【感想】運と夢と、

「雪と桜と憧れと、」感想文

1つの区切りの公演を終えて、本当に運に恵まれた1年だったと思う。運と縁だけで生きている人生。それをまたも実感した。今日で反省会も終わったので、ウダウダと感想文を書いていこうと思う。ベートーヴェンでも聞きながら。

思いつきで卒業公演をやろうと決めた。勢いで会場をおさえた。やっぱりお客さんに持って帰ってもらうものは、立派なモノが嬉しいと、パンフは発注することを1週間前に決めた。こんなに迷惑な人はいないと思う。いろいろな人から怒られたし、いろいろな人から心配された。それでも1つの公演をやりきれるほどに、今の団員は優秀な人ばかりだった。ある意味、私は信頼していたのだと思う。信頼というか、支えてもらっていたというか、体重を全部かけていたというか。

演劇の中でいろいろと役割はあるが、自分は自分のことを役者だと思っている。演出でも、脚本家でもなく、役者だと思っている。でも、たぶん、演出が一番向いているのかもしれないと思うことが多い1年だった。それでも、私は役者をやりたいから、今後も折に触れて役者を続けると思う。

今回の公演で、私が旭川で定めた最初の目標二つを同時に達成できた。札幌でやることと、100人のお客さんを呼ぶこと。10年前の目標を10年越しで達成できた。諦めなければ夢は叶うと言いたいが、叶うまで諦めなければいい、という話でもない。私は本当に運だけで生きている。定職があり、与えられた役割をこなしてさえいれば、定期的にお金がもらえる。この環境がどれだけありがたいことか。この立場を手に入れたことも運だし、札幌で100人呼べたのも私の実力なんかこれっぽちも関係なく、今の団員のレベルと人望であることは間違いない。

1つの夢がかなったら次の目標を決める、次は、全国大会の出場と、学外公演でのお客を倍にすること。そのために足りないものは山ほどある。貪欲に吸収し、目ざとく使えるものはなんでも使う。賢くありたい。決して汚くはなりたくない。とにかく勉強。とにかく実践。理想を持ち続ける。妥協は時間と真剣に向き合った結果の取捨選択。

ここからは1つ1つの作品について、語る。

「雪、のち」

正直なことを書けば、これはほぼ稽古を見ていない。役者3人の地力のみでやり遂げた。本来ならいけないことだ。お客さんに見せるもの。時間もお金もいただいている。しかし、諸々の事情で仕方がなかった。それでも、見てくれて温かい感想をもらえたお客さんがいた。感謝しかない。

脚本も書いた。そろそろバレ始めているが、これが私の一番得意な形。特徴的な始まりをして、日常会話の中に伏線を入れて、最後に勢いだけで回収する。演出も私がよくやってしまいがちな演出、ギャグをたくさん入れて、途中、無理やりシリアスな展開にして、最後に曲を入れて、なんとなく、良さげな雰囲気を作ってそのままフェードアウト。こればっかりやりすぎて、旭川時代には手痛いダメ出しを食らったことを思い出した。「全部の劇の展開が同じでした」、と。できあがったものを見て、またやってしまったと思った。しかし、成長したな、と思うのは、音楽流す必然性があるテーマ設定を執筆段階で設定できたこと。

演劇には見てもらったお客さんの数だけ、捉え方がある。だから、脚本家がこういうつもりで書いたというようなことを言うのは、正直、御法度だと思う。お客さんが、自分の捉え方を間違いだと思ってしまうからだ。繰り返しなるが、見てもらった人の数だけ捉え方があっていいと思うし、見方があって当たり前だと思う。脚本家の解釈が間違えだということも往々にしてあると思う。同じ作品を見ても、好きな人がいて、嫌いな人がいるのと同じように、それぞれの感想があって当たり前。だけど、脚本家や演出の裏話を好む人もいる。あえて実験的に脚本家として、演出家として、こういうつもりで作ったという説明をし、自分の作品を積極的にチープにしていきたいと思う。前記したことも踏まえながら、この後の文章を読んでもらいたい。嫌いな人は飛ばしてください。

この脚本のテーマは夢と音楽だ。ラジカセくんは音の擬人化。音楽は聞こえなくなっても、常にそこに居続けていたのだ。例え、外にぶん投げられても、またそれは必要としている人のところに戻ってくる。実はそんな話だった。最後の歓喜の歌は、心の迷いや耳鳴りが一週目にはかかっているが、友達の存在によって、それがだんだんと晴れていくことが表現されればいいなと思ってやりました。やはり、公演の1作目は見やすいものが良いと、小難しい設定はいれず、コニシの得意パターンで書いてみた作品だった。

「サクラ(ン)」

これは私が過去に読んだことがある漫画を3つ合体させたモノとなった。最初はこんな話じゃなく、もっともっとややこしい設定だった。本当に60分くらいの劇になりそうで、これを次の高文連に出してもいいんじゃないかくらいまで、具体的にイメージが湧いた。しかし、人は死ぬし、殺すし、で全然爽やかなラストにはなりそうもなかったから、途中でやめた。そもそも、私自身、人が死ぬ劇が嫌いだ。今回、この作品を書き始めた理由の1つに、自分の嫌いな劇でも好きな人もいるから、敢えて自分が一番書かなそうな劇を書いてみようという、自分自身への挑戦だ。

