、現在オーストラリア在住の「働きウーマン」
女性の社会進出が目覚ましい昨今を象徴するような、鋭い感覚の持ち主である。

酒とつまみが整い、iPadを用意。
「さぁ、準備が完了した。」
昔話に花を咲かせながら、現状報告し合おう、と、いつもなら、より気軽な気持ちで飲み会に参加していたが、今日は少し違う気持ちで臨んだ。

「ちゃんと話を聞いてみよう。」と。

メモをとってみた

今回は、幼なじみの言葉をレコーディングしながら、飲むことにした。
(酔っ払ってしまって支離滅裂なところもご愛嬌、かとおもったが、案外ちゃんとしていた。)

内容はともかく。

記憶を無くしがちな僕にとっては、こんなにありがたいメモはない。

メモを取ることで話の内容を思い出せる。

しかも、メモを取るというプレッシャーから、飲む量も比較的少なかった。(ワインボトル1本開けたけど。)

ただ、その場の雰囲気を楽しむだけの飲み会だけではなく、その飲み会の場を今後に活かせることができるよう、工夫することって大切だなぁと、一向に止まることのない飲酒欲を抱えながら、そのように思った。

感じ方の違い

オーストラリアと日本間の距離はおよそ、7000Km。時差は1時間。オーストラリアは、ただいま春の陽気。

リアルと差分なく、遠くにいる人とオンライン上で気軽に繋がることが、どれほど心に充実感を与えてくれるか、この機会で分かった。

多くの人は僕のように、感想を得るだろう。

しかし彼女はあくまでも、「普段通り」だった。

後になってよくよく考えてみた。
実はそんなに世界は広くないのではないか。
広い、遠い、行けない、違う文化、違う人種、違う性別、国境、この世全てに存在するモノは、自分の価値観にかたく刻まれてしまった、残念なシロモノと化してしまっているのではないか、と。

未来への延長線は"ない"

側からみると、"すごい"彼女も、そんな視線にギャップを感じているらしい。

とにかく、自分は周りに思われるほど、全くすごい人間じゃない、と毎日思っているようだった。

彼女とは長い付き合いなので、本音なのだろうということは、その場で明白だった。

そんな彼女の態度に、昔を思い出した。
とにかく、部活も勉強も遊びも、自分から積極的に、周りを巻き込みながら行動していたなぁ、ということを。

「あくまでも自然に、人生を歩んでいたら、英語を喋って海外で働くポジションにいた。」こういうことなのだろう。

なかなか、真似できるようなことではない。そして、自分の足りないことだなぁと、ひしひしと感じた。
その後、ワインを一気に飲み干すことにした。

飲み会再考。飲み会最高。

この前、本屋でたまたま、"ゲコノミスト"、という言葉に出会った。

「平成の時代まではゲコは冷遇されていたが、令和の時代になってついに全国のゲコは立ち上がることになった」――。2019年、フェイスブックでお酒が飲めない下戸の集まり「ゲコノミスト」が発足した。半年で3000人超の参加者が集まり、埋もれていた下戸の本音が浮かび上がっている。

僕はもちろん、酒上戸である。

しかしながら、飲み会の場は誰にとっても、平等で、楽しくて、有用なもの、とならなければいけないと思う。

上戸、下戸で括ることのない飲み会ワールドを実現するために、再考しなければならない段階にきているのではないか。

レコーディングが難しいにしても、今回のオンライン飲み会のような形式は、リアルよりもそういう事がしやすかった、というのは実感はあった。

単語でもいいから、メモをすることで、色々と考えさせられる内容も多かったんだなぁ、と自己理解する助けにもなった。

とにかく、記憶に鮮明に残っていて、思い出せる、ということがある。メモすることで、飲む量も適正になった、気がする。

酒上戸は、酒下戸をバカにしてはならない。
酒下戸は、酒上戸を否定してはならない。

「感じ方の違い」で学んだ、自分の中の残念なシロモノ。

それは「国と国の隔たりは、自分が思うほど、大きいモノではない。」と語り、諭された。

「酒上戸と酒下戸の隔たりは、自分が思うほど、大きいモノではない。」

大きいと思わせるのは、いつだって自分の心の判断だ。

今度から、僕なりに、飲み会を再考して、最高なものにしていきたい。

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