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大学野球人生〜第一章〜

大学入学から大学2年冬までの物語です。

なんだこいつら

始まりは 「圧倒」
大学に入学し、見えた景色は私がそれまでやってきた野球のレベルとかけ離れていました。

高校時代は全国レベルを経験できました。
しかし、あくまでもそれはチームとして。

全国的にも有名な選手が練習で投げる球、打った打球、華麗な守備
プレイヤー個人としては、到底、私の通用するレベルではないと感じたのが大学野球の第一印象でした。

身長170㎝ 体重75㎏
体格含め、全てが普通以下だった私は
2年生冬までほとんどの期間を2軍で生活しました。

2年間の2軍時代 

この2年間は
部内リーグでの打率も1割台。全く勝負できるところもなく、苦しんだ2年間でした。

ただ、この時、
どんなに結果がでなくとも、たとえ間違った練習であったとしても練習すること、自分の課題に向き合うことは絶対にやめませんでした。
そこだけは、自信を持って言えます。

引退

部員は300人近くいる。
当然、学年が上がるにつれ引退を考える選手も多くなっていきます。
2年の秋、新チームに変わる時が私にとって1軍に上がる最後のチャンスでした。
その秋の部内リーグの打率は1割もありませんでした。

腹を括ろう

そして、迎えた発表

1軍に自分の名前はありませんでした。

悔しかった。

そろそろ、引退なのかも知れない
しかし、本気で引退を考えた時、これまでの野球生活の中で関わってくれた人、応援してくれた人、私の頑張りを待ってくれている人たちが頭に浮かびました。

本気

最後くらい本気でやろう
ここままじゃ絶対に終わらない
そう心に誓ったその日から行動の全てが変わりました。

今まで嫌いだった「読書」を始め、
必死に変わる方法を探して「4スタンス理論」と出会ったりと全ての行動が野球のためになりました。

そして、ここから本気になって行動すればすべてを変えられることを肌で体感することになります。

2年生の冬
1軍に上がれなかった日から約1ヶ月がたった時

いつも通り、朝の練習をしていると監督とコーチから内野手の私に対してこう言われました。

キャッチャーやらないか?

崖っぷちの私に
監督とコーチが直々に言ってくれるということはチャンスがあるということ。

キャッチャーの提案も
結果が出ず苦しんだ時の野球への取り組みも評価していただいたと聞いて、結果が出ないからと言って投げ出してはいけないなと痛感しました。

最後のチャンスだと思ってキャッチャーなることに全てをかけたところから

大学野球第二章が始まりました。

長い文章になりましたが最後まで読んでくださりありがとうございました。
次の投稿は第二章になります。
ぜひ、見ていただけたら嬉しいです!



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