人を殺すことは、作者としての負けだと思い込んで、人をかたくなに殺さなかった。今回のこの作品も人を殺した、という認識ではなく、1つの運命の形が、たまたまそれであったという、流れとしてとらえてもらえるようにしたかった。

正直、存外うまく書けたと思う。うまく書け過ぎて、演出ができなかった。この劇は難しい。深かった。深すぎた。背負ってるモノが、私なんかじゃ到底手に負えなかった。今思い返せば、こんなに暗い作品を演出した経験がないから難しいのは当たり前だった。

この劇は主役の団員が本当に上手かった。イメージ通りの役を、イメージ通りに演じてくれた。だからこそ、周りの役者がもっと詰めていければ、と思う。特に先生の役の人。本当に扱いづらい役者だ。本番中もずっと客席の反応を気にしていた。気にすることはいいのだが、気にしすぎだ。役が所々離れてしまっているのがダメだ。ダメダメだ。

この脚本のテーマは、実は運命なのだ。人間にはそれぞれに抱えた運命がある。その運命は開けてみなければわからない。という発想から、この作品が生まれたりしている。そして、人殺しにも日常がある、ということにおののいて欲しかったりもした。しかし、途中で、あまりにもこのテーマが難解すぎた。

人生で初めて、他の劇団にやってほしいと思った作品となった。この「サクラ(ン)」はぜひ外から眺めてみたい。

「大嘘つきの憧憬」

ここからは私ではなく、今の部長が書いた作品。そして、この「大嘘つき~」は、私が見てきた中で、この部長の最高傑作だと思う。最後の舞台に、最高傑作をぶつけてこれる辺り、やはり、この部長は持っていると言いようがない。

ド王道、ドファンタジー、誰しもが予想できる展開ながらも、誰しもが手に汗を握り、最後には誰しもが感動できる場面を持ってくる。才能に惚れる。

部長から副部長に対しての信頼感だとか、中学演劇部の元部長への成長の期待とハードルの設定の仕方、それを乗り越える元部長の馬力。配役も素晴らしいし、演出も大人をこきつかうことを物怖じしない、ずうずうしい間でのリクエストの数々。箱付きのスタッフに、タイミングをゆだねるという前代未聞のリクエスト。本当はスタッフの方々に、もっとお金を払わなければいけないと思っている。わりに合わない仕事だっただろうに。

話が横道に逸れたが、とにかく見ていて、楽しい、感動、笑えて、愛くるしい。いい作品だったと思う。

「約束」

これを演劇と見ますか?という話だが、あくまでも私の演劇観では、これが最高の演劇の形だと思った。セリフに嘘がなく、その場で紡ぎだされる言葉たちで、ストーリーのラインだけをなぞっていく。あの舞台上はまぎれもなくリアルであり、しっかりとオチへと進んでいく。私の中の演劇の理想形だ。ただこれでは、評価はされないということも、もちろん分かっている。この演劇を測るものさし、型がないからだ。

ほぼ全編アドリブ。本物の涙。そこには、リアルなドラマがあった。

本当にもう一度、同じ舞台でみんな集まりたいが、これから卒業していくほぼ全員が、大学生という人生の大変革期を迎えるため、おそらく、これも「あはは、そんなこと言ったっけ?青春だねー」っていう文字通りの夢で消えていくのだろう、と冷めた大人は見てしまっている。やるとしても、おっさんはただの観客に成り下がってしまっているんだろうな、とも思ってしまっている。


今回の公演を終えて

企画し、お金を払い、脚本を書き、演出をして、音響操作もして、役者もした。私としては、えげつない労働量だったが、これも1つの段階を乗り越えたと捉えよう。私はもういつでも公演ができる体になった。終わってみれば、最高の経験だった。

そして、おそらくこれから毎年言うだろうが、最高の団員たちだった。今年しか言えないセリフを言うのであれば、1年目のメンバーがこの団員達で本当に運がよかったし、幸せだった。楽しかった。

来年度に向けて、この劇団はもっともっと成長していかなければならない。私ももっともっといろいろな経験を積み、勉強しなければいけない。これからも、インプットとアウトプットの繰りかえし。今日、浮かび上がった反省をもとに、とにかく自分がどうやって脚本を書いているのかを説明できるとうになろうと思った。そうすれば、きっと自分の悪いところも見えてくるだろう。感覚だけで書くのを、そろそろ卒業しなければいけない気がしてきた。


卒業公演。

泣くだろうなーと思っていたのだが、泣かなかった。泣きそうにはなったが、泣かなかった。それは、私の運命が、きっとこれが最後ではないと語り掛けていたからだと思う。

そう、これは夢をかなえた公演なのだ。ここで語られた夢も、きっと叶うはず。

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