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飢えのすがた

 音楽を聴いて、本を読んで、映画を見て。そんな風に、ひとの日常の中にふつうに存在しているような物語は、どんな物語なんだろう、って考えることがあるんです。その人にとってどういう物語なんだろう、って。接しやすい、心地良い、と感じていたはずの物語でも、実はその人のものの見方に大きな影響を与えていたり、逆に、すごく物語に感動しているように思っても、実際は、ただ自分の過去の辛かった記憶を思い出して泣いてしまっただけで、物語はその媒介でしかなかったり。
 
 たしかに、物語で世界は変えられない。この物語が世界を変える、ってことは無いんだと思う、でも、目の前が昨日までと少し違って見えるような、そんなことは、私にも確かにあって、そしてそれは誰にでもあるんじゃないかなって思います。誰の胸にも願いがあるんだから、誰にだって信じているなにかがあるんだって気がしていて。それは人によっては信念とまで呼べないような、漠然とした基準のようなものかもしれないけど、でも、人には生まれ持った性格とか、育ってきた環境とか、みんなそれぞれにあって、そんな風に沢山の要素が絡まりあって、一人一人を形作ってる。一人一人の心の中にある物語を形作ってる。そんなふうに思いませんか?そして、一人一人の心の中にある物語は、世界にあふれるいろんな物語に影響を受けながら、少しずつ変わっていくの。さっき言ったような映画や小説、音楽もそうですけど、もっと広く、身の回りの人の言葉だったり、ネットで偶然見つけた投稿とか、そんな断片が物語になって、みんなの心に眠っている物語を変えたり、変えなかったりする。みんなの信じたい何かが形作られていく。世の中はそんなふうに回ってるんじゃないかって、そんな気がしていて。これは、かけがえのない世界、でしょうか、でも。それとも、他になにかあるのでしょうか?

 私の信じたいものって何でしょう。それがずっとあと一歩、掴めなかった、ずっと、救いようが無い。
 
 でもそんな中、昔からただひとつ確かなことがあるの。わたしは今、生きています。それだけは物語なんかじゃないんです、生きてる。
 
 それだけが確かなんです。他のことについては、なにも分からないままです、わたしのなかの物語?のことさえ、よく分からないままですけど。

 世界の森羅万象、それらが織りなしつづけてきたなにか、そこにはまだまだ私の知らないなにかがたくさん隠れていて、そこにある一つ一つの色と匂い、それをただ自分の中で大事にして生きていたい、のです。けど、やっぱり、私は、私が生きているばっかりに、それができないみたい。私の生は、きっと、誰かの物語の助けを借りなくては成り立たない、気づいてしまって、誰かの物語に土足で踏み入らなければ、生きてはいけないのです。


ただわたし、怖いだけなの、ごめんなさい。

ああ、大事なものってなんだろう。大切にするってどういうことなんでしょう?
愛おしいと感じたものをできるだけ大切にしていたいけれど(愛おしい、なんて言ってしまえる時点で大切にできていないんですけど)、わたしがわたしとして生きている故に、どうにも大切にできないんです、
最低、壊しちゃって。
 
夏の匂いが近づくころ。わたしのこころの、恋。
もう、ありふれた愛、でもいいんですけど、神様みたい、ただ何か、確かにこの人生を丸ごと満たしてくれるものを知りたいんです。
わたしにとって、生はただ一つしかないのに、
そういうことばかりを考えて生きているから、壊してしまうのでしょうか。
 
わたし、愛、に飢えているのでしょうか。
愛、に飢えて、愛、を見失うのでしょうか。
 
 
 
ん?絶望?
いいや、だってそんなもの、馬鹿げています、絶望なんていつでもできる、今、わたしは生きてる、私は、間違えない、わたしはまだ、負けない。諦めない。怖がったりしません。
 
どれだけ壊しても向かい続けます、最後には、最後には、最後には、輝いていた、
あの夏の向こう側へ。

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